既に昨日、か。
かねてより脳の病気で奇行が進む母。
最初に異変に気付いたのはもう5年以上前。
親戚で旅行に行った際、一人だけ口数が少なくて会話にあまり入ってこなかった。
今思えば、この頃には既に病気が発症していたのだろう。
もう8年近く前、脳出血で入院。
2度目の発症でリハビリ施設に入っていた父が他界した。
何年も入院してた父を面倒見ていた母の口から、次第に愚痴が増えていった。
病気だから仕方ないのに「やる気が無い!」「ほかの人を見習え」等々、罵倒に耳を疑った。
リハビリで頑張る父が蚊の鳴くような声で話してるのを大声で遮る母。
「お父さんちゃんと言ってるよ」と諭しても全く耳を貸さず「何も言ってないわよ!」って逆切れする母。
結局、弱っていった父からどんな思いをしていたか聞く事は叶わなかった…。
父が亡くなる前日、母と二人で見舞いに行っていた。
だが、行きの車の中で母が耳を疑うような父の悪口を連呼するのに怒りが爆発。
自分はそんな母と一緒に父の前に行く気にはなれず、母一人に行かせて車で待ったのだった。
見かたの問題だが、恐らくこれが最後の父との面会チャンスだったのを母が潰してしまったと言えなくもない。
翌晩、残業中に携帯が鳴り、父の容体が悪化したと聞きタクシーを飛ばして病院に着いた時には既に冷たくなっていた。
この時から自分の中で母の身勝手な人生を盾となり養護し続けた父の無念を思うと、許しがたい怒りが常につきまとっていた。
母の虚言癖は日に日に悪化。
気に入らない事は平気で嘘を並べ、友達さえもあざむいていた。
気付けばご近所、親戚、周りの人々の私を見る目が怪しくなっていた。
何でもかんでも悪い事は私の責任だと触れ回っていたと気づいた時には家の外にも出れない悲惨さだった。
ある時は全然知らない通りがかった人をつかまえ「うちの息子はこんなに酷いんですよ!」と悪口をのたまわっていた…絶句。
仕事が休みの日は車で遠くに逃げるように出かけるか、深夜に車で出かけるか以外はほとんど引き籠るしか無い日が何年も続いていた。
母の嘘を明かすため説明すると、大概は「たった一人の家族なんだから、もっとおかぁさんを労わってあげなきゃ可哀そうだよ」と逆に諭される日々。
完全に周りは母の嘘に騙されていた。
正直、私は心身ともに疲弊し切っている。
もうどうでもいいやって割り切らないとやってられない。
そんな中でどうも母の様子、言ってる事が変だと周りが気付きだしたのが約2年くらい前。
「実際はどうなの?」って聞いてくる親戚に、「だから説明してきたじゃないですか、母の嘘に騙されて耳を貸さなかったのはあなた達でしょ?」と言うと一様に申し訳無さそうな顔をする。
…何をいまさら。
父の闘病は結果が出なかったが本人が必至に頑張っていたのを私は見てたし、知っている。
周りは母の「本人やる気が無くてどうしようもない輩だ」という嘘を刷り込まれているので、私が母の父を愚弄する鬼のような仕打ちをどうしても許すことができないと言うとそれでも仕方ないと許せと言う。
正直、自分が母を許してしまったらここまで貶められた父の威厳が成り立たない気がして納得がいかない。
昨日、母を施設に入れるまで、私と父の威厳 対 母と母のグループ 的に敵対していたようなものだった。
息が詰まるように苦しかった。
帰宅すると家の明かりは消え、雨戸がハンパに開いていた。
午後、半ば無理やり母を連れ出したそうで、家の中はほとんどそのままです。
ハンガーには母の服が掛かってるし、ソファーには母のひざ掛け、部屋には携帯電話(持っていくの忘れたらしい)がそのままだし、いたるところがそのまま。
だからだろうか、フラッと母が返ってくる気がして今はまだ違和感少ない。
居る時は奇行の数々に何度も大声で「出てけよバカ!!!」って叫んだものの、いざ出ていくと不思議な感覚に見舞われるものですね。
別に帰ってきて欲しいわけでは無いハズなのに。
まぁ健常だった頃の母なら帰ってきて欲しいかな。
よくよく考えれば生まれてこのかた一度も一人暮らしなんてした事が無い。
家を出たいと思ったこともあったはあったけど、結局成り行きというか実家暮らしで今に至る。
母が家を出た事で、他界した弟と父 でとうとう我が家最後の一人になったといやおうなしに実感する。
正確にはまだ事態を理解できていないのでしょう。
日を増すごとに1人になった事を痛感すると思われる。
独り立ちって普通は若い頃に経験し、自立を得るというからこの歳になって晒されるのは「手遅れ」って言うのでしょうね。
もう少し日が経てば、実害の無くなった母に感謝とか許しを思えるようになるのかもしれない。
自分も母も決して若く無い。
お互い残された時間はタップリではないのだから、せめて施設で楽しいと思える時間を謳歌してくれればと願うべきでしょうね。