yabanjin-soulのTシャツ魂

ロック魂を手描きで表現するyabanjin-soulのたわごと・ひとりごと

母のこと。

2017年07月29日 | たわごと、ひとりごと
亡き母の話が出たので、ついでにもう少し母のエピソードを。

*  *  *

彼女は、高校時代に友達に誘われキリスト教の教会を訪れたのがきっかけで、そこの絢爛豪華さに心を打たれキリスト教にはまったらしい。

「絢爛豪華な教会」というから、きっとカトリックだと思うんだけど、

ボクが物心つく頃には「エホバの証人」の冊子を定期購読している様子があったり、

プロテスタント系の各種のキリスト教の雑誌があったり、

キリスト教以外にも「創価学会」や真言宗等の各種仏教なんかの人たちとも交流を深めてたりしていた様子があった。

身近な存在ではなかったのでさすがにイスラム教には染まらなかったみたいだけど、

つまり、

彼女はいわゆる強烈な「宗教オタク」だったというわけ。

*  *  *

宗教自体は、確かに教えとしてはそれぞれ良いことを言っているんだけど、

問題なのは、それぞれの宗教団体の維持のために「寄付金」を要求すること。

宗教団体は数々あれど、そこらへんはすべて共通していることが母のおかげで理解できた。

団体になってしまうと、その組織の維持のために金に執着してしまうんだなということが本当によく分かった。

*  *  *

ボクが育った実家は相当な貧農家庭で、「寄付」する余裕なんてなかったのにもかかわらず、母はそういう宗教団体に寄付するものだから、その件で父との喧嘩が絶えなかった。

というか他にも問題がいろいろと山積している家庭だったから「宗教」もそういう問題の一つに過ぎなかったわけだけれど。

*  *  *



ある日、ひどいけがをしたにもかかわらずある宗教の教えの関係で輸血を拒否した母は、結局それが元で糖尿病になってしまい、最後の方には毛細血管が詰まるので失明してしまったり足の指なんかが壊疽したりしたりしてしまって歩けなくなったりしてしまった。

だけど、

そうなっても「宗教」に対する思いはあまり変わらなかったようで、

遠く離れて暮らすボクに「死んだら棺桶に入れてほしい」と、

もう読めなくなった旧約聖書と新約聖書をボクに預けたりした。

彼女にとって、家族の中で唯一その頼みごとを聞いてくれそうだったのがボクだけだったんだろうと思う。

母との約束を守り、彼女の棺桶に頼まれた本をきちんと入れてあげたけど、

宗教団体に対しては今でもあまり良い印象はない。

*  *  *

寄付や信者を広めようとしたり、教義の本を出版するような宗教団体はきっとニセモノにちがいないと感じている。

イエスキリストやブッダ、ムハンマド、孔子、ソクラテス等優れた思想家というのは自分の教義の書物なんか発行したりして金集めなんてしていないからね。

本人たちは、目の前の困難に向き合っている人たちに応じて、

そういう人たちにとって必要な教えを説いて回ったりしただけでお金儲けにつなげようなんてサラサラ思ってなかったんだと思う。

そういう彼らの言葉の数々を忘れないようにと弟子たちがとりまとめたりしているだけで。

何時かしらそれが組織運営につなげていく商売人が絡みだしたというわけなんだと思う。

だから、

目の前の困っている人との対話の中で伝える宗教家・思想家がホンモノなんだという気がしてる。

今現在存在する新興宗教の教祖は例外なく指導者本人が相手の顔も見ずに本を書いたりメッセージを出したりしている。

そういうのはすごく胡散臭い。

教祖を神格化している現代の新興宗教をインチキだと感じているのは、

あてずっぽうなのではなく、こういう実体験を踏まえて感じていることなんだよね。

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