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6/14(水)ふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、「赤間宿と正助ふるさと村を訪ねて」でした。
唐津街道「赤間宿」は、出光興産の創始者「出光佐三」ゆかりの地、生家がそのまま残っています。また、映画「海賊と呼ばれた男」のモデルです。
「正助ふるさと村」は、自然を愛し、親孝行で有名な「武丸の正助さん」をモチーフにした施設。
集合場所は、JR教育大前駅から5分ぐらいの「熊越池」。参加者28名。
コースは、熊越池スタート~伊豆本店~八所宮~ふるさと正助村~明天寺公園~赤間宿~教育大前駅ゴールの約10km。
9:30スタート
伊豆本店に来ました。伊豆本店は、1717年(享保2)の創業ということで約300年以上の歴史があります。
また、現宗像市長の実家でもあります。
伊豆本店から「八所宮」に向かいます。八所宮は、名のごとく八つの神様をお祀りしています。
「赤間」の地名の由来もこの神社によるものです。
神武天皇が東征の折、岡湊に着いた時、吉武地区の吉留にある八所宮の神が赤馬に乗って神武天皇を迎えた事から「赤馬」と名付けられ、それが転じて「赤間」となったとされています。
「絵馬」は、もともとは神々に祈願する際に、生きた馬を献上していました。その後これに代わる方法として土や木などで作られた駒形が奉納されるようになり、更にかわって馬や板に
描いた絵馬が奉納されるようになりました。浜松市の伊場遺跡から絵馬が出土しているように、絵馬を神に奉納する風習は、奈良・平安時代にはすでにあったことが確認されています。
ここの唐津街道は、支線で長崎街道木屋瀬に向かう街道です。
吉武小学校の所には、紫陽花がたくさん植えられています。「紫陽花ロード」と名付けられています。
吉武小学校の校門の所には、「孝子正助の碑」が建っています。
宗像市史などによると、正助(しょうすけ)は江戸初期、現在の宗像市東部に広がる農村地帯の武丸地区に、貧しい農民の子として生まれた。父には田畑がなく、農業の手伝いなどをしながら親子3人で暮らし、正助は、左党の父のため酒を買うのを楽しみにしていたという。その父が「中風」で倒れて半身不随になったため介抱しながら、母親にも孝行を尽くしたと伝わる。
疫病がはやった際には、わが身の危険を顧みず病人の看護に努めた。正助の博愛は、牛馬に及び、数々の逸話が伝承されている。
正助の評判は郡奉行、福岡藩に伝わり、藩は正助を呼び出して「孝子」であることを確認。年貢を免除したほか「武丸」の姓を授けたという。
正助が亡くなった後も、幕府が全国の「孝子」を集めて編集した「孝義録」で詳しく紹介したため、正助の墓には全国から多くの人が参拝し、観光地のようになったという。
「正助ふるさと村」は、自然を愛し、親孝行で有名な「武丸の正助さん」をモチーフにした施設です。
以前は、正助茶屋があり新そばなどを食べさせてくれましたが、コロナの影響で閉店しています。
現在は、年間収穫体験、そば打ち体験、貸農園は営業を続けているそうです。
正助ふるさと村からゴールを目指します。
11:50 教育大前の熊越駅にゴールしました。
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