*「魁!!女塾」*

THE GOOD LOVIN’sというバンドでギターを弾いています
京都市在住

滋野誠さんワンマン

2024年11月14日 | blog

京都・FANJへ
滋野誠さんのワンマンライブ
へ行ってきた。

 
滋野さんのバンドのギター
仁岸新さんは
わたしが16才の頃、
生まれて初めて行ったライブハウスで
生まれて初めて見た生身のバンドマンだった。

 
16才の頃、バイト先の女性社員さんが

「今日彼氏のライブあるし、ライブハウス連れたげようか?」と誘ってくれて
テレビの中でしかバンドマンを見たことなかった16才はドキドキしながらライブハウス(磔磔)へ行った。
そこにいたのが仁岸さんだった。

 
それから30年以上
仁岸さんがどうしているか知らなかった。
久しぶりに見た仁岸さんは、
まずライブ前にアンプの前に立っているだけでおそろしく絵になっていて
わたしは、うぉぉぉ…とプルプル小刻みに震えた。

 
昔は、仁岸さんのワイルドでロックなギターが好きだったけど
今はさらに繊細さや歌心が増し増しで、昔よりかっこいいと思った。
たたずまいも、ちょっとした手の上げ方も。
空間系のエフェクターの使い方がとてもうまい。


そしてボーカルの滋野さんがすごい。
曲が良いとか歌が上手いだけでは聞いている人の心は動かない。
滋野さんは、そんなところを遥かに超え、
人間で勝負している。
ライブって曲だけじゃない、絶対に人間の魅力だと思う。
滋野さんは天下一品だと思う。

 
ミドルエイジになり、生活の中で心折れて
ギターは弾いていても、バンドをやっていても
心が音楽に向かえなくなる時が数年に一度ある。
そんなものはないとカッコつけたいけれど、本当はたまにある。

でも歌う滋野さんを見ると、
いや!やるで!と折れた心にいそいそとテープを貼って立ち上がりたくなってしまう。

 
ドラムの岡松くんは
20代の頃、少しの間一緒にバンドをやってた。
5年前、はじめて滋野さんのライブに行ったら
岡松くんがドラム叩いててびっくりした。

20年以上ぶりに見た岡松くんは
冷静に叩いていても、気迫、気炎のようなものを感じた。

本当にええ感じに歳を重ねてはる。


元バンドメンバーが活躍しているのを見るのは本当にうれしい。
そして、自分が若い頃に見たバンドマンが
何十年後の今も活躍してる姿を見ると本当に本当にうれしい。
 
 
 
 
 
 
 
 

2024.11.9 京都・ウーララ ライブ

2024年11月14日 | blog

 

 



 
 



 




 
 




新曲をやった。

新曲がいちばん気に入ってる。


対バンは、仲の良いバンドと
前から気になってて観に行こうかと思ってたバンド。


かっこよくてジェラシーだから
負けんようにがんばった


札幌からの関西ツアーをひとりでやってるピアノ弾き語りの女性も対バンで
すてきやと思った。気合い入ってる〜


わたしはウーララにずっと出たかった。
大好きなライブハウス。
こんなに遅くなっちゃったけど、こんな歳になっちゃったけど
ひとつずつ叶えていきたい。


リハの後に食べたウーララのおでんがとてもおいしかった。












 
 

Rolling泥団子

2024年11月08日 | blog

ギター弾いてくれへんかのオファーを受け
泥団子(Muddy Ballers)というユニットでライブハウスにでました。


事前にリハをしてから出るのかと思いきや
ふたりで一度も音を合わせることなく
いきなりぶっつけ本番で人前に出ました。
そんなことは初めて。
でも来た話は受けてみたいのだ。
ザ・ファーストテイク!なんて。
プラス病み上がり💧

