新聞5社と福山市協働のまちつくり「キーワード事業」支援のおかげで
冊子『堂々川今昔』は大変好評である。
東は岡山県矢掛町、南は福山市鞆町、東京からも送付の希望が届いている。
ありがたいことではあるが、顔写真が大写しで掲載されているから
スーパマーケットでも呼びとめられるそうだ。
今日も「菅茶山記念館」で冊子を見た。
欲しいので買い求め方法を教えてと電話が入る。
本は無料でお渡ししているが会の運営が広範囲になったので資金確保のため
「堂々川環境保護基金」を設立した。
そこへ一口1000円の寄付をお願いしていると説明。
1000円と聞くと30%の人は無口になる。
「堂々川今昔」の冊子が上流の池の水鏡に映える。
紅葉が進む淀ケ池
菅茶山記念館で冊子が欲しい方と待ち合わせした。
庭にある道しるべが気に入り、待ち合わせの人をすっぽかし?
道しるべを調べることに決めた。決めた、冊子を道連れに!
備後国府の址を示す
ここからは堂々川源流域へ向かう。
これより上御領村
反対側にはこれより東中条村と刻んである
少し南には「堺」の刻み文字が見える
看板は風で飛ばされたままであった
お昼からは弁護士の先生から詐欺やクーリングオフ、後見人の等のレクチャーを受けなければならない。
この仕事やりがいはあるが結構厳しい面がある。
だから「道しるべ」を探す作業を急がないといけない。
家の近くまで帰り、八幡神社へ。
右石州ぎんざん道
右かさをか・・左九州・・
備後の国と備中の国の境石
広島と岡山までの距離
国堺 大正8年に造られたものようだ
ならばそれより前はどこにあるか。
その前にこの石碑は最近事故で破損し作りかえられたものだ。
少し探したがわからない。
仕方がないから近くの両備金光教を訪ねてみたら
そこには運よく教祖殿がおられ道しるべを聞いたら案内してもらえた。
「これより西 福山領」の文字が見える
勢力争いがあったのだろう
石碑が3つに割られているとの説明を受けた
金光さんから数百㍍のところには1里塚がある。
上御領1里塚、その北側には四ツ堂がある
約90分かけて調べた道しるべ
神辺町には観光資源はたくさんあるのにだれもPRすることをしない。
ならば、君がやればと言われると1歩、2歩、3歩と後ろへ足が向く。
ああ、近世山陽道、少しでもこれを機会に歩いてくださる人があれば幸いです。
時間があるときならご案内は喜んで!
今回の調査にご協力くださった方には感謝します。
冊子『堂々川今昔』は大変好評である。
東は岡山県矢掛町、南は福山市鞆町、東京からも送付の希望が届いている。
ありがたいことではあるが、顔写真が大写しで掲載されているから
スーパマーケットでも呼びとめられるそうだ。
今日も「菅茶山記念館」で冊子を見た。
欲しいので買い求め方法を教えてと電話が入る。
本は無料でお渡ししているが会の運営が広範囲になったので資金確保のため
「堂々川環境保護基金」を設立した。
そこへ一口1000円の寄付をお願いしていると説明。
1000円と聞くと30%の人は無口になる。
「堂々川今昔」の冊子が上流の池の水鏡に映える。
紅葉が進む淀ケ池
菅茶山記念館で冊子が欲しい方と待ち合わせした。
庭にある道しるべが気に入り、待ち合わせの人をすっぽかし?
道しるべを調べることに決めた。決めた、冊子を道連れに!
