今日、用事で
数年前まで住んでいた街をとおりました。
そこで、タイムカプセルのような
とても懐かしいものを見ました。
折り紙の手裏剣をいっぱいに詰めた、ジャムの空き瓶です。
それは10年前、幼い息子とわたしが
路傍のお地蔵さんにお供えしたものです。
1歳から6歳まで
息子の手をひいて保育園へ通う道に
お地蔵さんがありました。
毎朝、お地蔵さんに手を合わせてから保育園に行くのですが
そこには、小さな折り鶴を瓶に詰めたお供物がありました。
ある日、朝食のいちごジャムの瓶がカラになった時
息子が、ちいさな手裏剣を20個ほど折って瓶にぎゅうぎゅうに詰め
お地蔵さんにあげたいの、と言いました。
まだ字の書けない息子と手を重ねて油性ペンを握り
マスキングテープに「おじぞうさんへ」と書いたのを覚えています。
瓶のフタに貼り、お地蔵さんの祠へ置きました。
きっとそれは
お地蔵さんのお世話されているそこの町内の方が
しばらくしたらご処分なさるだろうと思っていました。
でも今日、それがまだあったんです。
10年…
車で通りかかったら
それが見え、思わずブレーキを踏んで車をとめてしましました。
青い手裏剣は少し色あせて
油性ペンの文字はほぼ読めなくなり
瓶のフタは錆びていましたが
そこに在りました。
びっくりして、懐かしくて
今度来た時にはもうないかもしれないから
車から降りて写真に撮りたいと、まず思いました。
でも、でも、なんかそれができませんでした。
なんでしょう、
なんというか、
しばらく迷ったのだけど、ドアを開けられずにしばらくいました。
当時、いろんな迷いの中で
余裕もなく必死に子を育てていた自分と無邪気な息子が10年前にここに置いた瓶
今ドアを開けて、そんなものにそっと触れたなら
なんというか、センチメンタリズムの濁流にあっという間に飲み込まれて溺れてしまうような気がして
車の中からそれをしばらく眺めて、、、そしてそのままドアを開けずに発車しました。
写真撮らんのかい、なんやそれ。笑
フツーに撮ったらいいのに。
あの頃、もっと無理してでも
あんなこともこんなことも
もっともっともっとしてやればよかった、
というのは、きっと誰でも思うのかもしれないね。
帰って、息子に
「お地蔵さんにお供えした手裏剣の瓶を覚えているか」
とたずねると、
めんどくさそうにひとこと
「覚えている」と答えました。