はちみつと青い花 No.2

飛び去っていく毎日の記録。

言葉にしたものが認識に入る

2018年03月07日 | 雑感
2018/03/07

今日のひろばでは、秋からのコースの終了のリトミックとなりました。
職員さんの作ってくださった修了証とメダルを1人づつに渡しました。
1~3歳の子にとっては、たぶん人生初の修了証、いい記念になりますね。
初めの頃から比べるとずいぶんしっかりとしてきました。

4月から幼稚園の年少組に入る子たちもいて、
「とても素敵なリトミックだったので、もう来られないのが残念です」と、
2年間来てくれていたママに言っていただいて、うれしかったり寂しかったり。

今日は春らしく、「春の小川」やお花のことをやったのです。

ほんとうは男の子はお花よりも、車や電車のほうが興味があるかもしれない。
このことは長年子どもたちを見ていると、興味の対象に性差があることを感じます。
男の子は確かに女の子より、動くものに興味を惹かれます。

電車や動物は動くから子どもの目にも留まりやすく、子どもは大好きですが、
花のように静かに咲いているものは目に留まらないことがあります。

そんな時「お花が咲いているね。きれいだね。」などと話しかけてやると
子どもは、初めて花というものに気づき、その存在を認知するのです。

言葉にしたものが認識に入る。

生活の中で、たくさん話しかけて、その物事の存在を気づかせてあげると、子どもの知識も広がります。

このことは子どもだけではないはず。

と、こんなことを書いているうちに、「言葉にしたものが認識に入る」とは、
羽生さんがよい例だと思い出しました。

記者クラブ等の会見では、その言葉の選び方、受け答えが見事だと賞賛されましたね。

羽生さんは、10歳頃から大人のインタビューを受けることがあり、
話すことで考えをまとめる、明確にする、ということをしてきたのだそうですね。
また、ノートにも書いて、考えを整理、記録してきたそうです。

頭の中で混沌としていたものが、言葉にすることによって明確になる、整理される、強化する
ということは、確かにあります。
私もこんな駄ブログを書いていていますが、混沌とした1日のトピックスは何だったかと
記憶をさかのぼったり、焦点を絞ったり、整理して言葉にしたりという作業がとてもいいと、思い当たるところです。


コメント
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