以前『ダヴィンチコード』の原作を読んだ時に掲示板の方で披露したネタですが、当時の掲示板のログは既に消えてしまいましたし、何より私自身が気に入ってるネタなので、映画版公開を期にもう一度披露させていただきたいと思います(^^;)
『徽宗密碼』
北宋末期の皇帝にして偉大なる芸術家・徽宗の画に秘められた謎とは?
徽宗はなぜ執拗に殷周時代の青銅器を収集しようとしたのか?
北宋を滅ぼした金はなぜ徽宗父子を拉致し、彼の青銅器コレクションを持ち去ったのか?
元末の白蓮教の領袖・韓山童、韓林児父子はなぜ徽宗の子孫と称したのか?
武則天が中国唯一の女帝となることができたのはなぜか?
鄭和の大航海の真の目的とは?
現代中国の模範兵・雷鋒はなぜ若くして死なねばならなかったのか?
そして、太古の殷周革命に隠された謎とは?
すべての謎が、いま解き明かされる!
中国美術の研究者にしてカンフーマスターの主人公は助手の武女史とともに、『桃鳩図』など徽宗のものと伝えられる絵画を調査しているうちに、徽宗が「克殷九爵」と呼ばれる九つの爵を収集していたことをつきとめる。
「克殷九爵」とは、その昔周の武王が殷王朝を滅ぼした時に、周王室に伝わる九つの武功の型を器の内側に絵文字にして鋳込んだ爵で、(青銅器に鋳込まれた絵文字、いわゆる図像記号については
こちらを参照。)このような強力な武功があったればこそ、周は強大な殷王朝を打ち倒すことができたのである。
その後「克殷九爵」は所在がわからなくなったが、北宋末になって北方の遼に対抗するための秘密兵器として徽宗が捜索させ、九つすべてを探してあてたが、爵に秘められた謎を解き明かす以前に金の侵略を受けることとなった。金は「克殷九爵」を手中に収めようとしたが、徽宗は金に拉致される以前に「克殷九爵」の手掛かりを自らの画の中に暗号として残し、徽宗の庶子が父の命により「克殷九爵」を持って民間に逃れた。その徽宗の遺児の子孫が何を隠そう韓山童・韓林児であった!彼ら父子は「克殷九爵」に秘められた武功、「克殷九功」を習得し、元末に紅巾の乱をおこした。しかし明の朱元璋が天下を統一した後、再び「克殷九爵」は所在が知れなくなった。
以来、永楽帝、乾隆帝、西太后、袁世凱、蒋介石、毛沢東ら歴代の権力者が「克殷九爵」を探し求める一方で、白蓮教の系譜に連なる秘密結社・天地会や青幇もその行方を追っていた。鄭和の大航海の真の目的は海外に流出したと噂された「克殷九爵」の捜索であった。若き模範兵・雷鋒も毛沢東の密命を受けて「克殷九爵」の捜索にあたっていたが、青幇の手の者によって軍事訓練中の事故に見せかけて謀殺されたのである。
そして現代……
首尾良く「克殷九爵」を収集した主人公に、青幇の魔の手が迫る!また九つの爵に秘められた「克殷九功」は周の武王の子孫でなければ真価を発揮できないことが明らかとなるが、(武則天は周の武王の子孫であっために「克殷九功」の真の力を発揮して皇帝の位につくことができたが、韓山童・韓林児父子は「克殷九功」を完全にはマスターすることができず、天子となることができなかった。)主人公の助手である武女史が実は武則天、ひいては周の武王の子孫であった!「克殷九爵」と武女史の身柄をめぐり、主人公と青幇の手練れとの血戦の幕が今まさに開かれようとしている!
……ここまで書いて、このネタは掲示板のログ消滅とともに封印しておいた方が良かったんじゃないかという気がしてきましたが、実際のところ、『ダヴィンチコード』もこのレベルの妄想をネタにした小説ですよね……