10/04 (日)今日も高崎は快晴です。エントリーは、25kmにしていましたが、私の膝の状態を考慮し14kmコースに変更しました。
edocappaさんの奥様から、14kmは、高低差があると聞かされ、一瞬ガ~ンとなりましたが、帰りの時間も考え14kmを歩くことにしました。
会場に来る前、ホテルで右足にテーピングを施し、その上にサポーターを付けての出陣です。
出発式では、昨日と変わり、金色のだるまに目入れをします。今日も札幌のSさんと一緒に歩きます。
コースは、市役所から左折します。このあたりは、昔、高崎城があった所です。
高崎城は、慶長3年(1598)、徳川家康の命を受けた箕輪城址・井伊直政によって築城されました。高崎城は、郭内だけでも5万坪を超える広大な城郭でした。
現在は、三の丸外囲の土居と堀、乾櫓、東門が残っています。武器や食料の収蔵庫で、ここから敵に矢や鉄砲を射かれたという乾櫓は、県内に現存する唯一の城郭建築です。
高崎城址は、現在、高崎公園です。春には、桜の名所として有名です。
橋を渡りしばらく行くと、運動公園があります。野球場では、早朝野球が行われていました。群馬県は、高校野球の盛んな所。プロ野球にもたくさんの人を輩出しています。
スタートから1時間ぐらい歩くと、坂道に差し掛かります。元来上り坂には強いのですが、膝痛の私には、一番過酷な所です。
視界が開けた所から前橋方面に「赤城山」が見えてきました。
赤城山というと、国定忠治ですね。
江戸後期の侠客。本名は長岡忠次郎。父は上野国(群馬県)佐位郡国定村の中農与五左衛門。17歳のとき人を殺し大前田英五郎の許に身を寄せ,博徒の親分として売り出す。
博奕を業とするが,縄張りのためには武闘を辞せず,子分を集めて私闘を繰り返した。天保5(1834)年島村伊三郎を謀殺したことから関東取締出役に追われる身となり,
以降一貫して長脇差,鉄砲などで武装し,赤城山を根城としてお上と戦い,関東通り者の典型となった。逃亡,潜伏を繰り返すうち,同7年信州の義弟兆平を殺した波羅七を討つため大戸(群馬県)の関所を破ったり,
同13年には博奕場を急襲した八州廻りの手先で二足の草鞋の三室勘助を,子分の板割浅太郎(忠治の甥)を使って殺すなど幕府のお膝元関八州の治安を脅かす不遜な存在となった。
逃亡,潜伏を支えたのは一家の子分の力もあるが,忠治をかくまった地域民衆の支持もあった。伝承によれば,同7年の飢饉(天保の大飢饉)に私財を投じて窮民に施したり,
上州田部井村の名主西野目宇右衛門と語らい博奕のあがりで農業用水の磯沼をさらったりした。忠治は幕府にとって文武の敵となった。
嘉永3(1850)年夏,潜伏先の国定村で中気となり隣村(田部井村)の宇右衛門宅で療養中捕らえられ,江戸に送られ勘定奉行の取り調べの上,罪状が多すぎるため最も重い関所破りを適用され,磔と決まった。
磔に当たっては,刑場大戸まで威風堂々と道中行列を演技し14度まで槍を受けて衆目を驚かせた。忠治の対極にいた幕吏(代官)羽倉簡堂は『劇盗忠二小伝』(『赤城録』)を著して,凡盗にあらずして劇盗と評した。
死後の忠治は,時代が閉塞状況となるたびに国家権力と戦う民衆のヒーローとして映画や芝居などを通して甦った。墓は養寿寺(群馬県佐波郡)と善応寺(伊勢崎市)にある。(朝日日本歴史人物事典より)
カープ女子も参加されていました。残念ながら最終戦に負け、CS進出はできませんでしたが、あの審判のホームラン判定の大誤審がなければ、CS出場でした。
チェックポイントは、観音山ファミリーパークです。ここでもお漬物や、果物の接待がありました。
観音山ファミリーパークは高崎の町並みを見渡せる高台にあり、周囲を山々に囲まれた公園です。群馬県内でファミリーで楽しめる公園としても広範囲において知られており、
人気の遊具や水遊び場、バーベキュー場、各種イベントなども人気の理由の一つです。広大の敷地の中にある公園で、自然豊かで開放感にしたりながら、ゆったりとした時間を楽しむことができると思います。
園内は森のスポ・レク広場、森の芝生広場、バーベキュー広場、水と花の広場、癒しのエリアに分かれており、春には桜を楽しみ、夏には噴水広場で水遊びを楽しんでみたり、
バーベキューなども楽しむことが出来ます。(ぐんまナビより)
観音山ファミリーパークからまた、上り坂が続きます。ポールを頼りに歩いていきます。
2回目のチェックポイントは、染料植物園です。ここで先に行っていたSさん、家内が待っていました。
ここでもお接待がありました。
染料植物園は、今日は、ゼッケンを見せると入館料がサービスです。
先を急ぎます。歩いていると「ひびき橋」がありました。
白衣大観音と染料植物園を結ぶ橋として1998年3月に完成しました。長さ120m、幅員2m、地上28,5m。
札幌のSさんが揺らしましたが、この橋揺れません。
白衣大観音に着きました。
高崎市のシンボルとして、昭和11年に建立されてから高崎を見守りつづけている観音様、その白衣は、悟りを求める清らかな心を表しています。
高さ41.8メートル、重さ約6,000トンで、建設当時は東洋一の大きさを誇ったといわれます。胎内にも入ることができます。製作は、井上保三郎氏で井上氏の銅像も建っています。
ここでも御朱印をいただきました。
白衣大観音からは、下りになっています。膝痛の者には、下りが一番つらいです。ポールを使ってそろりそろりと下りて行きます。
下りていくと地元の小学生が歩いていました。6kmコースに参加したそうです。
12:30 ようやくゴールしました。
ゴールでは、ぜんざい(お汁粉かな?)、梨の接待がありました。2日間の参加者は、2515人です。
2日目14kmのGPSです。
高低差は、結構ありましたね。
ホテルで着替え、帰りは、北陸新幹線の車両で東京に戻りました。(東京から福岡へは、飛行機)
高崎駅で買った「だるま弁当」です。
次回は、大阪を予定していますが、早く膝痛を治さないといけませんね。