以前から約束をしていた地元の中学校の先生と御領山の研究調査の日
約束の日、朝から雨だった。
朝8時過ぎ、「今日は雨だからやめましょう」と電話をしたら
次の空いた日は先だし、すでに雨具を準備して家を出ている先生もいる。
何よりも生徒に教えるのに自分たちが現地・現物を知らないと子供はついてこない。
ごもっともである。でも今時期忙しい先生がこのような行動を起こすことに感動し
自分が雨に濡れることも承知して案内することにした。
古墳間と道中は車であることはお許し願うこととする。
はじめは江戸時代の筆記用具セットがある場
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筆置き石、墨つぼ石、硯箱
江戸時代の菅茶山師が福山藩に提出した資料集「福山志料」に掲載されているが
筆置き石は記載がない。森林組合理事時代に付けた人がいた。
そこから100mほどに乗りもの岩がある。
江戸時代の乗り物は駕籠であるから車輪を連想した人は×。
雨に霞む神辺平野。この平野が広島県で一番広い平野だと言っても
だれも信用しないが事実NO.1である。
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御領山の西半分の古墳で現在発見されている1番大きい古墳には
大人が2人入って手をつなげる大きさ
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玄室6.2m 幅2.4m 高さ1.6m 推定20mの円墳
こちらは山がまだ残っている円墳
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上記より少し小さい
古墳群集から林道に帰り
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古墳の丘に登る
雨はしとしとやみそうもない。このまま中止して帰りたいが
同行の人は半ば興奮気味。年齢が20歳も離れるとこうなるのだろうか。
八丈岩に登ると言われる。
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このあたりになると好きなように騒いでと云いたくなる
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この梯子には製作時の年が記載 明治43年
この石の上には大きな鬼の足跡もある。
もう12時近い、そろそろ帰りましょうと声をかけても
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カンカン石だと説明していたので、現物を確認される。
約2時間半これだけ楽しく雨の中でも説明を聞き、自分で確かめられる先生
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雨が梢で踊る
雨水と同じような美とバイタリティーの持ち主の方たちに
教えてもらっている生徒さんは幸せだ。
最後に案内者が一言
「春雨じゃ濡れて行こう」
これが精一杯の我が抵抗の言葉であった。
約束の日、朝から雨だった。
朝8時過ぎ、「今日は雨だからやめましょう」と電話をしたら
次の空いた日は先だし、すでに雨具を準備して家を出ている先生もいる。
何よりも生徒に教えるのに自分たちが現地・現物を知らないと子供はついてこない。
ごもっともである。でも今時期忙しい先生がこのような行動を起こすことに感動し
自分が雨に濡れることも承知して案内することにした。
古墳間と道中は車であることはお許し願うこととする。
はじめは江戸時代の筆記用具セットがある場
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筆置き石、墨つぼ石、硯箱
江戸時代の菅茶山師が福山藩に提出した資料集「福山志料」に掲載されているが
筆置き石は記載がない。森林組合理事時代に付けた人がいた。
そこから100mほどに乗りもの岩がある。
江戸時代の乗り物は駕籠であるから車輪を連想した人は×。
雨に霞む神辺平野。この平野が広島県で一番広い平野だと言っても
だれも信用しないが事実NO.1である。
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御領山の西半分の古墳で現在発見されている1番大きい古墳には
大人が2人入って手をつなげる大きさ
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玄室6.2m 幅2.4m 高さ1.6m 推定20mの円墳
こちらは山がまだ残っている円墳
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上記より少し小さい
古墳群集から林道に帰り
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古墳の丘に登る
雨はしとしとやみそうもない。このまま中止して帰りたいが
同行の人は半ば興奮気味。年齢が20歳も離れるとこうなるのだろうか。
八丈岩に登ると言われる。
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このあたりになると好きなように騒いでと云いたくなる
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この梯子には製作時の年が記載 明治43年
この石の上には大きな鬼の足跡もある。
もう12時近い、そろそろ帰りましょうと声をかけても
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カンカン石だと説明していたので、現物を確認される。
約2時間半これだけ楽しく雨の中でも説明を聞き、自分で確かめられる先生
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雨が梢で踊る
雨水と同じような美とバイタリティーの持ち主の方たちに
教えてもらっている生徒さんは幸せだ。
最後に案内者が一言
「春雨じゃ濡れて行こう」
これが精一杯の我が抵抗の言葉であった。
雨日の古墳観察・調査研究は雨を忘れるほどに先生方は熱心でしたね~。
その様子が伝わってきました。
自然さんの説明も良かったのでしょうね。
古墳群も喜んでいるようでした。
今度は先生方が子供さんに教えてあがられるのですね。
その準備が出来て様で何よりに思いました。
ご苦労様でお疲れ様でした。
なりますね。多分御領山○○号古墳としか名前がつ
けられていないでしょうし、これだけの数があると古
墳群と一括されるでしょうから、国指定にならないも
のでしょうか。
横穴式石室には玄室の奥行とほぼ同じ長さの羨道
があるのですが、土採りの際破壊されたのでしょう
ね。玄室は山(墳)の中央に設けられるのが通例で
すから、例外は多々ありますが、玄室の奥行×3+
αくらいが墳の規模と考えるといいようです。
先ほどメールでご連絡差し上げようとしたのですが、
何度送信してもエラーになってしまいましたので、
こちらのコメント蘭を使わせていただきます。
牛伏川階段工に関する『会』について、
先ほどブロ友のタッジーマッジーさんから、
自然さんへの伝言コメントが入りました。
わたしのブログのコメント欄、タッジーマッジーさんからのコメントを、
ご覧いただきますようお願いいたします。
取り急ぎ、ご連絡まで・・・
先ほど(↑)、書き忘れてました・・・
ご覧いただきたいコメントは、
タイトル「クリスマスローズは今…♪」のブログ記事です。
(そそっかしくて、ホントお恥ずかしい…)
した。
ご承知でしょうけれど、砂防の父、ヨハニス・デ・レー
ケ(オランダ人)の石積みの堰堤(通称:デレーケ堰
堤)は各地にあり(中国地方にはない)、当地から近
い京都府木津川市山城町にも府立不動川砂防歴史
公園として(一定)整備されています。
地域では清掃作業程度は行われていると思います
がよく知りません。
http://www.kyoto-kankou.or.jp/info_search/?id=425&r=1456468405.7566
メアドを変更されたそうですが、plalaですよね。