はちみつと青い花 No.2

飛び去っていく毎日の記録。

さまざまな思い

2022年05月17日 | 我が家
2022/05/17


先週末の夜に、京都のお義姉さん(夫の兄のお嫁さん)
から電話がありました。

ここ何年かは義姉と電話で話すのは
盆暮れのやりとりのときくらいです。

夫の両親の23回忌が終わるまでは
兄夫婦がお寺に頼んで法事をやっていたので
2~3年に1度くらいは京都に行っていました。

5年前に義父の13回忌、義母の23回忌を
合同で行った後、コロナ禍で
京都に行くこともなくなり
しばらくご無沙汰をしていたのでした。







義姉からの電話によると
この4月末に、義兄が急に体調が悪くなり
足にむくみや膿が出て急遽入院したとのことでした。


その電話で、3年前に義兄がガンの手術
抗がん剤治療を受けていたことを初めて知ったのでした。

義兄が知らせないようにと言っていたので
他の兄弟にも知らせていなかったとのことでした。

ここ何年かの盆暮れの電話では
義兄は少し耳が遠くなったが
穏やかに暮らしていると義姉は話していました。

足のむくみはガンによるものではなく
蜂窩織炎という細菌感染症によるものでした。

義兄は多発性筋痛症で(これも初めて聞くこと)
ステロイド治療を長年続けていたため
免疫力が弱まって感染症を発症したとのことでした。

今入院している病院ではガン治療ができないために
感染症がよくなったら、緩和ケア病院に移ることを
勧められているそうです。







昨夜も義姉から電話があって
医師から余命をいわれたとのこと。

しかし、コロナのため会うことはできず
1週間ぶりにガラス越しに顔を見たら
思ったよりしっかりしていたそうです。

義兄が他の病院には行かず
この病院で終わりたいと云っていたことを聞きました。

義兄はもう覚悟しているのだと思いました。

それを聴くと、突然に悲しみがこみ上げましたが
心を鎮めて話を聴きました。

一番つらいのは義兄であり、義姉なので
その押さえているであろう感情を
私が刺激してはならないと思ったのです。

ずっと話さずにいたことを義姉は心苦しく
思っていたようで、今回話すことができで
多少肩の荷が下りたようでもありました。

これからは何でもお伝えしますから
と言ったのでした。

それについては、思いがないわけではありませんが
遠く離れて住んでいることや
関係性の中で出てくる判断だったのでしょう。







この数年間、義姉は看護でたいへんだったのでは
なかろうかと改めて思ったのです。


私自身は20歳前後で両親をガンでなくしており
夫の両親も病気で見送り、
病気や看護は長い間自分には近しいものでした。

私はヤングケアラーに近かったのです。
その頃にはそんな言葉もなかったけれど。


最近ではしばらくの間
自分や家族が健康に暮らしていたため
そういうことに縁遠くなっていました。

それは考えてみれば本当に幸せなことでした。


兄弟のことは「そういう年代になったのか」という驚きが
夫には悲しみともに感じられたようです。





コロナのため、今は病院にお見舞いに行くことは
できませんが、義兄が家に戻ってきたら
家にお見舞いに来てほしいとの義姉の言葉で
必ず行くと約束をして
兄夫婦の心に添いたいと感じたことでした。
















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