やめるとなると、俄然愛着がわいてしまうのは人の身勝手なところですね。
それからというものしょっちゅう、買いに行っています。
行くと大抵、奥からでてきて
「これから焼くけどいい?」と聞かれます。
いいですよ、というと、それから『お店の準備』を始めます。
バケツに入った生地を持ってきたり、カーテンを開けたり、あんこのフタをあけたりしだします。
それから、バーナーに火をつけるのです。
申し訳ないなあ . . . 本文を読む
地元のフリーペーパーを作っている身としては、ネタ探しはもう日常の一部。
ふと、自分が小学校の頃によく行っていた大判焼き屋「金森菓子店」に取材行ってみようかな、と思って足を運びました。
このお店ができたのは、もう40年以上も昔のこと。
私も小学生の頃、70円の小銭をにぎりしめて買いに行ったことがあります。
20年近くたって足を運んだのですが、大判焼きを焼いているおばちゃんが全然老けていないのには驚 . . . 本文を読む
おとなりさんから、たっくさんの大根をもらいました。
肥料袋2袋分。
回覧板を置きにいったら「もっていってくれいっちゃ。」と言ってもらいました。
毎日大根の煮付けでは、三ヶ月はかかるほどの量なので
切り干し大根でも作ろうと思い立ちました。
ざると、スライサー、それから網戸の網(風にとばないために)
必要な道具はこれだけです。
集落の人から干し大根の作り方を聞いて、いざ挑戦。
・・・手間かかりす . . . 本文を読む
今ではお仕事についている私ですが、かつて2.3度失業しました。
一度はリストラで、もう一回は会社が倒産して。
「やばいな~、仕事見つけなきゃ」と思う一方で
「やった、明日から会社にいかなくてもすむ」という喜びが交差した
根っからの楽観主義な私でした。
事情が事情なので、失業保険はすぐに給付されました。
面接や仕事探しの一方で、待つしかできない日々があったのも事実。
空白の何日かを何に使ったかと . . . 本文を読む
雨の日だったり、寒かったり、キウイをたくさんもらったり、
そういったいくつもの条件が重なると、薪ストーブの上でのジャム作りが始まります。
この画像は、殺菌したビンの中にジャムを入れて、フタを軽くしめた後の密封作業をしているところです。
たくさん作ったジャムは二人では食べきれないので、宿泊したお客さんと話したときに話題にでたりしたら、一瓶200円か300円くらいでお渡しします。
その話を東京の友 . . . 本文を読む
知る人ぞ知るというお味噌「おみつみそ」
佐渡おけさにたらい舟と、観光客を意識したパッケージですが、お味はといえば
佐渡風な塩味が濃い、でも熟成されたよいお味です。
少し前の佐渡人はこんな風味の味噌をなめなめ、畑仕事にいそしんだのでしょう。
(ちなみに「おみつ」とは、小木に伝わる伝承で
好きな男の人会いたさに、たらい舟で本土に渡った女の人の名前です。
たらい舟乗り場に「お光の石碑」があります。恋の . . . 本文を読む
「お味噌」は自分の家でも作りますが、消費量が多いので地元でも買います。
佐渡は味噌を作っているところが何気に多いことが嬉しく、いろんなお店のところを買いたいなって思っています。
この写真のマルダイみそのように島外にむけて売っているものばかりでなく、聞いたことのないお店の「地元味噌」が多く見受けられたりします。
ちょっとよーく探さないと見つからないような小さな食材店で置かれていたり、たまに魚屋で見つ . . . 本文を読む
GWの休みを利用して、東京の友人が来ている。
違う視点からこの生活を見ると、やはりこの生活は「憧れ」であるようで
ちょっと嬉しい。
つくしや、すみれに一喜一憂してくれる友人はやはり貴重だ。
GWの佐渡は人口が格段にアップしているようで、その差に驚いている。
大型連休の恩恵か、普段はまず宿泊客のない我が家にも、2組ものお客が入っているのでこれもまた驚いている。
何が嬉しいか。
生ゴミの量は増え . . . 本文を読む
時は05年8月のことでした。
畑野町の役場から「観光協会の封筒をつくってほしい」といわれたことをきっかけに、佐渡からみの封筒を作ることになりました。
お手紙好きな私としては、封筒デザインは前からやってみたかったこと。
それも、1枚で3回使えるリユース封筒を。
企画をだした段階では「3回も使うとぼろぼろになる」といった意見で
2回リユースになりましたが、こうした封筒があること自体知らなかった、お . . . 本文を読む
ようやく佐渡のフリーペーパー・「エスライフ5.6月号」ができました。
今月号も全編集をやらせていただきました。
今回の表紙・情報ページは佐渡で一度途絶えた土人形の技術を復活させた人のお話。
せっかく復活させたけれど「自分一代で終わらせるつもりでいる」とお聞きしたときは少しさみしかったりもしました。
後を継ごうという人があらわれないことも一つの時代の流れなのだといいます。
「でも、もしも技術を教え . . . 本文を読む