飛び入りデイのライブだったので
ライブ前のリハもなし。


そしてその
本当に初めての初めてでふたりで音を合わせた瞬間の映像が
YouTubeにアップされてます。


YouTubeで全体公開してもかまへんか?スタート地点の記録として残しとこう
と後日LINEが来た時

わーお、こんな荒い初回のやつですか!?
おおぅ、これは私のやばいデジタルタトゥーになるのでは?
なんて一瞬おもったけど、

「全然だいじょうぶです」
しれっと即返信。


「いや、あの演奏はちょっと困りますわ」
なんて答えるような自意識過剰なやつになりたくない。
それはなんかロックじゃない♡
17才の時のわたしが今のわたしを白い目で見ないほうを選びたい。


誰でも好きなことはマジになってしまうもんね
完璧を追求したくなって当然だもんね
でもそういう気持ちを壊したい。
ライブを聴きに来てくれてる人は、そんなこと全然求めてないと思うから。


そういえばちょっと前にYouTubeで
日本の有名なレジェンド・ギタリストS氏のね
なんかライブ映像でグダグダのやつ見たの。
逆にすごく胸熱だったわ
でもそれはスーパーギタリストやからこそかもで
わたしとは立場が違うけどねー


NOと言わない
それもあり!と笑って生きたい
タンブリング・ダイス
ローリング・泥団子







THE GOOD LOVIN’sライブ

2024年11月06日 | blog

 



 

今週末11/9(土曜)
THE GOOD LOVIN’s
京都・ウーララに出演します
出演時間が決まりました。


ギターのわたしは
ライブハウスに出るたびに
必ず毎回言われることがあります


それは
「見た目と音のギャップがすごいですよねえ」


そう言う人はみなさんニヤニヤしておられます😁
ギャップってなんか笑っちゃうのかもしれませんね〜


もしよかったら、謎のギャップを楽しみにいらしてください♪


OPEN 18:00  START 18:30
前売1900円/当日2400円(+1D 600円)

①うけ丸(18時半~19時)

②The Lula(19時15分~19時45分)

③THE GOOD LOVIN'S(20時~20時半)

④ぶっと美バーズ(20時45分~21時15分)









泥団子

2024年11月06日 | blog

2024.11.1 京都夜想に出ました。


ユニット名は
Muddy Ballers(泥団子)

shinyaさんがすでに決めてた。
「muddy waters」ふうに発音するらしい。笑

 


わたしは「泥」という言葉がなんか好きです。

muddy watersが好きだし
泥の中から出て美しく静かに朝に咲く蓮が好き。

「泥中の蓮」ということわざは
汚れた環境にいても、それに染まらず清らかに生きるという素敵なことわざ。


あと、息子が保育園に通っていた時
保育園の園児にスバラシイ泥団子職人が複数いました
(全員男の子)
あれ、泥なのに
何日もかけてつるつるピカピカになるのよね。


あと、
泥試合、顔に泥を塗る、
泥のように眠る
雲泥の差、などなど…
なにかとエモーショナルな「泥」。

 


5年前にたまたまライブを見て「ええなぁ」と思っていた人と
5年後に、共にステージで並んで立つ。
わたしは社会的になんにも成功していないけれど
17才の頃、そんなふうに歩いていきたいと確かに望んでいた。



泥の中から発生して
美しいメロディを。














 
 
 

はちゃめちゃな日々

2024年10月26日 | blog

先日
「インフルエンザになったけど
そこまで苦しまずに回復してきたかも」的な日記を書いていましたが

甘かったです。

さらにそこから悪化し
発症から今日で13日経つのですが
まだ高熱と咳がつづいています。


ああ明日の朝、目が覚めたら
体調がよくなっていますように
と思いながら寝るのですが、
目覚めるとフツーに元の体調からきっちりリスタートです。



でも愚痴的な日記ではありません。
しんどいけど、そんなん書いてもしょうがないですしね。

1日の中で、この時間あたり(19〜20時)が最も体調がましな時間帯です♪



ここ13日で、やせていた小学生の時の体重まで落ちました。
咳をしすぎて腹筋が鍛えられてしまい
お腹にも縦に線が入っています(さすがに横の線シックスパックまではむりだった)

不幸中の幸い!!と盛り上がり
同じくインフルエンザの息子に

「わたしの腹筋が美しいんですけども」と自慢したら

「まだまだ甘い」とのこと。


そしてたぶん5年ぶりくらいに、息子の腹筋を見ましたが
(思春期だから、ふだん裸なんて絶対見る機会ない)

バッキバキに割れているだけでなく
インフルエンザで痩せて、
横から見たら、皮しかない!
内臓はどこへいった?

