小島毅『靖国史観 幕末維新という深淵』(ちくま新書、2007年)
今まで何となくスルーしてましたが、年末に読んだ『中国化する日本』で取り上げられていたので、読んでみることに。靖国問題がメインテーマと思いきや、靖国問題をとっかかりとして明治維新の意義について問い直すという内容で、「明治維新って、ぶっちゃけ起こらなくてもよかったんじゃね?」(大意)と、物凄い問題提起をしています(^^;)
そして薩長は幕府側に勝ったから官軍となったわけですが、その順序をねじまげて自分達が官軍(=正義)だから勝ったと解釈し、それを押し通したことが靖国問題の根源であったと説いています。すなわち靖国神社とは正義を体現する官軍(皇軍)側の犠牲者を祀る機関であり、正義が敗れるはずがないということで、靖国神社も当然皇軍が敗北するという事態を全く想定していなかった。しかし第二次世界大戦でその敗れるはずのない皇軍が敗北したことで、すべての歯車が狂ってしまったというわけです。
波田野澄雄『国家と歴史 戦後日本の歴史問題』(中公新書、2011年11月)
そしてこちらでは靖国問題を含めた歴史問題について概観。本書では割と印象的なフレーズが多かったので、以下に2~3挙げておきます。
「歴史認識の共有はほぼ不可能であるとしても、歴史資料を共有することは可能」(199頁)
たとえ違うところを見ていても、共有できるものは確かにあると。
スタンフォード大学アジア太平洋研究センターが取り組む「日中韓の教科書比較のプロジェクト」の中間報告は、日本の教科書は全般的に、戦争を賛美することに最も抑制的であるが、事実を解釈するストーリー性には欠けており、単なる年代記(クロノロジー)のようだと批評している。(273頁)
何となく日本の歴史教育は歴史用語の暗記が中心となるが、中国の歴史教育は歴史解釈の暗記が中心となるという話が思い出されます。
異質なものを絶えず同質化するというかたちでしか問題を解決できない社会は、他の問題にも同様の解決を図るであろう。(96頁)
……(´・ω・`)
今まで何となくスルーしてましたが、年末に読んだ『中国化する日本』で取り上げられていたので、読んでみることに。靖国問題がメインテーマと思いきや、靖国問題をとっかかりとして明治維新の意義について問い直すという内容で、「明治維新って、ぶっちゃけ起こらなくてもよかったんじゃね?」(大意)と、物凄い問題提起をしています(^^;)
そして薩長は幕府側に勝ったから官軍となったわけですが、その順序をねじまげて自分達が官軍(=正義)だから勝ったと解釈し、それを押し通したことが靖国問題の根源であったと説いています。すなわち靖国神社とは正義を体現する官軍(皇軍)側の犠牲者を祀る機関であり、正義が敗れるはずがないということで、靖国神社も当然皇軍が敗北するという事態を全く想定していなかった。しかし第二次世界大戦でその敗れるはずのない皇軍が敗北したことで、すべての歯車が狂ってしまったというわけです。
波田野澄雄『国家と歴史 戦後日本の歴史問題』(中公新書、2011年11月)
そしてこちらでは靖国問題を含めた歴史問題について概観。本書では割と印象的なフレーズが多かったので、以下に2~3挙げておきます。
「歴史認識の共有はほぼ不可能であるとしても、歴史資料を共有することは可能」(199頁)
たとえ違うところを見ていても、共有できるものは確かにあると。
スタンフォード大学アジア太平洋研究センターが取り組む「日中韓の教科書比較のプロジェクト」の中間報告は、日本の教科書は全般的に、戦争を賛美することに最も抑制的であるが、事実を解釈するストーリー性には欠けており、単なる年代記(クロノロジー)のようだと批評している。(273頁)
何となく日本の歴史教育は歴史用語の暗記が中心となるが、中国の歴史教育は歴史解釈の暗記が中心となるという話が思い出されます。
異質なものを絶えず同質化するというかたちでしか問題を解決できない社会は、他の問題にも同様の解決を図るであろう。(96頁)
……(´・ω・`)
自分も二十年くらい前から同じこと思ってるから困る。なので、この前NHKが流してた『龍馬伝』も全部はみなかった。
>日本の歴史教育
『もっと現場に自由がほしい』(裁量権をよこせ)という主張を十年前からよく眼にしますね。要するに「改革しろ、改革してやるから改革させろ。」という言葉ですか。まあ、何も変わらないところをみると、日本はまだまだ安定して安穏と出来る国なんですよね。
まあ、確かに幕末の幕吏も出来る限りの仕事はちゃんとやってたわけですし、逆に明治維新が起こらなきゃ実現していたかもしれないこともたくさんあるんじゃないかと思いますね。