阪口直人の「心にかける橋」

衆議院議員としての政治活動や、専門分野の平和構築活動、また、趣味や日常生活についてもメッセージを発信します。

私の「政治参加」のきっかけ

2006年09月09日 21時26分51秒 | 政治
 「具体的な政治参加」についてのご質問、ありがとうございます。

 首藤信彦前衆議院議員は、行動する学者として危機管理、平和構築などの分野で活躍しており、この分野のエキスパートとして有名でした。間接的に様々な接点があり、2000年衆議院選挙への挑戦も応援していました。

 仕事の関係で選挙自体を手伝うことはできませんでしたが、開票速報によって当選されたことを知りました。日本政府のカンボジア派遣選挙監視ミッションの仲間で首藤氏の選挙を手伝っていた松浦香恵さんに祝福の電話をしたところ、政策秘書を探していて、チャレンジすることを勧められたのです。

 政策秘書は3人の公設秘書のひとりですが、唯一国家資格なので、衆議院が実施する資格試験に合格し、さらに国会議員に採用されなくてはなれません。ところが、本当に幸運なことに、多くの優秀な志願者の中から、私が採用されました。官僚出身者や、研究者のようなより専門性の高い方々が数多く応募していましたが、共通するテーマで国際協力活動を行っていたことから、同志的な雰囲気を感じて頂いたことが要因だったと思っています。

 首藤議員の秘書として勤務したのは2003年の衆議院選挙に立候補するまでの3年間ですが、国会の秘書仲間と比較してもかなりユニークな、そして恵まれた環境で活動していました。

 毎日議員会館に通い、政治活動のサポートをさせて頂く傍ら、首藤氏が設立したNGO、インターバンドの事務局長も務めていました。世界各国の紛争地での選挙監視活動をミッション責任者として率いたり、カンボジアでの除隊兵士支援活動のプロジェクトや、紛争解決などに関する様々な国際会議にも関わらせて頂きました。

 私は、政局や国会対策、また選挙に精通している秘書ではありませんでしたが、永田町の論理で動く政治ではなく、「現場の問題意識を政治活動につなげる」本来あるべき政治の在り方を追求する首藤議員をサポートできたことは、本当に貴重な経験でした。
 
 首藤議員の国会事務所は、大学の研究室、またはNGOの拠点のような雰囲気で、多くの活動仲間として、学生、研究者、NGO活動家、ジャーナリストなどが集まっていましたが、私は、そんな方々の窓口も務めていました。首藤議員の指示・指導で「質問主意書」の草稿をまとめる役割を担っていましたが、様々なNGOの方々から、国会質問や質問主意書を行うことでそのテーマを取り上げてもらえないかとよく相談され、国会以外の場所でも一緒に作戦を練ったり勉強会に参加していました。このような付き合いからも多くを吸収することができました。
 
 大学教授をしながら、NGO活動、政治活動、執筆活動を行っていた首藤氏は、組織の在り方として、行動する小集団「バンド」に注目していました。人類が最初に作った組織は、狩りをするグループだそうです。狩りではひとりが何役も同時にこなしながら、その時々に応じた役割を果たしていくことが必要です。一緒に政治活動を行うためには「2足のわらじ」どころか、3足でも4足でも同時に履き、常に現場を歩いて徹底的に勉強するのが当たり前! という首藤氏の考え方は、オシム日本代表監督の言う「考えて走るサッカー」の思想とも共通しているかもしれません。驚くべきことは、本人が、独自のフィロソフィーを持った監督でありながら、常に前線で体を張るプレーヤーでもあることです。
 
 首藤議員と比較すれば、学識も、ビジョンも足元にも及ばず、十分に期待に応えることは常に難しかったのですが、その精神からは本当に多くを学びました。 

 また、現場の問題意識を持った普通の市民が、誰でも国会議員にチャレンジできる政治を作ろうという首藤氏の考え方を私も自然に共有していました。自分には及びもつかないと思っていた衆議院議員選挙に立候補するチャンスまで掴むことができたこと、それは首藤氏との出会いがなければありえませんでした。

 皆さんも「政治参加」したくなったのでは!?


 あ、そう思って頂くためには私も結果を出さなくてはなりませんね!


 写真:総選挙に向けた出陣式にて(2005年8月)  

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