本郷和人『選書日本中世史1 武力による政治の誕生』(講談社選書メチエ、2010年5月)
以前読んだ同じ作者の『人物を読む日本中世史』が面白かったので、こちらも読んでみることに。とても気になるポイントが多いです……
○源氏と平氏は不倶戴天の敵同士というわけではなかった。善の源氏VS悪の平氏という構図をつくったのは『吾妻鏡』であり、『平家物語』は平家を単に滅びゆく者と見なしているのみ。
……先日読んだ『源平合戦の虚像を剥ぐ』ではオビに「平家物語史観を乗り越える」とありましたが、乗り越えるべきは平家物語史観ではなく、吾妻鏡史観だったようです。
○鎌倉幕府は平清盛の「福原幕府」を継承したものである。清盛が朝廷から権限をもぎ取っていく様を見た源頼朝ら他の武士達は、「朝廷に不満があるなら武力蜂起したっていいんだ!俺たちは天皇や貴族の支配から卒業出来るんだ!」と学習し、それを実行に移していった。
○平安時代は日本の歴史上で唯一「文」が「武」を押さえ込んでいた時代であり、その意味でもっと評価されてしかるべきである。
○武力はたやすく女・子供・老人といった弱者を踏みにじるものである。網野善彦の言う「無縁」の存在やアジールなど無い!
……何かモヒカン兵が村の長老から来年の種籾を強奪する絵面が浮かんできたんですが…… この見方が妥当だとすると、平安末期から鎌倉時代にかけてはリアル北斗の拳の世界(ただしトキとかケンシロウみたいなのは存在しない)だったということなんでしょうか。
○水戸学では南朝を正統とするが、それは南朝が滅んだ時点で天皇家の嫡流は断絶し、以後は完全に将軍・武士が天皇に成り代わって支配する世の中になったことを示すものである。後代の南朝正統論はそういった意図をよく理解していないのではないか。
……今まで今の天皇家は北朝の系統なのに、明治になってからもどうして南朝正統論なんてものが幅を利かすのか?それでは天皇家の正統性を否定するようなものではないか?と疑問に思っていたのですが、こういうことなら納得出来ます。
○平泉澄は「百姓の歴史をやりたい」という中村吉治に対して、「百姓に歴史はありますか」「豚に歴史はありますか」と畳みかけた。
……何と言うか、戦前の学者はいろんな意味でフリーダムだったんだなあと……
○戦後の日本中世史研究においては「網野まつり」がおこり、網野善彦の研究が救世主のように扱われた。しかし網野が亡くなり、「まつり」が終焉した現在、彼の業績をどう継承・評価するか扱いに困っている。
……「んなこと言われてもあんた達はまだ幸せな方だ。扱いに困る大家が1人しかいないんだから。白川静とか平勢御大とか、評価に困る大家が2人も3人もいる分野を専攻している身にもなってみろ!」とツッコミたい(^^;)
以前読んだ同じ作者の『人物を読む日本中世史』が面白かったので、こちらも読んでみることに。とても気になるポイントが多いです……
○源氏と平氏は不倶戴天の敵同士というわけではなかった。善の源氏VS悪の平氏という構図をつくったのは『吾妻鏡』であり、『平家物語』は平家を単に滅びゆく者と見なしているのみ。
……先日読んだ『源平合戦の虚像を剥ぐ』ではオビに「平家物語史観を乗り越える」とありましたが、乗り越えるべきは平家物語史観ではなく、吾妻鏡史観だったようです。
○鎌倉幕府は平清盛の「福原幕府」を継承したものである。清盛が朝廷から権限をもぎ取っていく様を見た源頼朝ら他の武士達は、「朝廷に不満があるなら武力蜂起したっていいんだ!俺たちは天皇や貴族の支配から卒業出来るんだ!」と学習し、それを実行に移していった。
○平安時代は日本の歴史上で唯一「文」が「武」を押さえ込んでいた時代であり、その意味でもっと評価されてしかるべきである。
○武力はたやすく女・子供・老人といった弱者を踏みにじるものである。網野善彦の言う「無縁」の存在やアジールなど無い!
