昨日、悩ましい「おばんざい」について書きましたが、結論は・・・
「おばんざいランチ」は「よそゆきごはん」
こんな感じです(^^)。
いわゆる「おばんざい」は、普段着のごはん、京都のおうちごはん・・・っていう意味なんだと思います。
日本の食文化は多様化してきて、普通にいろんな国のお料理とか日本全国の郷土料理が食べられるようになりました。
家庭でも和洋折衷の料理が食卓に並ぶようになりましたが、昔は家庭で毎日普通に食べられていた「おかず」が当たり前のものでなくなってるんだなあ・・・って最近思います。
でも、やっぱり日本人だものね。おしょうゆとみりんの甘辛味とか、おだしのきいたおつゆとか、DNAに組み込まれてるんじゃないかな。
京都でも他の地域でも、普段着のごはん、おかずが毎日の食の基本であることには変わらなかったはず。
でも、少しちがうのは、京都にはそこに暮らしの文化の裏付けがあることじゃないかな。
旬のものをその時期にありがたくいただく、素材を生かして調理をする、無駄をつくらず調理をする、作りおきのおかずを常備する、月末にはお金をかけないで始末しボリュームのあるおからを炊く・・・。
そうしておいて、おいしいものを食べに行くときはその味を楽しみ、時間を楽しむ。
季節や行事に合わせたごはん、おかず、お菓子・・・などを節目でいただくことで、季節の移り変わりを多様な面から感じ、またこの季節を迎えられたこと、無事にまた次の季節に移っていけることに感謝する、そういう心とか精神がいわゆる「京のおばんざい」にはあるんだと思います。
それを淡々と作り続け、食卓に並べることは、めちゃくちゃ難しいことじゃないと私は思うけれど、これだけ便利になってる世の中だから、意識しないと便利な方へ流れてしまうのでしょう。
私はもう横浜にいる人間だからえらそうには言えないけれど、京都にいても意識しないと普通のおかずはつくらないようになっていくんだと思います。
だから、京都に観光で行かれた方たちが、京都を味わいたくて「京のおばんざい」を食べたくなる気持ちが、今は少しわかるような気がするの。
だって、食事って料理そのものの味とかだけでなく、雰囲気とか空気感とか含めて五感で味わうものだものね。
横浜にきてからずっと「おばんざい教えて」とか「いいよね、おばんざい」って言っていただくたびに、心に芽生えるモヤモヤと戦ってきたんですけど(^^;)、何だかそれがバックグラウンドにあるのは幸せなことじゃないかなって思います。
京都を離れてからの時間が長くなり、さらに両親が亡くなり帰る場所がなくなり、京都はせつないものになりました。
でも、実際にそこで生まれ育ったことは財産、そんな気がします。
11月の「つづき・ひとの『わ』ランチ」のメニューを決めるとき、すごく悩みました。
決めてスタートしている今も、メンバーで「どんなランチにしようか」と話し合っています。
一番の願いは「来た人に楽しんでもらうこと」です。来た人に食べて笑顔で元気に帰ってほしい、そんなランチにしたいと思っています。
そしたら、私らの提供できるサービスは、今は「おばんざいランチ」です。
とりあえず今は、ね。好評だったらこのままいくかな・・・って感じです。
家で食べているのは普段着。でも、それを盛りつけやテーブル、サーブの仕方、雰囲気に工夫を凝らすことで、「ちょっとよそゆき」「きれいなおべべ」にします。
横浜にいながらにして、京都を感じてもらえるランチにします。
盛りつけや雰囲気の演出はお花畑さんと蜂蜜さんがお得意。だから、ほとんどお任せです。
私は・・・おだしの取り方に始まり、そのおだしを決める昆布からこだわり、お揚げなど使う食材も京都のものを手配、できるだけ京都を感じてもらえるものにしようと思っています。
それをここ都筑の地場野菜や岩手の食材を使って、横浜で、私たちが作るからこその「おばんざいランチ」を提供したいと思ってます。
長々と書いてしまいましたが、(まだ模索中なの ^^;)、ようは、おしゃれな京都っぽいランチを演出しますので、それも味わいに来てもらえたらうれしいな。
横浜から京都まで、新幹線で往復3万円。それで京都を楽しむのもいいけれど、センター南までの電車代で味わえる「京都」。
それはなかなかええんちゃう!?
たくさんのお越しをお待ちしています。
楽しいイベントにきっとなると信じています(^^)v