阪口直人の「心にかける橋」

衆議院議員としての政治活動や、専門分野の平和構築活動、また、趣味や日常生活についてもメッセージを発信します。

新庄劇場、涙の終幕

2006年10月27日 22時45分14秒 | スポーツ
 北海道日本ハムファイターズが中日を圧倒して優勝。44年ぶりの日本一になりました。私は阪神以外のセ・リーグ球団が出場した時は、例外なくパ・リーグを応援するのですが、今回はひときわ熱心に日本ハムを応援しました。それは、何といっても「タイガース出身」新庄剛志の最後の舞台だったから。そして、ファイターズが地域と密着して盛り上がっている姿に感動したからです。札幌ドームの応援は本当にすごかったですね。ファンの大声援が選手にとっての絶大な力になることを、改めて感じました。札幌地区の最大瞬間視聴率73・5%という数字にも驚きました。
 私は以前、イチローや松坂を観たくて東京ドームに日本ハムの試合を観に行ったことがあります。地域に根づいている感じでもなく、同じ本拠地の読売とのあまりの差に、いつも選手が気の毒に思えてなりませんでした。しかし札幌移転後、北海道の象徴として明るさ、そして感動をもたらしたファイターズが持つ「価値」は、遥かに大きなものになったように思います。

 さて、1985年の優勝から2003年に再び優勝するまで18年を要したタイガースですが、一度だけ、優勝に大きく近づいたことがありました。それは1992年。新庄が鮮烈なデビューを飾った年でもあります。その年、私は会社を辞め、快進撃を続けるタイガースに後ろ髪を引かれながらも国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)の選挙スタッフとしてカンボジアに赴任。ベトナム国境地帯の秘境・ラタナキリ州で活動していました。毎日の活動を終えた後、短波ラジオでNHKニュースを聞いてはタイガースの勝敗に一喜一憂していましたが、そのうち、ラジオが壊れて何の情報も入らなくなりました。ペナントレースが終わって1ヶ月近くたった後、停戦監視員の自衛官の方からもらった新聞で優勝を逃したことを知った時は本当に力が抜けました。

 まだ20歳だった新庄。10年以上はタイガースの中心打者、そして看板選手として活躍してくれると期待したのですが、彼の活躍は、期待と想像を遥かに超えた、全然違う方向にブレークしたのは誰もが知る通りです。いつも華のある笑顔でチームを鼓舞した新庄が最後は号泣。何だか出来すぎたドラマを観ているような究極のハッピーエンドでしたね。センターからのレーザービーム送球、そして、宇宙遊泳のようなスーパーキャッチ。さらに読売戦での敬遠球のサヨナラ打。私にとっての新庄の記憶は、何と言っても暗黒時代のタイガースをひとりで照らした太陽のような存在感でした。これからの活躍も、ずっと応援していきたいと思います。あ、自民党から参議院選挙に出るなんてことがない限りはね! 

胴上げされる新庄剛志選手(毎日新聞HP記事より)


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