yabanjin-soulのTシャツ魂

ロック魂を手描きで表現するyabanjin-soulのたわごと・ひとりごと

お疲れさま!

2015年05月31日 | たわごと、ひとりごと
亡くなった大学時代の先輩を追悼するという目的で始まったイベント「安田祭」が今年で20回目を迎えた。

このイベントは初めのころの追悼という目的から少しずつ色を変えて

今では同窓会みたいな雰囲気になってて

それはそれで学祭的なノリもあってリラックスして参加できるイベントになっている。

んで、

しっかり練習してキチンとした演奏を見せようと正式なエントリーをし始めたのがおととし。

それまではとりあえず観客だけのつもりで参加して請われれば演奏するという形だったので、

ぶっつけ本番だったから満足のいく演奏じゃなかったんだけど

これからは心機一転を図って、また少しずつだけどキチンと取り組んでいこうということで、ね。

でもそうやりだした矢先にイベントの世話人を務めてた先輩も去年病気で亡くなってしまった。

亡くなってはじめて自分自身の「甘え」を思い知った。

それまでの「すべて人任せ」というこれまでの自分の態度がすごく反省させられたわけ。

「これから自分の音楽の表現活動の場として参加していこう」と勝手に決めたのはいいけれど

そういう場を支え続けてきたのはその先輩たちじゃんか・・・とね。

何か恩返しをしなくちゃ・・・

でも、その恩返しをしたい人はもう亡くなってしまってる・・・

んじゃ、彼はこのイベントの存続に力を注いできたわけだから

それを引き継いでいけば、それが恩返しになるんじゃないのかな・・・。

そう思って、世話人を引き継いだ先輩に「何でもしますので言ってください」と自分からお願いしてみた。

そしたら、当日のイベントの司会進行を頼まれた。

うっ・・・これは自他ともに認めるくらい自分が最も不得意とする分野だ・・・。

でも、これを口下手と思われてる自分に依頼してくるくらいみんな苦手に感じてるんだろうなと思い、

それならどんなに下手でも引き受けるだけでみんなの力になるだろう、ということで

司会進行に挑戦しました!

自分でも上手くそつなくこなせるか不安だったけど

なんだかんだで意外とうまくやれたらしい。

「らしい」というのは終わってからのみんなの評価がすこぶる良かったんだよね。

「人が変わったみたいだ」とか、
「あんなに司会が上手いとは思わなかった」とか、
「上手く司会が進行してくれたから近年になく楽しいイベントになった」とか、
「昔はすごく怖かったけど丸くなったんだねえ、でもそれが良いのか悪いのかわからないけど」とか・・・。

いやいや、ただ単純に人見知りで「場面緘黙(ばめんかんもく)」してただけですから。

実際は怖くもなんともないです。(苦笑)

ただ、ちょっとトゲトゲしてただけですから。(それがイケナイって)

いや、まあホント

上手くイメチェンもできたし、

今回の安田祭に参加した皆様、どうもお疲れさまでした!

来年もまたこぞってご参加くださいませ。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

実は・・・

2015年05月30日 | たわごと、ひとりごと
とうとう、ここに白状します。

実はボクは将棋が好きなのです。

実際に自分が指すというのももちろんだけど、

プロの棋士が指す将棋を観てるのも好きなのです。




昨日、名人戦で羽生(はぶ)名人が行方(なめかた)挑戦者を下し防衛を果たした。

とにかく、羽生さんの将棋は見てて面白い。

ボク自身はそんなに定跡なんかも知らないし、何がびっくりするような手なのかもわからないけど

羽生さんは時々プロの専門家もびっくりするような手を指したりするので、

羽生さんの将棋というよりは、解説をしているプロの棋士のびっくりする様を見て楽しんでる。

「ひょえぇぇぇ~」「はぁぁぁ~?」「ほあぁぁぁ~」「ふぇぇぇ~」・・・・

もう、いろんな表現でびっくりしてくれるから、ホントに楽しい。

もちろん、実際の将棋も楽しいんだけど、ね。

将棋は頭脳スポーツと言われる。

と、いうことは
「スポーツ」っていうのはつまり、いろんな制約(ルール)を取り決めてその中で勝敗を決していくジャンルのことをいうんだろう。

サッカーでも、「手を使っちゃダメ」という制約があるからいろいろ工夫するし、練習するし、スーパープレイも生まれる。
将棋もいろんな駒の動きがそれぞれの種類で制限されてる。
それは野球でも、テニスでもラグビーでもなんでもそう。