……何かモヒカン兵が村の長老から来年の種籾を強奪する絵面が浮かんできたんですが…… この見方が妥当だとすると、平安末期から鎌倉時代にかけてはリアル北斗の拳の世界(ただしトキとかケンシロウみたいなのは存在しない)だったということなんでしょうか。
○水戸学では南朝を正統とするが、それは南朝が滅んだ時点で天皇家の嫡流は断絶し、以後は完全に将軍・武士が天皇に成り代わって支配する世の中になったことを示すものである。後代の南朝正統論はそういった意図をよく理解していないのではないか。
……今まで今の天皇家は北朝の系統なのに、明治になってからもどうして南朝正統論なんてものが幅を利かすのか?それでは天皇家の正統性を否定するようなものではないか?と疑問に思っていたのですが、こういうことなら納得出来ます。
○平泉澄は「百姓の歴史をやりたい」という中村吉治に対して、「百姓に歴史はありますか」「豚に歴史はありますか」と畳みかけた。
……何と言うか、戦前の学者はいろんな意味でフリーダムだったんだなあと……
○戦後の日本中世史研究においては「網野まつり」がおこり、網野善彦の研究が救世主のように扱われた。しかし網野が亡くなり、「まつり」が終焉した現在、彼の業績をどう継承・評価するか扱いに困っている。
……「んなこと言われてもあんた達はまだ幸せな方だ。扱いに困る大家が1人しかいないんだから。白川静とか平勢御大とか、評価に困る大家が2人も3人もいる分野を専攻している身にもなってみろ!」とツッコミたい(^^;)
そう言えば、清代史ではマンジュ語にいち早く注目した内藤湖南の再評価と、雍正帝を漢化された中華皇帝としてのみ評価した宮崎市定への反論とか見ましたよ。
学者さんは色々乗り越えなきゃイカンのですねw
そうそう。ついでに、戦争の規模も程度も低かった(これは幸運なことなんだけど)。義経が最初のパラダイムシフトで、次の蒙古襲来が本格的なターニングポイント。
>>何と言うか、戦前の学者はいろんな意味でフリーダムだったんだなあと
これは平泉澄が特別なだけなんで。フリーダムなんてもんじゃないよ、この人。一見女性みたいな名前の史学者でありながら、軍事に積極的に介入してきた(家柄と血統が良かったから出来た事)ガチガチのタカ派。終戦後、戦犯として軍事裁判にかけられなかったのが不思議なレベル。
>>扱いに困る大家が1人しかいないんだから。
いやぁ。これから第二、第三の網野が増えてくるんですよ。
この4月に刊行された『古代<中華>観念の形成』(渡邉英幸、岩波書店)の第三章で、「『穀梁伝』が戦国中山で作られた文献であり、自国を「正統」化するために、自国を中心とする領域のみを「中国」と論じていたのだとする説が存在する」とあります。
引用注が添えられていないのですが(参考文献には挙げられています)、誰の説かは言わなくてもわかるということでしょうか^^;
近日も、アイヌ民族と付き合うなか、
「この人らが、現代において、無縁の原理で生きてる、
アジールを作り出している人等かも」と実感できました。
(太田竜みたいな、「近視眼」での見方では無いつもり)
当の日本中世史では、扱いに困ってるんですね、
そこらも、もっと注目したいです。
著者としては、武士というのは今まで考えられていた以上にDQNなんだと言いたいのだと思われ。最後には攻める側と守る側のどっちが強いかという話になるんでしょうかねえ……
>師走さま
>終戦後、戦犯として軍事裁判にかけられなかったのが不思議なレベル。
裁く側に見る目を持った人がいなかったということなんでしょう(^^;) 戦後の平泉澄については、本書で伝説というかお伽噺めいたエピソードが紹介されてましたね。
>Archerさま
>誰の説かは言わなくてもわかるということでしょうか^^;
『穀梁伝』が中山国で作られたなんてことを言ってる人は世界で1人しかいませんから、わざわざ注記する必要はないということなんでしょう。そう言えば今年も『回顧と展望』の季節が近づいてきましたね。
>川魚さま
>当の日本中世史では、扱いに困ってるんですね、
よくよく読み込んでみたら根拠としている史料が見つからないとか、引用されている文献にそんなことは書いてなかったとか、そういうレベルで頭を抱えているようです……