備後国府の址を示す
ここからは堂々川源流域へ向かう。
これより上御領村
反対側にはこれより東中条村と刻んである
少し南には「堺」の刻み文字が見える
看板は風で飛ばされたままであった
お昼からは弁護士の先生から詐欺やクーリングオフ、後見人の等のレクチャーを受けなければならない。
この仕事やりがいはあるが結構厳しい面がある。
だから「道しるべ」を探す作業を急がないといけない。
家の近くまで帰り、八幡神社へ。
右石州ぎんざん道
右かさをか・・左九州・・
備後の国と備中の国の境石
広島と岡山までの距離
国堺 大正8年に造られたものようだ
ならばそれより前はどこにあるか。
その前にこの石碑は最近事故で破損し作りかえられたものだ。
少し探したがわからない。
仕方がないから近くの両備金光教を訪ねてみたら
そこには運よく教祖殿がおられ道しるべを聞いたら案内してもらえた。
「これより西 福山領」の文字が見える
勢力争いがあったのだろう
石碑が3つに割られているとの説明を受けた
金光さんから数百㍍のところには1里塚がある。
上御領1里塚、その北側には四ツ堂がある
約90分かけて調べた道しるべ
神辺町には観光資源はたくさんあるのにだれもPRすることをしない。
ならば、君がやればと言われると1歩、2歩、3歩と後ろへ足が向く。
ああ、近世山陽道、少しでもこれを機会に歩いてくださる人があれば幸いです。
時間があるときならご案内は喜んで!
今回の調査にご協力くださった方には感謝します。
≪歩く≫と意外なものに出会います。
見えないものが見えてくる。見えるとそれに興味を示します。
道しるべの中に沢山のお宝があるかもしれません。
温故知新、道しるべ、きっと昔の人たちは、重宝したのでしょう。皆歩く人でした。
道しるべ
道の方向や距離などを示す標識。道案内。どうひょう。と検索すると出ました。
また、
≪ 物事の順序を教えて手引きの役をすること≫とも出ました。
最近は物忘れ、新しい発想が生まれてきません。
順序を知り、手引きに役立つものはないかと考えあぐねています。
冊子「堂々川今昔」を作成する地方は、比較的少ないでは無いでしょうか。
何時もは何気なく見過ごすことも、この冊子を見れば見に行きたくなります。
最近昔の道しるべなる標識が少なくなってます。
岡山や広島の国境には道しるべが沢山ありますね。
香川に住んでいる頃は、金毘羅さんへの道しるべをよく丸亀市辺りで見かけました
高松が四国の玄関になったのは宇高連絡船があったからで、
それまでの金毘羅参りの玄関は、丸亀市だったようです
88ヶ所が鳴門から始まることから、四国の玄関は鳴門だったのでしょう
旧遍路道でもよく見かけます
『堂々川今昔』の冊子が淀ヶ池の水鏡に映えて、
それには、人々の愛情心や興味心があふれて、
まるで、道しるべのようです~!
夢を与えてくれるホタルたちは、
・・・光の道しるべ・・・
そして、堂々川砂留の景観は、
・・・心の道しるべ・・・
となって人々の笑顔が集まるのでしょう。。。
すみません~。。。
趣ある石造りの道しるべに福山市の歴史を感じました。
いつもありがとうございます~♪
子供を育てるのも 会社での事でも
きょうもビシッと決まりましたね 文も写真の構成も‥‥
私わ歩くことが苦手で、道しるべのこと考えたこともありませんでした、すみません
思えば車で走っていても文字は読み取れないが石柱を見掛けますあれが道しるべだったのですね勉強になります、有難うございます。
素敵なショットと解説から、様子、雰囲気、伝わってきました。
珍しいショットをいろいろ見せていただき、嬉しかったです。
見せていただき、siawase気分です。
心和みました。
ありがとうございました。
ブログ交流って、いいものですね。
昨日も、コメント&応援ポチに、恐縮です。
冊子は好評にて何よりに思います。
昨日いらした川柳の先輩も同人誌何十数年記念号の合同本を出版されたところ 外国の図書館までに置かれているとか・・皆さん凄いですね。
新しい道するべを開拓しなくてはならない運命はそこに・・・誰かが保存しないと道しるべは消えてしまいます。
お体にお気をつけられ是非頑張ってください。
福山は歴史が多くあるところにて羨ましいです。
ロケットはコニファーの仲間であり細長い杉の仲間です。
外国の庭園に良く植わっている杉です。
自然さんのお姿、とくと見せていただきました。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hiroshima/news/20111124-OYT8T01309.htm
すてきですね♪
いさかいの因の境の冬日和