赤い椅子

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宵宵山へ

2009-07-17 21:16:00 | ノンジャンル
京都へは何回も遊びに行くけれど、祇園祭というと
行きたい、見たいは山々だけれど、暑いでしょう!人ごみでしょう!
…そんな感じで敬遠をして何年もすぎました。
デパートの友の会が祇園祭を見るツアーをしているのを見つけ
申し込んだところ、応募多数で抽選でしたが、1行4名当選!
15日、初めての祇園祭見物が実現というわけ(^_-)-☆

祇園祭は八坂神社のお祭りで、平安時代、貞観11年、(869年)京の都や
全国各地に疫病が流行り、当時、人はこれを牛頭天王(ごずてんのう)の
祟りであると恐れ二条城の南にある神泉苑に、当時の国数66本の鉾を立て、
祇園の神を祭り、神輿を担いで疫病退散を祈願したのが起源だという。
現在は32の山鉾が戦乱と火災にあいながらも守り継がれている。

まず四条通りを歩くと函谷鉾、月鉾に出会う。



月鉾は鉾頭に三日月が付き屋根裏には丸山応挙の草花図、前掛には
メダリオン絨毯などすべてが本祭りには豪華に飾りつけられるそうだ。

暑い、暑いを連発しながら新町通りに入り、昼食の予約場所である
町屋のおばんざい屋さん「百足屋」へ集合。
町屋の良さを残しながら改築したらしい格子天井の広間で、
祇園祭や粽のいわれを当主からお聞きしたあと食事。


















次に京都の町屋の歴史的資料でもある紫織庵へ歩いて5分ばかり。
この館内では大正時代に流行した、町家の「屏風飾り」を見るという
楽しみがある。

江戸中期の洛中洛外図屏風をはじめ、普段は美術館でガラス越しにしか
見れない当家所蔵の屏風や骨董品を見せてもらう。















この洛中洛外屏風は撮影禁止なので、紫織庵のHPからお借りする。
他にも建物全体、骨とう品など京都の商人の底力を見た気がする(^_-)-☆

百足屋あたりまで戻り、南観音山の中に入り見学できるというので上る。
4畳半くらいの空間に本祭りには何人の囃子方などが乗るのだろうか?



目の前で見た南観音山の下水引の「飛天奉楽」 加山又造原画

これも加山又造原画の「竜王渡海」の見送り
















南観音山の本尊楊柳観音。



山鉾と一口に言うけれど鉾と山に分かれるそうだ。
月鉾、長刀鉾のように鋒頭まで20Mほど長くて車輪を持つのが鉾。
屋根に真松と朱大傘がたち、神輿のように担ぐのが山だそうだ。
南観音山は鉾のように車輪を持つ曳山だが真木には松をもちいる。


各鉾や山は見送りや前懸、胴懸に丸山応挙、加山又造など超1流の画家の
下絵をつづれ織りやゴブラン織りにした絢爛たるもの。
ご本尊やこれら懸装品が宵山には展示されて真近で見れるからすごい!

暑い暑いと口をパクパクさせて近くで見かけた喫茶店に入る。
これもまた町屋で蔵か何かを改装した豪装な梁のある部屋。
和風小物やTシャツなどを展示販売する店や屋台がどんどん増えていく。
夕方近くになり浴衣姿の若い人や子供が多くなる。

珍しい船の形の船鉾
















傘の形の綾傘鉾



この傘鉾の町内の子供たちが太鼓や鐘の演奏をし、獅子が蜘蛛に襲われる
踊り(?)を見せていた。何かのいわれがあるのだろうが、
子供たちがこの伝統を継承していくと思うとほほえましく拍手!
















池坊の短大で抹茶の接待があるというので休憩に。ついでに花展も見る。

そろそろ疲れも頂点へ来たようだ。夕飯を軽く食べて帰ろうか?と
言い出したのが7時ごろ。食事を済ませ各々の駅に向け解散が8時半。
帰宅10時半。あるいた歩数16000歩!

日本3大祭りのひとつの祇園祭。
さすが織物の街、京都で守られ継承されてきただけあって、見事な織物や
装飾品を見、伝承された屏風などの芸術品に圧倒された。
京都の町人の、商売人の底力を見せつけられた1日。



コメント (2)
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