あと少しで2021年も終わりです。
大晦日の今日 無事(?)に仕事納めもできた。
今年はいろいろな事が折り重なって 激動の1年でした。
世間的に 新型コロナウィルスの ベータ株 で緊迫の年明けに始まり 今は オミクロン株 で再び大流行の兆しに世界中が翻弄されてる。
それでも夏頃まではいつもの時間だった。
晩夏に普段の生活にも支障が出始めた母を 親戚が主導でグループホームに入れた。
生まれて初めて 私は一人で生活をするという状況に置かれ ダラダラと過ごしてた休日がほとんど家事に追われて気づけば年末。
洗濯 炊事 その他 全て母にお願いしてたので 自身で行うのはこの歳にして初めての事ばかり。
今更だが これ等をこなしてた親の偉大さに気づいた次第。
先月、仕事中にグループホームから電話が入った。
「お母さまが嘔吐し 吐血した。 主治医の判断でこれから救急搬送します」。
「は?」
状況が呑み込めない。
ただ事では無いと 職場の先輩にお願いして早退 そのまま病院へ。
状況は厳しかった。
母は私と同じ腹膜炎を中学生の時に患っている。
ほぼ絶望とされ 親族が集められたという。
お爺さん(母の父)が公務員だった利を伝い 当時の進駐軍が持ち込んでいた「ペニシリン」を懇願して分けてもらい 母は一命をとりとめた。
日本で極初期に抗生物質を投与された一人だったとの事。
腹膜炎によってお腹の中に広がったウミを出すため お腹に複数の穴を開け ガーゼを押し込んで出した。
その時の穴の跡が残っている。
その腹膜が癒着した弱い部分を押し破って 腸 が外に出ていた。
腹部がプックリと膨らみ 何か黒っぽいものが下に見えていた。
CTの結果、それが腸だと言われ 緊急手術となった。
吐血する前、かなり酷い便秘だったというから お腹に大量に溜まった便の圧力で腸が弱い場所を突いて出たのだろうとの事。
たかが便秘とはいえ 怖い。
手術は無事に終了。
壊死しかかっていた腸は切り取られ 繋がれて 腹部を縫合となったらしい。
コロナ禍のため 退院するまで患者との面会は一切認められない。
あとはその時を待つ そのハズだった。
一週間ほどしたある日 病院から容体急変の連絡があった。
頭が真っ白に。
突然 酸素濃度が下がり 通常の10倍まで悪化してるので 蘇生措置の許可をお願いしますとの事。
考える時間は無く、できるかぎりお願いするとして 輸血や人工呼吸器 その他の事後申請を電話で伝えた。
きわめて危険な状況に その後の検査で 肺炎だろうとの結論が出た。
術後で寝てる時に タン等が気道に入り 肺炎を起こしたらしい。
怖くて 怖くて 家でグッスリと寝られず 眠い目をこすって職場に立った。
「もしもの事があったら… 考えるだけで震えるほど怖かった」。
申請書があったので 病院に出向き 別室で必要書類の作成を行う。
看護士の話ではICUに入っているので最善を尽くしますというものだった。
数日後、緊急病棟から一般病棟に移しますと連絡があった。
人工呼吸器等が外され 意識も戻ってるという。
ただ 肺炎は相変わらず危険な状態で 抗生物質が投与されてるが効くか否かは体質と体力次第だと言われた。
85歳とう年齢を考えると 希望的観測は厳しい。
医師から連絡を貰い いつ急変してもおかしくないので 例外措置として親族の面会を許可しますとの事。
…それって、いつ何があってもいいように 生前に会わせましょうって事では…。
翌日 職場で上司に相談し早退 その足で病院に向かった。
病状は相変わらず厳しく 面会は5分以内でお願いしますと言われ 病室で。
顔に酸素マスクをされ、多数の測定器がベッドの周りに並ぶ中 母は横になっていた。
恐らく手足を留められている中 うつろな目で私の顔を見ていた。
痛々しくて 走りだしたくなる。
