はちみつと青い花 No.2

飛び去っていく毎日の記録。

『アンという名の少女』

2020年10月08日 | テレビドラマ

2020/10/08

 

NHKで日曜日の夜に『アンという名の少女』というカナダのテレビドラマシリーズが始まっています。

 

https://www.nhk.jp/p/anne/ts/37R5MJZ1WZ/

 

第1話は見逃しましたが、2話からは見始めました。

「いちばん好きな小説は?」と聞かれたら、私は今でも『赤毛のアン』と答えると思います。

小学6年生のときに本をもらって以来、長い間読んできました。シリーズ全部揃えました。アンが大好きだったし、大事な世界でした。辛い時代を一緒に歩いてくれた人、希望をくれた人、とアンのことを思っています。

80年代に、テレビアニメの『赤毛のアン』が始まりましたが、なじめませんでした。あまりにも自分なりのイメージが強かったので、アニメの顔や声が受け入れられなかったのです。あんなあわて者の女の子じゃない、声も顔も変と思っていたのです。もっと静かで穏やかな世界のはずだと・・・。

そして1986年に、カナダの映画『赤毛のアン』がきました。

本当のプリンスエドワード島の風景やグリーンゲイブルスの様子を知って感激しました。長い間、どんなものなんだろうと想像していた「歓喜の白路」や「輝く湖水」が映像でわかったのです。

アン役のミーガン・フォローズは11歳にしては少し大きいと思ったけれど(撮影時16歳だった)、こんな少女だったんだろうなと受け入れることができました。

あの頃、日本ではアンブームでしたよね。女優さんがプリンスエドワード島を訪れるテレビや雑誌の特集、旅行会社のプリンスエドワード島ツアーもありました。

それから・・・ミュージカルはどんどん演じられ、また映画が来て、私だけの小さな世界だった『赤毛のアン』はメジャーなものになり、イメージはどんどん崩れていきました・・・。そして、いつか赤毛のアンに親しむこともなくなりました。私自身が成長したのかもしれない。

と、まあ、私の中の『赤毛のアン』史を書いてみました。

 

ところで、今度のテレビドラマのアンは、これこそ私がイメージしていたアンの外見だ!と思う少女でした。赤毛でそばかす、目の大きな少女・・・。エイミ―ベㇲ・マクナルティという少女が演じています。他の登場人物も、それほどイメージと違わない俳優さんたちです。

モンゴメリのあの小説の再現だと思って見始めたら、そうでもないのです。

なんだか暗い、困難さがハンパない。

最初はこういうの嫌だなあ~ ほのぼのとした田舎町の暮らしと、いい人ばかりが出てくるあの物語が好きなのに、どうしてこういうふうに改作してしまうんだろうとね。

原作の赤毛のアンは、行き違いがあってもすぐにわかってもらえたり、問題は解決され、様々な事件さえも、滑稽で楽しいものでした。

でも、見ていくうちに意図が掴めてきたのですよ。

このドラマを見て、はっきりと分かったのは、私が昔読んでいたアンの世界は桃源郷だったということ。

現実はこうだったんじゃないかな。世の中、そんなにうまくいくものじゃない。もっと世界は複雑で困難なのだ。

これね、目からうろこでしたよ。今になってそのことが分かったのです。

11歳で孤児である女の子は、今ふうに言うなら、最も弱者である「最貧困女子」。まかり間違えば誘拐されたり、性暴力を受けたり、転落する危険性も充分あり得る女の子。

そこまでいかないとしても、カスバート家で盗みを疑われたり、学校でのいじめ、偏見、差別なども出てくる。アン自身がそれまでの生育歴でトラウマを持っていたり、マリラ・マシュウの愛を信じられなかったりと、孤児を引き取ることの困難さは、考えてみれば、ドラマのとおりかもしれない。

実は困難だった世界で、アンという子がどういうふうに世界に対峙し、自分で道を切り開き、成長していくのか。新しい現代的な物語なのだと思います。

 

 

 

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