赤い椅子

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「山村留学」

2011-08-01 22:04:00 | ノンジャンル
古い話ですが、昭和60年度の6年生の1年間を息子が山村留学をしました。
当時のNHKで「新日本紀行」という番組があり、僻地で児童数が少なくて
間もなく廃校になるという和歌山県かつらぎ町新城という地区が、
村中の協力を元に里親制度の山村留学を始めるという
ドキュメント番組でした。
「峠の向こうの小学校」というタイトルで、村が全力で取り組むこの制度の
紹介と豊かな自然に満ちあふれた山や川を写しました。

その後新聞に里親さんを囲んでの子供たちの写真と記事が出て、
思うことがあり息子に話したら「行ってみたい」という返事。
見学に出向いた学校の上の畑に柿の木があり、そこに残っていた熟柿を
食べて甘かった思い出があるので12月初めのころだったのでしょう。
当時の区長さんの奥様に出会い、親しく話をさせて頂き、学校のこと、
里親制度のことなど詳しく聞き、すぐに春からの転入を申し出ました。



幼かった息子のアルバから、また撮りをしたのでボケていますが…

転入に当たり、地元の学校のクラスメートたちがサッカーボールに
寄せ書きをして送ってくれました(^_-)-☆




学校は坂の上にあり、木造校舎が懐かしい2階建てです。

4月、対面式を終え、井上さんのお宅に世話になることに決まった息子と
4年生の東大阪から来た大輔君の2人は、これから兄弟のように暮らします。
井上さんのおじいちゃんは海軍出身、おばあちゃんはいつもニコニコした
優しい人でした。いま思うと70歳は越えていたと思いますが、
腕白盛りの男の子を2人、大変な覚悟でお世話をして下さったと思います。

約3㎞の道を毎日峠を越えて通学です。雨の日も風の日も
頑張って通ったことでしょう。
当時、6年生は9人(男子5人、女子4人)で5年生(確か2人)との
複式学級でした。

いろんな思い出がありますが、留学してようやく1ヶ月経った5月の連休に
参観日があり、どんなにその日を待ち遠しく思いながら新城へ
駆けつけた事だったか…
日に焼けた元気な息子が、少し照れながら駈けてくる姿に思わず涙ぐみました。

夏休み前には湯子川でキャンプがあり、家族そろって行きました。
贅沢に大きなキャンプファイヤーを囲みました。そして夏休みは帰宅。


夏はカブトムシ取りに早朝から出かけたり、川遊びをしたり、秋は芋堀りや
稲刈りの手伝い、冬は雪橇…いっぱい楽しい思い出があるでしょう
春3月の卒業式にはテレビ局や、新聞が取材に来て賑やかでした。
村の人たちの暖かい心のこもった手作りの卒業式でした。



若かったころのmamaGONと息子の記念写真で~す(^_-)-☆
卒業式の後、夕食を済ませて真っ暗な田舎道を帰る我々の車を、
何時までも手を振って見送ってくれたおじいちゃん、おばあちゃんの姿を
振り返った息子が突然大声で泣き出したのには驚きました。
人との別れ、人の真心が子どもの心に沁みたのでしょう!
1年間、手元から放して、お世話になってよかった…と思った瞬間でした。

思えばこの1年は家族にも大変な年でした。
夫は狭心症で入院、手術(ちょうど御巣鷹山の事故の頃でした)、秋には私が
頸椎のヘルニアで右手がしびれ、痛み、動かなくなって2ヶ月あまり入院。

数々の出来事が一度に来たような年でした。

そして先日の7月30日、来年3月には町教育の改革により廃校になる
新城小学校へ卒業生や父兄が集まり「山村留学の集い」がありました。
その時の模様はまた書きます。なんだか長なが書きすぎましたね~
実は30日の写真を何時ものようにパソコンに取り込んだのに、
アップが出来ないようなんで、すごいショックです(;一_一)


コメント (2)
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