王明珂『華夏辺縁 歴史記憶与族群認同』(社会科学文献出版社、2006年4月)
本書は1997年に台湾で出版され、今回私が読んだのはその簡体字版となります。内容は羌など「中国」辺境の族群に焦点を当てたもので、『左伝』などに見える王朝や諸侯の祖先神話を史実、もしくは何らかの史実を反映したものではなく、あくまでも「歴史記憶」「社会記憶」として見ていくというのが特色となります。
「歴史記憶」「社会記憶」というのは、当事者が諸々の都合によりそういうことにしておきたかった歴史、あるいは当事者にとってそうだったら良かった歴史です。この考え方によれば、周代の呉が太伯・仲雍の子孫と称したのも、殷王室と周王室がともに帝嚳の子孫とされたのも、匈奴が夏后氏の苗裔と称したのも、朝鮮があるいは箕子の子孫と称し、あるいは檀君の子孫と称したのも、すべてある時点で当事者が選択・創作した「記憶」というわけです。
この考え方は戦国武将が源氏や平氏の子孫と称した背景とか、日本史でも応用が利きそうです。
その他のポイントとしては、土器の形態を中心とした考古学文化を民族性と結びつけ、一考古学文化が一民族に対応するとするような考え方をすっぱり否定したり、羌は民族名ではなく、華夏が西方の異族に対して抱いていた概念であり、殷代以後、華夏が西方に進出するにつれて羌の生息範囲も河南西部・山西南部・陝西東部から甘粛南部・四川北部へと言った具合に西方へと移動していったというあたりの分析が面白いです。
特に考古学文化と民族性については、この方面については素人なもんで、今まで「夏文化」とか「先周文化」に関する研究を読んでそういうもんかと思っていましたが、(あと、今学期受けた考古学の講義も素で考古学文化と民族を結びつけてた。)本書での議論だけではなく、考古学専攻の留学生に聞いてみても、かなり問題のある考え方であるようです……
本書は1997年に台湾で出版され、今回私が読んだのはその簡体字版となります。内容は羌など「中国」辺境の族群に焦点を当てたもので、『左伝』などに見える王朝や諸侯の祖先神話を史実、もしくは何らかの史実を反映したものではなく、あくまでも「歴史記憶」「社会記憶」として見ていくというのが特色となります。
「歴史記憶」「社会記憶」というのは、当事者が諸々の都合によりそういうことにしておきたかった歴史、あるいは当事者にとってそうだったら良かった歴史です。この考え方によれば、周代の呉が太伯・仲雍の子孫と称したのも、殷王室と周王室がともに帝嚳の子孫とされたのも、匈奴が夏后氏の苗裔と称したのも、朝鮮があるいは箕子の子孫と称し、あるいは檀君の子孫と称したのも、すべてある時点で当事者が選択・創作した「記憶」というわけです。
この考え方は戦国武将が源氏や平氏の子孫と称した背景とか、日本史でも応用が利きそうです。
その他のポイントとしては、土器の形態を中心とした考古学文化を民族性と結びつけ、一考古学文化が一民族に対応するとするような考え方をすっぱり否定したり、羌は民族名ではなく、華夏が西方の異族に対して抱いていた概念であり、殷代以後、華夏が西方に進出するにつれて羌の生息範囲も河南西部・山西南部・陝西東部から甘粛南部・四川北部へと言った具合に西方へと移動していったというあたりの分析が面白いです。
特に考古学文化と民族性については、この方面については素人なもんで、今まで「夏文化」とか「先周文化」に関する研究を読んでそういうもんかと思っていましたが、(あと、今学期受けた考古学の講義も素で考古学文化と民族を結びつけてた。)本書での議論だけではなく、考古学専攻の留学生に聞いてみても、かなり問題のある考え方であるようです……
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