初めての詩集「山羊の歌」の
一番最初に収録されてる記念すべき
詩で
「春の日の夕暮」です。
「トタンがセンベイ食べて
春の日の夕暮は穏かです
アンダースローされた灰が蒼ざめて
春の日の夕暮は静かです
吁(あぁ)!案山子はないか――あるまい
馬嘶(いなな)くか――嘶きもしまい
ただただ月の光のヌメランとするままに
従順なのは 春の日の夕暮か
ポトホトと野の中に伽藍は紅く
荷馬車の車輪 油を失ひ
私が歴史的現在に物を云えば
嘲(あざけ)る嘲る 空と山とが
瓦が一枚 はぐれました
これから春の日の夕暮は
無言ながら 前進します
自らの 静脈管の中へです」
いや~、この詩は
中也が詩を作るとき、どんな心境になってるかを表してるね。
「春の日の夕暮」ってのは、きっと自分自身の心境状態なんだと思うよ。
そして、自分自身の心の奥底をみつめに行くんだ。
そうすることで、はじめて詩の言葉が生まれてくるっていうことなんだろうな。
中也は
ホントに、ホントに、
芸術のことをよく理解してるヒトだよね。
自分自身の心を表現するには
使い古された言葉の使い方じゃ駄目なんだ。
でも、自分自身の言葉でないとイケナイから
どうしても、普通に使ってる言葉を駆使しなくちゃいけない。
そこがとても苦労するところなんだよね。
実際、中也も相当苦しんだみたいだし。
でも・・・。
彼はうまく表現できてるよね。
ああ、
こんな風に表現するヒトの作品を観るのは
楽しいよね。
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