声を掛けると何かを話そうとするが 声はほとんど出ず 何を言いたいのか判らない。
問いかけると 頭を動かし 頷く事で こちらの話が理解できてると判る程度だ。
思えば何度も入院してきた当方を 母は足を運んでお見舞いしてくれてきた。
逆の立場は初めてです。
もっともっと沢山話したりしたかったが 時間制限(もしコロナ等の病原菌が患者に悪さしたらまずい)があり 「また来るから 頑張って」と声を掛けて病室を後にした。
母の誕生日は1月3日 正月だ。
今は退院が見えないので なんとか次の誕生日は迎えて欲しい それだけが頭をまわっていた。
後日 叔母は母の見舞いに行ったと連絡があった。
母の姉は高齢なのか 術前のストレッチャーにも素手で触ろうとしたり 病気への配慮が著しく掛けてる。
感情的になって患者に触れようとしたり 自分のしてる事がいかに患者に対して危険かが判らない。
お見舞い中もいろいろと話しかけたとの事。
肺炎で危険な状態の患者に多くを喋らそうとした事にも腹が立ったが 看護士が呼びに来なかったからと40分も病室にいたと聞いた時はさすがに声を荒げて怒りが口を突いた。
何故 2~3分でと言われたか。
外部から病原菌を持ち込む危険 体力が厳しい患者にとっては死活問題になるという事実である。
結局 母の姉は母に負担をかけ 危険に晒したのである。
考えさせられた。
母の弟 叔父からもメールをもらった。
医療関係だった叔父すらも 「大丈夫 医者は大袈裟に言うだけで問題無いから」と軽く言われた。
高齢者の 「大丈夫」 は何の意味も無い。
これは何時の時代にも言える事で 世の理は常に時と共に変わるもの。
その人の常識が 今の常識として通じる事はあまりないのである。
若い人は状況を考えて 「大丈夫」 を見極めるが 高齢者は記憶を頼りに 「大丈夫」と言う。
根拠の無い 又は薄い 大丈夫は時として危険なのですね。
あと 高齢者の大丈夫 は責任を持てないというのもある。
もし 勝手な判断が大事になり 長い法廷問題に発展しても 10年後 20年後 も生きて責任を全うできる高齢者は現実問題 ほとんどいない。
最後まで責任を持てて はじめて 「大丈夫」に意味が生じるが 責任持てない輩の言葉は単なる戯言 危険ですらある。
どの角度から考えても 高齢者の無責任な 「大丈夫」が最も危険な事が浮き彫りになってくる。
「大丈夫」 と道路を確認せずに渡って交通事故。
「大丈夫」 と古い食材を料理し食して食中毒。
「大丈夫」と無理して怪我。
「大丈夫」と免許返納をせず交通事故。
ETC。
若い世代にも増して 高齢者の 「大丈夫」 には危険がいくらでも潜んでいる。
医師の指示を無視して長時間居座った叔母の 「出ろと言われなかったから大丈夫」 も 「危険な容体と言われても 実際は大丈夫だから」 との叔父も 何れも自己判断で危険な事を理解できていない。
今回の事で 以前にもまして高齢者の「大丈夫」 がいかに危険で迷惑かを痛感させられている。
人はいつまでも若く 柔軟な判断ができるわけではない。
勿論 これは自分にも言える事。
もしまだ長生きできるなら 少なくとも周りに 「大丈夫だから」 と無責任な断言を言う人間にはなりたくないと今は思ってしまう。
若い世代 今の主役 からすれば 断言系でモノ言う高齢者は 単なる「迷惑」以外の何物でも無い事実。
もし、今も病床で病気と闘ってる母が無事に退院し 「大丈夫」 と言ったなら軽く受け流そう。
絶対に「大丈夫」を信じてやるもんか。
退院しても実家には戻れず グループホームに行くが それでも無事に治って欲しい。
そう心から願いながら年の瀬を過ごしています。
世はまだまだコロナ禍で混乱が収まらない。
願わくば 来年こそは人々がマスクを外し 笑顔で話せる日常が訪れますように。