制約があるとうまくいかなくなることが多く、というか、そう簡単にうまくいかないようにするために制約を作っているわけで

うまくいかないもんだからイライラもするんだけど

だからこそ、そこが面白いんだよね。

それがなくなって、「何でも自由にできる」なんてことになったら
とたんに頭も使わなくなるし、
つまらないものになってしまう。



実は戦後の日本の政治も
憲法でいろいろ制約をかけているからこそ
日本はここまで繁栄してきたんだと思う。
工夫に工夫を重ねて、ね。
戦前の日本があそこでつぶれちゃったのは天皇の名のもとに「なんでもできる」状態だったからだと思うけどね。
工夫しないってことは辛抱が効かないんだよ。
安倍さんを見てると
つくづく「辛抱が足りない人だなあ・・・」って思うよ。



あ、また面白くもなんともない政治の話になっちゃった。ザンネン!(苦笑)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

John Lennon Medley - PAUL McCARTNEY

2015年05月29日 | ビートルズ
John Lennon Medley - PAUL McCARTNEY


ポールからはあまり影響を受けなかったな。

なんでかわからないけど・・・。

きっとたぶん、上手すぎるんだと思う。

何をやらせても上手だし、そつなくこなす。

あんまり屈折もしてない感じでやけに素直だし、

生まれながらにしてマジョリティな印象を受けるんだよね。

「毒」がないというか・・・、

でもジョンレノンが気に入ったくらいだから

ホントはあるんだろうけど、あんまり感じられないんだよね。

でも、

だからこそ彼がいなかったらビートルズの成功はなかっただろうなって思う。

下積み時代にはドラムが必要ってなったらドラマーに、

ベースが必要ってなったらベーシストに、

デビュー時にジョージマーティンからメインボーカルを示唆された時も
「ビートルズは○○&バックバンドなんていうスタイルじゃないから」と言って辞退してるし、

アルバムごとに必ずリンゴに1曲ボーカルをとる曲を用意してあげてるし、

ジョンやジョージの曲も一生懸命いい曲になるようにアイデアを提供したり・・・。

マネージャーのブライアンエプスタインが亡くなった後は
そういう態度が他のメンバーからしたら「ビートルズを牛耳ろうとしてる」と映っちゃったみたいだけど・・・。

少なくとも、

彼はすごく良い人でまっすぐな人なんだと思うよ、きっと。

それはこの動画を見てもわかる。

ちょっと偉そうな態度になっちゃうから誤解されちゃうんだね。

でも、素直な人なんだなあっていうのもわかる。

きっとジョンはポールのそういうところに嫉妬したりしたんだと思う。

彼は複雑そうだからね。

解散した当初はジョンも「ジョンの魂」なんていうアルバムはよかったんだけど

あとはだんだん尻すぼみになっていったような気がするから、
ポールと一緒だったらそんな曲も良い曲にうまくアレンジしてくれたんだろうけどね。

でも、ビートルズが解散してなかったらジョージが日の目を見なかっただろうし、

やっぱりそれはそれでしょうがなかったことだし、

それで良かったんだろうな、きっと。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人の命がかかってるってえのに・・・。

2015年05月28日 | 国際・政治
いつのまにか、名前が「平和安全法」から「安全保障法」に変わってた。

安倍さんの国会答弁を聞いてると

こうやってだんだんといろんなことがすり替わっていくんだろうなあ…と感じる。




第二次大戦のころのドイツ民衆から喝さいを浴びたヒットラーの演説でこういうものがある。

「我々はいつも平和を欲している。だが、それはイギリスやフランスなどの態度次第なのだ。ドイツにとって不利益なことを押し付けてくる相手に屈するわけにはいかないのだ。ドイツは繁栄せねばならない。それを阻害するものとは断固として戦うのみである。」



歴史的に見て「侵略のための戦争」なんていうことを謳って武力行使をする国など一切見当たらない。
どんな国でもいつも「自衛のため」の戦争なんだよね。

あの悪名高きヒットラー率いるナチスドイツだって「自衛のための戦争」を主張していた。
そして「紛争はすぐに終結し、平和がもたらされる」と。
でも、その結果は皆さんご存知の通り。

