よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

東海道道草ウオーキング№14(四日市宿~朝日)三重県四日市市~三重郡朝日町

2016-07-08 13:05:38 | 「東海道(京~日本橋)道草ウオーキング」

6/24 三滝橋には、七夕祭りの山車が描かれていました。

   

三滝橋から約700mで海蔵橋に到着。

 

海蔵橋から右に行くと、「三ツ谷一里塚跡」があります。かつての一里塚は、昭和20年(1945)に海蔵川が拡幅された際、川の中に取り込まれてしまいました。

現在の一里塚跡は、平成13年、東海道宿場・伝馬制度制定400周年を記念して建てられました。日本橋から99番目です。

三ツ谷一里塚跡の海蔵川沿いには、昭和28年海蔵川改修工事により、取り払われた昭六橋の鉄材売却資金で植樹された桜が約1,5kmに渡って続いています。

桜の季節には、海蔵桜祭りが行われています。

  

多度神社:桑名の多度大社の分霊を祀っています。明治40年に海蔵神社に合祀され、昭和20年には、戦災により焼失しましたが、昭和25年に再建され、正式に

三ツ谷の「多度神社」として承認を受けました。その後老朽化により、平成26年に拝殿が再建されました。

多度神社から再び1号線に合流します。

  

時計は12時半を示しています。今日はまだお昼を食べていません。近くのコンビニに立ち寄りパンを買い、そこでいただきましたが、雨がポツリポツリと降ってきました。

リュックよりカッパを出しそれを着てからウオーキングを再開しました。

1号線富士町信号の手前を左折。東海道は、案内板が多く、旅人には非常に助かります。

  

志氐(しで)神社:難しい名前の神社ですが、延喜式神名帳に名がある古社で、垂仁天皇の頃に創祀されたそうです。「しで」とは、御幣のことで、大海人皇子の天照大神遥拝伝説に

因んで名づけられました。万葉の歌枕である四泥の碕の地です。享保10年(1725)の鳥居や文政元年(1818)、天保10年(1840)の常夜燈があります。

この神社の狛犬には、神様が留守を守るように言いつけたにも関わらず、遊びに出かけてしまった為にそれぞれ左右の前足を折られてしまったという伝説が残っています。

街道沿いの鳥居近くには、撫でると良縁が成就するという夫婦石もあります。

  

雨は、小降りになってきました。東海道の地図も濡れてきましたのでビニールをかけ保護します。

米洗(よない)川にやってきました。米洗川の由来は、壬申の乱で大海人皇子が神事に使うお神酒を造るためにこの川で麹の米を洗ったことに起因します。

ここにも常夜燈がありました。

  

茂福神社:茂福(もちふく)神社は元禄16年(1703年)の東海道分間絵図に天王社と記されており、現社名に改称されたのは明治28年(1895年)のこと。

明治42年(1909年)鳥出神社に合祀されたが、地元住民の懇願あってのことか、昭和25年(1950年)鳥出神社から祭神を分祀し、茂福神社は再興された。(富田町HPより)

茂福神社の石碑の先を左折したところに「力石」があります。明治時代、常照寺が再建される際、各所から土台石の奉納がありました。その節、土台石の中よりこの石を選び、

休憩時に持ち上げて力比べで競い合ったと言われています。重さ32貫(約120kg)と子供用5貫(約19kg)のがあります。

また、力石の横には、「新設用水道碑」が建っています。

 

  

薬師寺は、大同年間(806~810)、この地に疫病が流行し、人々は苦しんでいました。旅の途中の弘法大師が薬師如来を彫って開眼すると、人々の難病はたちまち平穏したので

薬師堂を建てて薬師如来を祀ったと言われています。

 

富田の町に入ってきました。十四川の手前にも常夜燈があります。

 

十四川は、桜の名所でもあります。大正12年(1923)アミカジ製網を営んでいた伊藤勘介氏他有志により植樹されたのが始まりです。

昭和53年(1978)には、開花ぶりが良いということで日本さくらの会より全国表彰を受けています。十四川堤の両岸1,2kmに渡ってソメイヨシノが約800本植えられています。

  

明治天皇御駐輦(ちゅうれん)跡

  

道標と道路元標:

富田市民センターの所には、道標があります。富田一色(現四日市市富田一色)、川越村(現三重郡川越町)、東洋紡績と書いてあります。

富田3丁目には、三重郡富田(現四日市市富田)の元標。津市元標まで10里、四日市まで1里8町。

  

  

御厨神明神社は、祭神は豊宇気毘売神、応神天皇、天児屋根命、大山祇命です。創建年代は不明ですが、伊勢神宮の御厨の地に建てられました。以来、蒔田村の氏神として信仰されました。

「松寺の石取祭り」でも有名です。

   

朝明橋の所にやってきました。この橋を渡ると三重郡朝日町です。

橋の袂には、「いこいの広場」があります。ここにも「力石」がありました。

この力石は、江戸末期から明治初期にかけ、東海道筋のこの地で営まれていた茶店「橋南のつる」の主、大久保つるが後世に残したものです。

石には、「二十七〆」と刻まれ、その目方が二十七貫目(約100kg)と想像されます。

東海道を往来した旅人や駕籠かき衆等が休んだ折に余力を誇示するが如く自慢げにこの石を持ち上げていたのでしょう。

  

朝明橋を渡ると正面に伊勢湾岸自動車道が見えてきます。そのガード下を越えて行きます。

雨はとうとう本降りになってきました。カッパは着ていますが、もう下着まで滲みてきました。今日、桑名まではちょっと無理です。

地図を見ると、2km先ぐらいにJR朝日駅があります。とにかく今日はここまでとします。

  

 14:50 JR朝日駅到着。

  

6/24のGPS