10/3、第23回「高崎観音だるまマーチ」に参加しました。会場は、高崎市役所前の中央公園。
高崎は、江戸時代から関東と上信越をつなぐ中継点として栄えた商業都市です。上越新幹線、北陸新幹線は高崎から分かれていきます。人口約375,000人。
会場には、「高崎だるま」が置かれています。高崎だるまは、約200年の伝統があり、眉毛は鶴、鼻から口ヒゲは亀 縁起の良い二つの動物をお顔に表現しています。
別名「福だるま」「縁起だるま」とも呼ばれています。
会場では、先月の長岡ウオークで一緒でしたedocappaさんご夫婦も参加されていました。
ダルマの目入れ式が終了後、8:50ウオーキングスタート。
私達は、札幌のSさんと一緒に歩きました。ゼッケンには、それぞれ札幌、福岡と書いています。他の方が見られたら日本の北と南・・・・・面白い組み合わせでしょうね。
今回も私は、Dバックの後ろに「風車」を付けています。上州の空っ風に風車は、よく廻っています。
私の風車も奇抜ですが、中には、篭を背負っている方もいました。
烏川にかかる和田橋を渡ると山の上に「白衣大観音」が見えてきます。
コースは、烏川、碓井川分岐点から碓井川の方に歩きます。碓井川は、利根川水系で、長野県境碓井峠が源です。
碓井川沿いの乗附(のつけ)小学校では、運動会が行われていました。僕らが子供の頃運動会では赤、白でしたが、高崎の小学校では、妙義団、赤城団、榛名団と上州三山をチーム名にしています。
乗附緑地の先から左折すると少林寺達磨寺に入ります。
長い階段を上り本堂へ。膝痛を抱える私には、この階段辛いです。
観音山丘陵の端に位置する少林山達磨寺は黄檗宗(おうばくしゅう)という禅宗のお寺です。達磨大師の教えを受け継ぐ高崎だるま発祥の寺として有名です。
天明の飢饉の後、九代目東獄和尚(とうがくおしょう)が苦しい農民の副業になるようにと、開山心越禅師が描かれた一筆達磨像をもとに木型を彫り張子だるまの作り方を伝授しました。
境内には、古今東西各種のだるまを展示した達磨堂や、ドイツの世界的建築家ブルーノ・タウトが昭和初期に居住していた洗心亭があります。
秋の紅葉時期には赤い達磨と紅葉が見事にマッチした風景が楽しめます。
少林山の達磨は福だるまとして有名で、その眉と髭は鶴と亀を象っています。
毎年1月6・7日に「七草大祭だるま市」が開かれ、一年の福を求めて大勢の参拝客や観光客でにぎわいます。一年の間、人々の生活を見守った福だるまは、感謝のこころで奉納され、お焚き上げ供養されます。(高崎市観光協会HPより抜粋)
達磨の赤色は、達磨禅師がまとっていた赤の法衣の色を表しています。また達磨の前面に描かれている金色の模様は、袈裟を意味しています。
折角ですので、御朱印をいただくことにしました。お写経をしないといけないということで慣れない筆で書いてみました。
書いた後、お経をあげていただきました。
本堂の所が、チェックポイントになっています。
少林寺を経てしばらく行くと、24k、16kの分岐点があります。16kは、左折し「鼻高展望台」の方に、24kは、「上野一社八幡宮」へ向かいます。
「上野(こうずけ)国一社八幡宮」は、元々は碓氷八幡宮と呼ばれていたと言われ、現在は「八幡の八幡さま(やわたのはちまんさま)」の通称で地元の人々を中心に親しまれています。
御祭神は、品陀和気命(ほむだわけのみこと)・息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)・玉依姫命(たまよりひめのみこと)をお祀りしています。
御神徳としては、勝運守護・開運厄除・方位除・無病息災・子育て・交通安全・家内安全・商売繁盛などなっています。(ぐんまナビより)
※品陀和気命(ほむだわけのみこと)は、応神天皇、息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)は、神功皇后です。
このころになると、私の膝が痛くなり、歩くスピードがだんだん遅くなってきました。ポールを使い何とか踏ん張って歩いています。
西部小学校に来ました。校庭では、運動会が行われています。そういえば、八幡宮近くの小学校でも運動会が行われていました。この日、高崎市の小学校は、運動会だったのですね。
福岡では、現在運動会は、5月末頃行われていますが、やはり運動会と言えば秋晴れの下で行うものだと思っています。
剣崎長瀞西古墳があります。帆立貝古墳で古墳時代の5世紀後半のものだそうです。高さ5m、最下底径30m。
奥州道と信玄石というのがありますが、案内板が掠れて読めなくなっています。コースは、だるま店の前を通ります。このあたり一帯だるまを製造されています。
榛名地区のマンホールです。高崎市街地のマンホールとはちょっと違いますね。これは、集落排水のマンホールです。榛名山などが描かれています。
前方に古墳が見えてきました。この一帯は、5世紀後半から6世紀前半にかけて築造された「保渡田古墳群」と呼ばれ、双子山古墳、八幡塚古墳、薬師塚古墳などがあります。
双子山古墳は、墳丘長108メートル、後円部径74メートル、高さ10メートル、墳丘部が三段築成で、前方部幅71メートル、高さ7メートル。周濠は馬蹄形で二重に造られており、
内濠部に後円部を囲むようにくびれ部と斜面側後方部分に中島を4基配置しています。墳丘・中島・中低部とも川原石で葺石としている。埴輪円筒列を巡らしています。
墳丘北側の中堤部分の一角から外濠西北隅の外側部分に人物埴輪・飾馬・イノシシ・イヌ・盾・蓋(きぬがさ)・家などの形象埴輪を配置した区画が見つかっています。
例年ですと、この古墳には、コスモスの花が咲いているそうですが、今年はもう終わったのかあるいは、まだ咲いていないのかコスモスの姿が見られません。
2回目のチェックポイントは、「かみつけの里」。お漬物などが振る舞われました。
私の膝の状態はもういっぱいいっぱいの状態。左足を庇って歩いているせいか、足にマメも出来てしまいました。患部の手入れをし再び歩き出します。
浜川公園にやってきました。19,2haの敷地に陸上競技場、体育館、弓道場、プールなを備えた運動公園です。御布呂が池は、5~6月ごろに咲く菖蒲の花が名所になっています。
ゴールの高崎市役所が見えてきました。足を引きづりながら最後の力を振り絞り歩きます。
14:50 やっとゴールしました。ゴールでは、二十世紀梨、ぜんざいが接待です。歩いた後の果物は、美味しいですね。一人2個でしたが、3個いただきました。
本日のGPSです。