その当時の日本も一人一人の命を軽んじて国全体の繁栄を重視した政策を行っていたわけ。
その反省から生まれたのが「日本国憲法」なのであって
これは改憲派が主張するような「アメリカからの押し付け憲法」では決してない。

その当時の、ほとんどの日本人がもろ手をあげて賛成した憲法なんだよ。

「アメリカに押し付けられた」と思いたい改憲派たちの勝手な主張に過ぎないんだよね、実は。

朝鮮戦争が起きた時も「改憲」せずに自衛隊の前進「保安隊」を作るだけに終わってるし、

その後もGHQの支配下に置かれながらも改憲はせずにいたのは日本国憲法は日本人が決めた憲法だったからなんだとおもうよ。

そうじゃなく、

もしGHQの押しつけが本当だったんなら、

彼らは朝鮮戦争の時、日本軍を作って戦争に参加させたかったわけだから

さっさと改憲して武力行使できる国にしたと思う。

そうしてないってことは、その当時の日本人があの憲法をとても大事にしてた証拠だと思うんだよね。




今の国会論戦を聞いてたら
手足を縛って自由に動けなくした挙句、自衛隊員を戦闘地域に派遣しようとしてるような気がしてならないんだよね。

いったいどういうつもりなんだろう?

異常な精神状態になっている殺し合いの場所に手足を縛って派遣するなんて。

どうせなら自分たちの命を守るためなら何をどう判断してもおとがめなしっていう状態で派遣させないとまずいんじゃない?

責任はトップがとるっていうぐらいじゃなきゃ。

「あれはダメ」「これはダメ」「でもこういうことがクリアされるんならOK」「でもそんなときもこういうことがあったらダメ」・・・

戦闘現場では、国会で論戦されていること以上のことが起きるんだから、必ず。

こんなに自衛隊の行動に縛りをかけるんなら
戦闘が終結した後や、まるっきり戦闘地域じゃない地域に派遣すべきだとおもうよ。

命がかかってるわけだから、ね。

しかも突発事態が起こるのが戦争なんだから。

机上でいろいろ審議してる状態自体、安倍さん含めた「改憲派」が平和ボケしてるようにしか見えない。

戦争をバカにしちゃいけないよ。

ふだんまじめで虫一匹殺せない人ですら人殺しができる状態になっちゃうほどなんだから。

そういう状態にさせる戦争は一番に回避するべきなんだよ。

戦後70年、戦争せずにいられたのは平和憲法のおかげだし、

平和憲法があったって70年間国を維持できてるし、

なぜ、「一国では国を守れない」と安倍さんが判断してるのか、その根拠が知りたいよ。

人の命をなんだと思ってるんだ!と安倍さんには伝えたいね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

猛練習。

2015年05月26日 | たわごと、ひとりごと
今週の土曜日に

大学のサークルの同窓会、のようなものが開催される。

それは年に一回催され、

サークルのある先輩が亡くなったのを機に開催されるようになったライブイベント。

三年前ぐらいまではとりあえず参加はするけど

演奏まではするつもりはなく、観て楽しんで終了という感じ。

時々請われて一人でギターの弾き語りをする程度だったんだけど、

ご存知の方はご存知のように

あることがきっかけで、心機一転キチンと取り組んでいくことに決めた。

バンドで納得のいくものをやろうと思ったらみんなで時間を合わせて集まってせっせと練習が必要になるんだけど

自分一人の弾き語りなら、空いた時間にいつでも練習できるので

今は弾き語りで数曲ずつやっていくつもり。

ホントは誰かと一緒に一つのことに取り組んでいくのが理想なんだけど

あまりにも食らったものがきつくてしばらくは一人でやるほうが気楽で良い。

実は今の仕事をする前に個人事業を仲の良かった友人と共同経営でやったんだけど

それもあんまりうまくいかなかったし、ね。

一人のほうが気楽に進められるので今はこのスタイルでいこうと思ってる。





個人的に、
昔からチームスポーツを観戦したり実際やったりするのが好きだったし、

今の職場も周りのいろんな人を巻き込んでコトを進めていってるから、ホントにそういうことが大好きなんだとおもうよ。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする