庄野宿から石薬師寺宿までは、約3km。東海道の中でも2番目に短い宿場です。
加佐登駅から1号線に合流します。
信綱かるた道:これより1,8kmの間に信綱(佐佐木信綱)かるたの短歌五十首を掲示しています。
石薬師の一里塚にやってきました。石薬師の一里塚は,もと蒲川の西岸に位置し,かつては東海道の両側に榎が植えられていた。
記録によると,榎は伊勢湾台風で折れ,終戦後北側にその根元だけが残っていたという。
しかしその後消滅してしまったので,昭和52年に南側に榎の若木を植え,『史跡石薬師の一里塚跡』の碑を建てて保存が図られています。
石薬師宿に入ります。
歩いていると「蒲冠者範頼之社」の看板が目についたのでそちらの方に向かいます。
蒲冠者範頼之社は、御曹子社ともいわれ、源頼朝の弟、蒲冠者範頼を祀っています。武道・学問に秀でていた範頼にあやかって願望成就の神と言われています。
説明書を読んでいると、「蒲桜」というあまり聞きなれない桜がありました。伝説によれば、寿永(1182~84)の頃、蒲冠者範頼が平家追討の為、西へ向かう途中、
石薬師寺に戦勝を祈り、鞭にしていた桜の枝を地面に逆さに挿したのが、芽を出してこの桜になったと言われている。その為、俗に「逆桜」とも言われています。
宿場の名前にもなっている「石薬師寺」は、奈良時代の僧侶・泰澄が創建と伝わる古刹で、壮大な大伽藍を擁しています。然し、戦国時代の戦火によって焼失し、現在残る堂宇は、
寛永6年(1629)に神戸藩主・一柳監物直盛によって再建されました。また、本尊の薬師如来像は、弘法大師が一夜のうちに爪で彫り上げたという伝説が残されています。
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広重の浮世絵には、この石薬師寺が描かれています。
「浄福寺」があります。この寺は、佐々木家の累代の菩提寺です。境内には、信綱の父、佐々木弘綱の記念碑があります。
石薬師宿は、唱歌 「夏は来ぬ」 の作詞で知られる「佐佐木信綱」(1872~1963)の生家です。
卯の花の匂う垣根に ホトトギス早も来鳴きて
一家が松坂へ移住する明治10年までの幼年期をこの家で過ごしました。
佐佐木信綱記念館の横には、タイムレコーダーで有名な「アマノ」を創業した天野修一(1890~1976)記念館があります。
石薬師宿は、江戸から数えて44番目の宿場です。四日市宿と亀山宿の間が長かったため、この地に宿場が作られました。天領であったこの地に宿駅が設置されたのは、
元和2年(1616)と遅く、それまでは、高富村と呼ばれていました。
弘化2年(1845)の石薬師宿軒別図から職業構成を見ると、人家約180軒のうち旅籠屋が約30軒、百姓は130軒で全戸数の約7割を占めており、農村的性格の強い宿場でした。
本陣は、小沢家、問屋場は、園田家が務めていました。宿帳には、赤穂城主浅野内匠頭の名もあるそうです。
石薬師宿の東側には、「北町地蔵堂」があります。
時間も5時近くなりました。今日は、ここまでにします。
帰りは、自由が丘バス停から宿泊地四日市まで戻りました。
6/23関宿~石薬師宿までのGPS