阪口直人の「心にかける橋」

衆議院議員としての政治活動や、専門分野の平和構築活動、また、趣味や日常生活についてもメッセージを発信します。

不都合な真実を直視することの難しさ-安倍談話と『撫順の奇跡』に学ぶ

2015年08月15日 19時23分01秒 | 政治

 今日は70回目の終戦記念日。先の大戦で苦難を味わった全ての国の方々への哀悼の思いを改めて心に刻んだ。天皇陛下が『先の大戦に対する深い反省』と初めて言及したことに大きな意味があると思う。

 さて、昨日の安倍総理の戦後70年談話を繰り返し読みながら思うことは、不都合な事実を直視し、その本質(真実)を認めることの難しさだ。侵略された側、被害を被った側の立場に徹底して立ってこそ、未来志向の関係を築く一歩になると思い、様々な外国メディアがどのように報道しているのか注視していた。安倍総理は『侵略』『植民地支配』『痛切な反省』『心からのおわび』の4つのキーワードを入れて無難な内容にまとめていたが、不都合な事実を直視する姿勢が欠けていたため侵略された側の心に響くメッセージになっていないと痛感。お詫びを『引用』という形にしたのでは、安倍首相の本心ではないと国際社会には見透かされてしまっている。これまでの言動との矛盾を最小限にするためスピーチライターが頑張った跡は随所に見られたけれど。

 植民地支配、侵略戦争を起こしたことを認めておきながら、戦後生まれの世代に「謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」という表現には違和感を覚える。以前、ドイツとフランスの大使にヒアリングをして国民の和解について話を聞いたことがある。この両国は第二次大戦後、数百万人の若者が対話プログラムに参加。過去を直視し、未来に向けた行動について話し合っているという。これぐらいやってもまだまだ続けるべきと、双方の大使が言っていたことが印象的であった。歴史の事実は事実として、ありのままに受け止めるしかない。

 さて、私自身はこれまで様々な戦争に関する記念館や博物館を巡ってきた。海外ではナチスドイツの人道への罪を記したポーランドのアウシュビッツ博物館やワシントンのホロコースト博物館、カンボジアのツール・スレン虐殺博物館。異色の場所としては北朝鮮の祖国解放戦争勝利記念館。また、国内では知覧特攻平和会館、広島平和記念資料館、長崎原爆資料館、沖縄県平和祈念資料館、ひめゆり平和祈念資料館などに何度も通った。

 以前、旧満州国における侵略の歴史を直視しなくてはとの思いで、ハルビンの侵華日軍731部隊罪証陳列館や安重根義士記念館、長春(旧新京)の偽満州国皇宮、瀋陽(旧奉天)の918歴史博物館、旅順の203高地、撫順の撫順戦犯管理所や平頂山殉難同胞記念館などをまわったことがある。

 中国東北地方は、全く他の観光客には会わない旅。ここで感じたことは、自分たちの負の歴史に向き合うのは本当に難しいものであること。日本の侵略、虐殺行為については徹底的に描かれているけれど国民党との内戦や大躍進、文化大革命、天安門事件などは全く展示されていない。ただ、グロテスクな展示は思ったほど多くなく、表現も思っていたより抑制的な展示も少なくなかった。プロパガンダ色が強すぎると信ぴょう性を失わせるとの配慮もあるのかもしれない。

 その中でもっとも印象的だったのは撫順戦犯管理所旧址であった。終戦後の1950年シベリアに抑留されていた日本人「捕虜」(元日本軍将兵)の中から中国で重罪を犯したとされる969人が旧ソ連から中国に「戦犯」として移管され、収容していた場所。満州国の皇帝・溥儀も収容されていた。これまで見た戦争を展示した博物館の中で、一番心に突き刺さる場所であり、希望を感じる場所でもあった。

 何千人もの部隊を率いて虐殺に関わった中将クラスの軍や警察の高官、また731部隊で人体実験をしていた戦犯の生活が、その名前や経歴、罪状とともに詳しく展示されていて、その人たちが生まれ変わっていく姿が克明に記録されている。もちろん、戦犯、看守ともに大きな反発、そして大変な試練もあった。自分を除く家族7人全員が日本軍に殺されたという看守は、どうして自分が戦犯の世話をしなければならないのかと泣き叫んで訴えたという。

 しかし、周恩来首相は「ひとりの死亡者も脱走者も出さないように」と通達。人道的な配慮によって戦犯を生まれ変わらせるモデルケースにしようと断固とした政治の意思を貫いた。

 戦犯管理所での一日3時間ずつの学習、労働、そして運動。さらに芸術やレクリエーションなど様々な創造的な活動もあってシベリア抑留で消耗し切った戦犯たちが元気になっていく。若くない人々も多いが、運動によって健康的な体格に変わり、表情が生き生きと変化していく様子も記録されている。

 芸術活動や、リレー、騎馬戦、組体操など体育祭の様子、また、中国各地を回っての被害者家族との交流、そして罪の告白や、お互いへの罪状の証言、さらに裁判での様子なども記録されている。誤りや誤魔化しがないようにお互いの罪状を厳しく告発し、厳密な裁判で裁かれる。しかし死刑や無期懲役はなく、10年ぐらいの管理所生活の後、長くてもプラス数年で恩赦されていく。

 戦犯たちは帰国後も『中国帰国者連盟(中帰連)』を結成し、日本に帰っても平和活動に尽力。収容所の『恩師』たちや仲間との友情が生涯続いた様子も写真で紹介されている。同じ場所に収容されていた溥儀の釈放が決まった時、みんなにが胴上げして祝福している様子なども残っている。

 この試みには中華人民共和国という新生国家の優越性を示す政治的目的があったことは言うまでもない。それにしても、戦犯たちの写真のイキイキした表情やその後の生き様を見ていると、この戦犯収容所は、国家や体制、また過去の不幸な歴史を乗り越えた『撫順の奇跡』という形容が決して的外れではない場所だったと実感する。

 日本ではあまり知られず、見応え十分な立派な展示でありながら訪れる人がとても少ないこと、また、帰国した戦犯を、洗脳されているだけと批判する勢力も相当あったと聞いて残念で申し訳なく思った。しかし、世界各国の戦争記念館を訪れた中でも最も印象的な場所であったことは間違いない。

 同じ撫順に平頂山殉難同胞記念館があり、日本軍によって虐殺された人々の人骨が生々しく展示されていることも相まって、この場所を知り、その手法と精神を学ぶことは、和解の実現と未来志向の関係を作る上で大きなヒントになるとも感じている。


恩赦が決まった溥儀を胴上げする戦犯たち


収容所のあらまし


戦犯のひとりで、後に帰国者連盟会長になる藤田茂元中将


731部隊で病原菌を培養し人体実験を行った戦犯


中国東北地方における抗日の象徴的存在とされる女性と女性を殺害した戦犯


家族を殺された看守の葛藤


入浴する戦犯たち


管理所内の運動会でのリレー競争


組体操を行う戦犯たち


運動会での様々な様子


文化祭の様子


戦犯が版画で描いた日本軍の虐殺


戦犯が版画で描いた日本軍の行為


戦犯による家庭訪問


管理所での溥儀


『恩師』としての看守との交流


戦犯を訪問した家族との交流


罪状を告白する藤田茂元中将


周恩来首相を訪問する藤田茂中国帰国者連盟会長


今も残るバスケットボールのコート


釈放後の中国との交流 


撫順の平頂山記念碑前で

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