「俺、片岡鶴太郎のヨガスタイルできるで!」というので
やってもらったら、本当にあの鶴太郎さんのようにお腹がぺったんこだった。
息子は体脂肪率8%になったそう。


それを聞いて「それならわたしもきっと♡」と思い
体脂肪を測ったのですが
事件です!
こんなに体重もサイズも大幅ダウンしているというのに
体脂肪率だけがアップしておるのです!!

えっ、ちょっとこれ壊れてない?
と文句を言うも
息子が測ると正常なので故障ではない。

若者が病気になるとやせてバッキバキになれるのでしょうが
アラフィフのマダームが病気になって寝込むと
寝たきりで筋肉が落ちてしまい、逆に体脂肪率がアップするという哀しい事実!


やだわー
元気になったら運動しなきゃだわ〜










神様

2024年10月21日 | blog

ロックの神様っているかも!
なんて思う話です。


5年前、知人のライブへ行き
共演者に、とてもええ歌うたわはる人がいました。

後日、知人のFacebookに
その人のYouTube動画が上がっていました。


その人の作る曲が好きで
スマホのYouTubeアプリでそれをオフライン保存をしてまで
一時期ほんとうによくその一曲を聴いていました。


その人とは普通になんの接点もなく
それから5年。


しかし5年後、先月9月29日。

わたしのバンド
THE GOOD LOVIN’sのライブの日に
その人がライブハウス(夜想)にいたのです

5年ぶりに見かけたし
初めてしゃべりました。

そして、めぐちゃん、ギター弾いてくれへんか?とオファーをもらいました。
そんなことって起こるんですね

あの、ずっと好きだった曲を
自分が好きにアレンジさせてもらってギターを弾ける日がやってきました。


人生山あり谷ありと言うけれど
わたしも、これまで何度も谷に落ちたような気がします。
まぁ誰でもみんなそうだよね。

私の友人がもしこれを読んでいたら
「ああ、あのことね」とガッテンだと思いますが
ほんまに悲惨!な時期もありました。


でもバンドのことでは、なんか大きくラッキーなことが多いんです
すごい偶然に、会いたかった人と縁が繋がったりする。
まったく不自然じゃないシチュエーションで。

ただし、数年後なのよ
すぐじゃないの。
焦らなければ、いつかチャンスが訪れる。

今のバンドのメンバーに出会ったことも
その前のバンドのメンバーに出会った時もそうだった

ロックの神様って、いるんじゃないでしょうか?!



今週、ライブハウスにアコギで出る予定なのだけど
初回でクビにならないよう、ええギターを奏でられるといいのだけど。









だいすき!

2024年10月19日 | blog

会社帰りにダンエボ踊ってみた【TA・DA ☆ YO・SHI】

インフルエンザでしんどかった時、この動画を何度も見てました♡
秋草とも様。

もう大好きです
何年も前からずっとチャンネル登録してます

会社帰りに、
眼鏡をきらめかせ
ネクタイをはためかせながら
半笑いでキレッキレに踊り狂うビジネスマン
このキレといい、手の華麗な動きといいすばらしい
しかもラストのキメで、よく見たら胸元から名刺を差し出しておられます
さすがビジネスマン
ああ好きだよぉぉぉ


この動画は9年前のもので
何年も動画の更新がなかったので
もうダンスはやめられたのかと大変淋しく思っていたところ
数年ぶりにあたらしい動画がアップされたのです!!

