自然を尋ねる人

自然の素晴らしさ、豊かさ、人と自然の係わり合いを求めて!自然から私たちにくれる贈り物を見つけるために今日も歩く。

方言「備後べん」

2006-01-31 15:21:17 | Weblog
「びんごばー」と言う本を入手したので備後べんのルーツを探しに小雨の煙る神辺城へ登ってみた。
1619年徳川家康の従兄弟、水野勝成が関が原の合戦の功績で備後10万石を貰い神辺城へ入城した。
入城してすぐ家康の助言で江戸城と環境が似た海辺へ福山城を築城し始めた。
1335年朝倉景連が神辺城(山城)を築いて約300年、こうして神辺城は歴史を閉じ政治の表舞台から姿を消したのである。
その後水野家は改易になり、三河から譜代の名門阿部家が武士、町民数千人を引き連れ入城されたのである。
1度ならまだしも2度であるから名古屋の言葉「そーきゃも、あーきゃも」が備後の言葉と交雑し「あればぁ、こればぁ、ちいとばぁ」の新備後べんが出来ても不思議ではない。








上記のように、元和5年(1620年)ごろ神辺の町は1度表舞台から消えたが昭和29年周辺5町と合併し、最近は約4万人の町にまでなった神辺町は今度もこの3月から福山市に吸収合併される。1度あることは2度あると言うが良く出来ている現実の物語だ。
写真は上から神辺城本丸(桜の名所)、神辺城の西から見た地理、城の裏側傾斜地。

備後の言葉事例を少し紹介しておく。
あぁじゃ・・あんな事を言う
あぎゃんす・・さしあげます
あてごうて・・計算して
いいやこう・・口げんか
いきゃんす・・行きます
おおじょうする・・手を焼く、困る
そりゃぁそりゃぁ・・そうですかたいへんですねー
へぇじゃけぇ・・それだから

びんごばあぁ(備後福山地方の方言辞典)参照
著者 高橋孝一さん 
(キングパーツ㈱の社長、日本紙飛行機協会の前会長他)