自然を尋ねる人

自然の素晴らしさ、豊かさ、人と自然の係わり合いを求めて!自然から私たちにくれる贈り物を見つけるために今日も歩く。

山陽道史跡巡り

2013-12-03 21:26:49 | Weblog
大きなタイトルになったが、実は11月30日神辺で広大大学院教授の講演があり、
備中から備後に入る所から神辺本陣まで詳細なところを話された。
そんな話があるとは知らず、御野福祉部会の依頼で教授の約1/4の地域の
旧山陽道の史跡を12に分けて案内資料を作った。
プロとアマの差は別にして内容はアマの方が勝っていた。
あくまでも内容であって、ないようではない。
自分で自分をPRしても利益が出るわけではないが
10日10夜の作業を褒めて、せめて優越感を持ちたい私です。
12月1日9時スタート
1番目のポイントは113人の人が道路にあふれるため
階段が172段ある山王神社で詳しくは資料を読んで欲しいと云い通過した。


出発前資料が渡される

近世山陽道をぞろぞろ歩く


多分主催者は気を使っていたのだろう。案内者には時間配分をしてせかす。
2番目法道寺
(昔の資料では寶憧寺、現地図には法童寺と記載、江戸時代の古文書は法道寺)
今は廃寺になっておるが江戸時代、殿様であろうが偉い役人であろうが
このお寺の門前を通る時は駕籠や馬から降りて一礼したと言われている。



詳しく書きたいが、今回の工程12ポイント約1.5kmを2時間で周らねばならない。
江戸末から明治の庄屋前を素通りし、犬(戌)地蔵の前を通過して下御領八万神社へ。
ここには街道の道しるべや桃の神様、艮神社、子宝石、狛犬、お百度石、陰陽石等
多くの神様等が御祀りしてある。


国分寺と同じころ造られた神社
国分寺の守り神


少し長く話をすると時計係がうるさい。
可愛い感じの年配のご婦人故素直に従う。
旧国分寺南大門跡、古代山陽道が一直線に東へ向かう。


南大門跡
この場から8m南に道しるべがあった

右端が古代山陽道
別名 厩往還


現在の国分寺
トイレ休憩を含めたため10分強の説明。
マイクを持つ手が震えはじめ聞こえないとクレームが入る。


仁王門前
西側には石臼が並んでいる


この石臼昔はそばや小麦粉を水車の力で挽いていた。その名残!
列が動きはじめるとすぐに長い列になる。
1番後ろから先頭まで走ると老人はきつい。


唐尾山88ヶ所1番


この場には1673年土石流に巻き込まれて亡くなった63名の御霊碑
江戸時代天明からの天候不順による飢饉で一揆が多発、
その元締めの一人好衛門の碑もあり
先日載せたパワースポットはここから右に32番下がるとたどり着ける。
ここを超えれば我がフイールド堂々川
歩いて健康、見て観光、の名文句で説明する。


1番砂留


今回はどこでもだがすぐ列が長くなる。


どうも人の数が増えている見たい


このあたりまで来ると座り込む人も増える。


最後の場所堂々公園


親水公園、競馬の話、村境、日本一の砂留を説明して
11時になり、個人的に次の仕事のため車で送ってもらう。

屋外故音響が悪く、参加された人には迷惑をかけた。
まさかこんない大勢の人が参加するとはだれも思わなかったし、
裏話を聞くと、予算もなかったそうだ。

一事、また自慢話だが
今回の資料はよくできている。一読の価値はある。