ああ、チャンネル登録をずっと外さなくてよかった!!

スリムな若きビジネスマンだった秋草さんは、
たいへんお太りになって、華麗に踊っておられました。
しあわせ太りでしょうか♡
だったらいいな

見たらいつも元気になります

 

 

 


無念だけどラッキー

2024年10月18日 | blog

インフルエンザ(A型)になって
楽しみにしてた週末の予定が、2週連続でぜんぶなくなりました(T_T)

海に行く予定と
ぜったいに観に行きたかったライブと。


日頃、すごく感染に気をつけて生活してるのに
いっつも子供が
インフルもコロナも風邪ウイルスも学校からもらってきちゃう!
こればっかりはどうしようもない


でも、ラッキーだったわ!と思うのは
インフルの割に、過去にかかったインフルよりもしんどさがマシだったのです。
過去のは、命の危機を感じるレベルでしんどかったけど
今回は耐えられるくらい!

あと、今の時期は
自分のライブも、スタジオも、子供のテストもない時期だったから
いま罹っておいて逆にラッキーだったかも!なんて思ってしまいます



病院に行った時
ちょっと驚くことがありました。

自分が使ったテイッシュを
ゴミ箱に捨てたりしたら誰かに感染するんじゃないかと思って
カバンにしまってたら
看護師さんが「捨てますよ、貸して〰」と言ってくれました。

「感染性が、、、」とかもごもご言っていると
「いいの、大丈夫」と素手で持っていかれました。

また薬局で
吸うタイプのインフルエンザ薬を
「よかったら、いまここで吸っていきますかあ!?」
となかやまきんに君みたいな薬剤師さんが明るく勧めてくれます。

「えっ、でもマスク外して吸ったり吐いたり危険では、、、
じゃあ、外にでてやってきます!」

とガラス越しの外で必死に吸っていると
中から笑顔で「そう、それでOKです〜」みたいなジェスチャーをしています

そして私が吸った容器を素手で回収していかれました。

医療機関の方 すごいなぁと思ったのだけど
思い出してみれば
わたしも30代の頃はそれが普通だった(病院で働いてた)
毎日、インフルの人に何十人関わっても、一回もうつったことはなかったのです。


病院で働いてた頃より
今のほうがよっぽど、いろんな感染性の病気にかかってる!







一期一会

2024年10月12日 | blog

数日前、音楽友達Jさんがご病気で天国に旅立たれました。
少し前まで、ライブハウスの飛び入りDAYで毎月会っていたので
突然のことでとても寂しい。

仲間から葬儀会場の連絡をもらい
お別れに向かおうとお香典や喪服などを用意していたところ
追加でラインが来て、ご身内のみの葬儀とのこと。
さいごのお別れもできず、突然に永遠の別れがやってきました。

JさんとのLINEのトーク画面を思わず開き
ありがとう!わすれへんで、さよならと送ろうとしてしまったけど
冷静に考えればご遺族のご迷惑になるだけだから、すぐ思いとどまりました。



また昨日、別のお宅にお邪魔し、お仏壇に手を合わせました。
こないだまでまたすぐに会えると思っていたひとは
骨になって、小さな白い骨壷のなかにおられました。


一期一会とは
誰でも知っていることばで
誰でも「そうだよなぁ」と納得のことばです。

でも近年特に、いろんな四字熟語やことわざの意味が
ひときわ、身に迫るようになりました。

ほんとうに一期一会
全く望まなくても、結果的に一期一会となってしまうことがたくさんあった。
いつでも、もう会えないかもと思ってその日を過ごすこと。
今日が最後でもかまわないと思うくらいの時をすごすこと。

