遠藤秀紀『人体 失敗の進化史』(光文社新書、2006年6月)
生物の進化というものは目的に応じて器官を新たに作り出すのではなく、別の目的で発達した器官を「取り敢えず」流用し、変化させることによって果たされる。進化とは地上での生活への適応や二足歩行の獲得といった遠大な目標に向かって計画的に進められるものではなく、手近な環境に適応するために行き当たりばったりで行われるものである。本書はこういったことを多くの事例の紹介によって説明しています。
例えば哺乳類の耳小骨は元々顎の関節の骨だったとか、脊椎動物の骨は最初は体内にカルシウムを蓄えるためだけに作られた器官だったとか、ヘソは実は卵生の動物にもあって、卵の黄身をためこむ卵黄嚢につながっているとか、二足歩行の実現によって人間は肩こりや冷え性、ヘルニアなど様々なトラブルを抱えるようになったとか、「へぇー」と思うような解説を読み進めているうちに、我々が「進化」や「恐竜」といった言葉に何となく抱いていた夢や壮大なロマンがぶち壊されていくこと請け合いです(^^;)
生物の進化というものは目的に応じて器官を新たに作り出すのではなく、別の目的で発達した器官を「取り敢えず」流用し、変化させることによって果たされる。進化とは地上での生活への適応や二足歩行の獲得といった遠大な目標に向かって計画的に進められるものではなく、手近な環境に適応するために行き当たりばったりで行われるものである。本書はこういったことを多くの事例の紹介によって説明しています。
例えば哺乳類の耳小骨は元々顎の関節の骨だったとか、脊椎動物の骨は最初は体内にカルシウムを蓄えるためだけに作られた器官だったとか、ヘソは実は卵生の動物にもあって、卵の黄身をためこむ卵黄嚢につながっているとか、二足歩行の実現によって人間は肩こりや冷え性、ヘルニアなど様々なトラブルを抱えるようになったとか、「へぇー」と思うような解説を読み進めているうちに、我々が「進化」や「恐竜」といった言葉に何となく抱いていた夢や壮大なロマンがぶち壊されていくこと請け合いです(^^;)
わたしも、なんかつうじょうの?史學のえんちょうで、
しぜんじんるいし、ちきゅうし、せいぶつしにもきょうみがおよんできました。
ごしょうかいのほんもよさそうですね~!