1990年、世界中の飛行可能なB-17を総動員して作られた映画「メンフィス・ベル」。
日本語吹き替えも存在せず、字幕版しか無い英国基地からのドイツ爆撃を描いた空爆ものです。
実在した機体を話しの「ベース」とし、狭い機内の撮影はわざわざセットを作らせたという凝りようで一見の価値アリ。
「戦争」には断固反対の身ですが、軍用は小物から大型機材まで「無駄の無い究極美」を伴うものが多く、前半の地上シーンでは何度も美しいMB/GPW型Jeepが登場します!
要はどんなモノでも使い方次第で評価が変わるって事ね。
元々、三菱ジーパーだった当方にはヨダレが止まらないシーンの連続です!
各国でジープのパテントを使い生産が行われましたが、インドのマヒンドラと並んで三菱のJeepは最も古いJ3の血統を引き継ぎました。
オリジナルのJeepの中でもサイドバルブエンジン(ゴー・デビル)でボンネットが低く、大径タイヤのせいで下手なスポーツカーより低く美しいMB/GPW。
こんな鉄の馬が現代に再登場したら86並みかそれ以上に車への興味が無い若者が夢中になるんだろうなぁ…、じゃじゃ馬をねじ伏せる、操縦している快感は麻薬だから。
話しをB-17に戻すと、こいつは比較的初期の中型爆撃機。
ボーイング製で名機の一つという話しもある。
登場する俳優達も今見ると豪華な顔ぶれが若々しくて興味深い。
因みにタイタニックのキャルに抜擢されたビリー・ゼーンはこのメンフィス・ベルの演技力が評価されたらしいし、ショーン・アスティンは後にロード・オブ・ザ・リングに登場しますね。
この映画の魅力は私的にはハードウェアとコミュニケーションに大別されるのですが、後者には重要なポイントがある事を知った上で鑑賞すると評価がかなり違って来ます。
実は大戦初期、米国は劇中のように相手の拠点のみへのピンポイント攻撃にこだわり、民間地区への被害を出さないよう「米国的良心」を胸に戦争してました。
これは無差別爆撃で非難され続ける日本やドイツより人道的精神と言え、映画は正にこの時代の苦悩をも巻き込み描写されています。
これが鑑賞後に胸にジーンと熱いものがこみ上げる理由な気がします。
残念な事にこの映画舞台の約2年後には米国も攻撃方法を転換、「無差別爆撃」に切り替えて「米国の良心」を捨ててしまいました。
東京大空襲を出すまでもなく、民間地区の無差別爆撃のように国民の戦意を喪失させる残忍極まりない集団攻撃規模は他に類を見ない残酷なものに変貌、未だに世界最大の戦争国家として君臨しています。
ピカドンもそうした無差別志向の究極の形として起こってしまいました…。
因みに対日攻撃用に「E46収束焼夷弾」という、木造建築を焼くために専用弾まで開発して約10万人の都民を焼き殺しています。
残忍さには目を疑いますが、映画はそうした悪に魂を売る前の米国の精神が色濃く描かれています。
現代ではオスプレイの違反飛行や日本への売り込み、沖縄駐留軍の家族へ莫大なお金を払わされてる事実を見ても、日本の戦後は米国植民地のまま終わっていない事を示しています。
メンフィス・ベルを見る時、様々な事を考えさせられます。
年の瀬になり、この一年を反省し自分を見直すために見る映画。
私の中ではそんな位置付けになっている映画、らしいです。