人間はなんでもすぐに通常モードに戻る癖があるから
いつも心がけたいと思う。

もし一期一会なのなら、やはり伝えたいのは圧倒的に「ありがとう」ではないだろうか。











やる気スイッチ

2024年09月30日 | blog
長髪息子は中3受験生です。
 
いろんな高校を息子が調べていてわかったのは
校則でロン毛OKらしき高校は
ことごとく偏差値が高い高校であるらしい。


 
さぁどうする、
勉強熱心ではなかった息子よ。
内申点が心許無い息子よ。
 
試験本番で相当な高得点を取る以外に
ロン毛でいられる未来はないようだ。
 
 
「オレ、本気でやるしかない」
 
ロン毛のために、やる気を出した模様
模試の成績がじわじわ上がっています。
 
やる気スイッチが、
まさかのこんなところ、
ロン毛にあったとは、、、


秋は体育祭の季節です
一年前から髪を伸ばし
「体育祭で、ロン毛をなびかせて走る」という
よくわからない中二病全開の夢が叶うらしいけれども、
 
女子のみなさんには
ロン毛は大変不評だそうで、
「あんた、まず髪切らんとモテんよ」
と超上から目線のアドバイスを戴いているそうです。









エンドレスサマー

2024年09月11日 | blog

夏の終わりは8月31日だ。
どれだけ暑くても、気持ちの上では9月は秋。

そういう感覚が、17歳の頃からずっと続いている。


17歳の夏は私の転機だった。
13歳からいつも、学校では体育以外はオール5だった私は
17歳の夏を境に、学年でビリから2番目というポジションに転落した。

急な坂道を、猛スピードで転がり落ちる
ライク・ア・ローリングストーン
我ながら笑ってしまう。

理由は、ロックにハマってしまったから。



17歳の夏に見たいろんな景色を今も忘れないなぁ

高校に入り八瀬遊園(スポーツバレー)でバイトを始めた。

バイト先の年上のお姉さんが
「彼氏のバンドのライブあるから
今日、バイト終わったらいっしょに行かへん?」
と誘ってくれて、生まれて初めて行ったライブハウスは磔磔だった。

磔磔のワンドリンクで注文したスクリュードライバーのウオッカの重さ
鎬を削る長髪の痩せたバンドマン
帰り道の鴨川に映って揺れるネオン
ちがう高校のともだちと話す、学校では絶対にしない話。
どこの誰とか関係ない世界。
17歳女子高生の疾走するスピードと一致する何かがそこにあった。


夕方までバイトして
夜はライブハウスで音楽を聴いた夏休み

八瀬遊園のプールは
8月31日で終わる。
高校生のアルバイトたちも8月31日まで。

プールが終わり、バイトが終わる最後の日。
夏が終わり、学校へと帰る日。

17歳の夏は特別だった。

大人になって、いろんな大変なことがあっても
この時期に吸収した何かが、一生自分を支える気がする。
エンドレスサマー。



息子は中3で
もうそろそろ進路を決めないといけない時期らしい。


息子の選択肢は3つ。

①がんばったらなんとか入れそうな、偏差値の高い進学校。
(ハイレベルな大学へ進学するには良いだろう)

②中堅だが大学の附属で、
大学にはエスカレーターで上がれる私学。
(わたしのように高校で勉強をしなくなっても大学には行けるだろう)

③自由で剛健な校風の公立高校。


塾の先生は①を推してくる。
でも息子には、大学の進学のために高校を選ばないでほしい
なんて密かに思ってる。
いや、学校はどこでもいいな。
それより15〜18歳のいちばん大切な時期を
めちゃくちゃ疾走してほしい。












父の愛人かと勘違いした話

2024年09月08日 | blog

父が他界したのは15年前だ。

しかし今でも、
父の知人だった方から声をかけられることが、たまにある。


こちらは存じ上げないのだけれど
あちらから「もしかして娘さんではないでしょうか」と。


なぜ娘とわかるのか、それは

わたしが父と同じ仕事をしていること、
わたしが旧姓で仕事をしていること、
そして顔がそっくりなことで確信に変わるそうだ。
先日も久しぶりにそんなことがあった。


そんな時、みなさん父との思い出をちょっと聞かせてくださる。

しかしそのエピソードの中の父は、
一様にわたしの知らない姿なのだ。


どんなにオモロい人だったか。
どんなに人情が厚かったか。
どんなにジェントルメンだったか。
どんなふうに優しかったか。


それらを聞くたびに
不謹慎だがいちいち驚愕する。
!(◎_◎)


