初めての詩集「山羊の歌」の
一番最初に収録されてる記念すべき
詩で
「春の日の夕暮」です。
「トタンがセンベイ食べて
春の日の夕暮は穏かです
アンダースローされた灰が蒼ざめて
春の日の夕暮は静かです
吁(あぁ)!案山子はないか――あるまい
馬嘶(いなな)くか――嘶きもしまい
ただただ月の光のヌメランとするままに
従順なのは 春の日の夕暮か
ポトホトと野の中に伽藍は紅く
荷馬車の車輪 油を失ひ
私が歴史的現在に物を云えば
嘲(あざけ)る嘲る 空と山とが
瓦が一枚 はぐれました
これから春の日の夕暮は
無言ながら 前進します
自らの 静脈管の中へです」
いや~、この詩は
中也が詩を作るとき、どんな心境になってるかを表してるね。
「春の日の夕暮」ってのは、きっと自分自身の心境状態なんだと思うよ。
そして、自分自身の心の奥底をみつめに行くんだ。
そうすることで、はじめて詩の言葉が生まれてくるっていうことなんだろうな。
中也は
ホントに、ホントに、
芸術のことをよく理解してるヒトだよね。
自分自身の心を表現するには
使い古された言葉の使い方じゃ駄目なんだ。
でも、自分自身の言葉でないとイケナイから
どうしても、普通に使ってる言葉を駆使しなくちゃいけない。
そこがとても苦労するところなんだよね。
実際、中也も相当苦しんだみたいだし。
でも・・・。
彼はうまく表現できてるよね。
ああ、
こんな風に表現するヒトの作品を観るのは
楽しいよね。
夜遅くまで話し合った。
最終的にはその誤解は
無事に解けたんだけど
なんか、
それまでの言葉の端々が
心に突き刺さったまま残ってる。
「考え方の違い」、
まあ、これが一番の原因なんだけど・・・。
話せば解りあえるのに、ね。
感情をぶつけられると、どうしてもこちらも平常心じゃいられなくなる。
でも、感情で返しちゃうと単なるなじりあいになっちゃうから
できるだけ、平常心を保って
彼女がホントの所、何をボクに伝えたいのかを
探るんだけど
感情にまかせた言葉ってのは
いつのまにか、心に突き刺さったままとれやしない。
最後にわかりあえたとしても。
とにかく、そんなことがあって少々落ち込んでるのも事実です。
「ウンマジノリVol.2」に行ってきました。
いろんな国のいろんな音楽や
踊りがたくさん観れて
とても楽しかったです。
「トンドックンスタジオ」の趙裕美さんが
主催したイベントで
そのスタジオを利用してる人たちが全部で26ユニット出演したみたいです。
観に行ったくせに全容がわからないのは
あんまり長いイベント(なんと、4時間!)なんで
息子が途中で悲鳴を上げたんで
途中で帰っちゃったんであります。
いろいろと楽しめたんで
満足しましたです。
この人が
主催者の
趙さんの
んで、カヤ&綾さんのユニット。
クラシックギターと二胡で
んで、最後に
和太鼓の玉露ちゃんとのユニット。
二人だけなのに、すごく迫力があったね。
カヤ&玉露ちゃんのユニットはパーカッションをまだまだ、募集してるみたいなんで
腕に自信のある人はやってみると面白いかも。
和太鼓とアフリカンドラムがすごく合ってて、
もし、これが大人数だったら、凄いことになるんじゃないかって期待しとります。
カヤは、今回、スタッフも兼ねてて
ほとんど、話らしい話ができなかったんで
それがちょっと残念だったけど
いやいや、観たこともないようなイベントが見れて
とても面白かったですなあ。