私の知っている父は
オモロくもなく
ジェントルメンでもなく
わかりやすく優しくもなかったからだ。
父、スマヌ。


うすうす、
実はとても優しくて
繊細で
センチメンタルなところもあり
人情に厚く、心優しいひとだったのかもしれないと思うところはあるが

父はあまりにも照れ屋さんだった。
スタンダードな昭和の頑固オヤジなため
家族の前では、あまりそういった面を見せなかった。


なので、父の知人からお話を伺うと
ふつうに毎回驚く!


そういえば、
仕事で行った銀行の窓口で
50代くらいの女性行員さんが

「〇〇さんのお嬢さんではないでしょうか
ああお顔がこんなにもそっくりでいらっしゃる…
お父様には本当にお優しい方でした
ほんとうによくしていただいたのです」

と突然涙をポロリされた時には、

なぜゆえ銀行の窓口というお堅い場所において
突然のこの、あまりにもの感情表出!
もしかして貴女は父の愛人でいらっしゃったのか、、、?

などと不謹慎なことを、失礼ながら一瞬本気で考えてしまったこともあった。
失礼すぎますね、スミマセン笑

 

ーーーーーーーーーーーーーー


そんな方々のお話を聞いて
わたしが知っているのは、父のほんの一部なんだなぁとしみじみ思う。

いちばん血のつながりが濃い親子といえども
18年も一つ屋根の下に暮らしたけれど
他人さんより父のことを知らないのかもしれない。


でもそれは珍しいことではないような気もする。


思えば、わたしと、わたしの息子(14才)もすでにそうだもん。
とてもオープンに接しているつもりだけど

母親がどんなことに喜ぶかは知っているかもしれないけれど
母親がどんなことに傷つき、どんなことに悩むタイプなのかは
きっと知らないだろう。

別に隠したいわけでもないけど
カッコつけてるわけでもないけど
弱い部分をわざわざ子供に見せないもんね。


わたしだって、息子のことを
全部わかっているわけもなく。
わたしに話さないことも、
これからさらにどんどん増えていくだろうし。


親子ってほんとうに遠いもんなんだなぁ。

でもそれでいい気がする。
親子に限らず、知らない部分があるからこそ、尊重できるような気がして。


父とは、親子としてはそんなに仲良くはなかったかもしれないけど
でも、同じ年代に生まれていたら、ともだちだったらとても気が合ったかもと思う。

実はともだちよりも、なりたいものがある。
それはバンドメンバー!

あの人は実は繊細で隠れロマンティックだから
ギタリストがいいんじゃないかなぁ〰
いいギター弾きそう。






手紙

2024年09月03日 | blog

うるっ、となるようなものを見てしまった。


ミッフィーの絵のついた封筒が玄関に落ちていて
アレ、わたしのかな?と思って開けたら
息子(中3)への、女の子からの手紙だった。
中1の頃、つきあっていた女の子。

あちらからの告白でつきあったけれど
ついこないだまで小学生だった至らない息子は
女子の精神年齢の高さについていけず
彼女の気持ちに応えきれずに別れることにした、らしい。


落ちていた封筒には
2通の手紙と写真が入ってた。 


1通は、付き合いだした頃の
息子のお誕生日の頃らしく。


「Happy Birthday 13才!
○○君の彼女になれてうれしいな
いっぱい好きになってもらえるようがんばります
家にも遊びに来てね
妹に会って欲しいよ〜」

のようなことが書いてあって。


もう1通は、
別れたずいぶん後
中3の最近もらったようで


「あんたが骨折して最後の大会に出れなくなって、めっちゃ怒ってたけど
一緒に、3年間吹奏楽部やれてよかった
バリトンサックスが本当にじょうずだったよ
ほんで、かまってちゃんやなw
これからもよろしく!」

みたいなことがいろいろ書いてあって、
明るくていい手紙だった。
部活で、みんなで一緒に撮った写真が入ってた。



クリスマスに、結構悲惨な別れ方をしたらしいけど
(息子のデリカシーがなさすぎて、恨まれていたとしても納得)

なのに、こんなふうに水に流して
ともだちに戻って明るくつきあってくれて
なんてすてき女子。

つきあってた時は、〇〇〇くんって呼んでたのが
別れてからは、苗字で呼び捨てなのもなんかいい。


2通のお手紙から、
青春のなんともいえない健全なものを感じて
ちょっとうるっとしたよ。


お手紙のことには何もふれず、
また、元の落ちてた場所に落としておきました。



そういえば、
自分宛じゃない、ひとの手紙を見ることって全然ないよね。
今回、たまたま知らないで開けてしまったけど
そんなことって、ふつうは全然ないもんね。

自分宛じゃない手紙だからこそよけいに
なんか、手紙って
ほんとにいいよなぁってさらに思った。

手紙って
会って話してる時より、少し改まってるのがいいんよね。
文字にすると、その筆跡が
どんな字でも、グッとくる。


筆跡って
どんな字を書くんだろう?という想像が
当たらないことが多い。


チャラそうな人が達筆だったり。
男らしい人が、かわいい丸文字だったり。
いつもきちんとしている女性が、解読できないほど悪筆だったり。
そういうのも、なんかいい。


わたしもひさしぶりに手紙を書きたい。

大人じゃない手紙を。

仕事の「お世話になっております」から始まる手紙しか
ここ数ヶ月は書いていない。

季節のあいさつから始まったりしないやつ。
拝啓とか、いわないやつ。
定型じゃないやつ。
用事のないてがみ。
青春みたいなやつ。















詩人M

2024年08月28日 | blog

今日、伯母が
京都から関東に引っ越して行った。
さびしいなー


先日会った時に
本が好きだと言っていたら

今日、仕事から帰ると
うちの玄関に
引っ越してゆく伯母からの本が4冊置いてあった。

ぜんぶ相田みつをさんの本だった


「よろしかったら読んでね
元気でね」


自分ではなかなか選ばないタイプの本。
伯母がくれたのも
なにかの好機かもね♪
相田みつをさんの本
はじめて読んでみます


たくさんの中で
この詩が印象に残る




熱い涙をこぼして
声のかぎりに 泣く

涙なんか 一滴もみせず
無声慟哭する

共に大事な 仏のはからい
狂わずに生きるための


 みつを





「涙なんか一滴もみせず、無声慟哭する」
というところが、なんとも。

重厚な詩

ほんとうに悲しい時、つらい時はたぶん涙は出ない。
無声慟哭は、最大の叫びかも。
そしてなにか覚悟めいたものも感じます。

狂わずに生きるために、というのが
ことさら切実でグッときます。

(そういえば、先日
自分のバンドのライブ後
観てくれはった人に
「ある意味すでに狂っていますね」という感想をもらったなことがあったな)



パラパラ読んでいくと

伯母がフセンを貼っていた箇所がある



 

なんにも欲しがらぬ時が
一番強い


 みつを


 

ああわたし煩悩いっぱい
ぜんぶ捨てることはなかなかできないけど
それを忘れた時、いわゆる「ゾーンに入る」のかも。

仕事や、ライブの演奏や
わたしがいろんなことで失敗する時
たぶん、ギラギラしすぎてる時なんじゃないかな〜


そして、みつをさんは
こんなキュートな詩も。






自己顕示

『この花はおれが
咲かせたんだ』

土の中の肥料は
そんな自己顕示をしない
おれのような

  みつを