はちみつと青い花 No.2

飛び去っていく毎日の記録。

厳しかった昔の音楽指導者たち

2024年10月05日 | 音楽
2024/10/05


高坂はる香著
『キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶』
感想の続きです。

1948年、中村紘子は3歳のとき
市ヶ谷の東京家政学院に開設された
「子どものための音楽教室」第1期生
としてピアノを始めました。

1953年、紘子が9歳の時
音楽教室は仙川の桐朋学園内に移転しました。

開設当時室長を務めたのは吉田秀和
チェリストの斉藤秀雄、作曲家・柴田南雄
ピアニスト・井口基成、井口愛子。
素晴らしい、一流の講師陣でした。


「4,5歳の紘子が練習に行くのを嫌がった。」
と書かれていたので
彼女のような大成したピアニストでも
いやがった時期があったのかと
思いましたが
その頃の音楽教育はとても厳しかったのです。



(本書に載っていた写真ですが、どう見ても手が変に見えるのですが
私の見間違いかなあ…)


〈井口愛子は当時、大変厳しい教育者として知られていた。
白熱するレッスンの中、
「激昂して平手打ちが飛ぶこともあれば、
情け容赦ない言葉が雨あられのように
降りそそぐこともしばしば」
だったという。
大人になってからも
夢に見るくらいの怖いレッスンで、
前日に40度の熱を出すことがあったのは、
恐らくレッスンに行きたくなかったのだろうと
紘子は思い出す。〉(p.29)

井口愛子


それについて井口愛子は永井進との対談で
〈「私はむきになるのです。
やりかけるといやな音を聴いていられないのですね。
生徒が一生懸命になっていると、
なんとかしてやりたいという気持ちが強くなって」〉
と語っています。

なんとかしてやりたい気持ちは
平手打ちなどで通じるものなのか…

今の教育から考えると隔世の感がありますが。

昔のピアノの先生は怖かったという話を
坂本龍一氏も『音楽は自由にする』
に書いています。

子どもの頃、作曲を教わった男性の先生に
「生徒たちは怒鳴られたり、ひっぱたかれたり、
譜面に大きく×印をつけられたりしていた。」
「みんな叱られて泣いていた」とありました。


ヴァイオリニストの千住真理子さんも
本を書いていますが
恩師・江藤俊哉氏が厳しかったことを
書いていましたね。


多くの音楽家を育てた指揮者・チェリストの
斉藤秀雄氏も厳しい人だったようです。

『キンノヒマワリ』には
びっくりするような記述がありました。

指揮者・秋山和慶氏の話です。
〈学生オーケストラでモーツァルトのピアノ協奏曲を
やることになったとき、指揮は斉藤秀雄、
ソリストは日本音楽コンクール優勝の中村紘子。
当時中3。

斎藤が紘子にテンポの指示を出した時、
「紘子ちゃんは、“あなたみたいな指揮者では弾けません”
みたいなことを言って、
プイと出ていってしまったんですよ。
みんな凍りつきましたよ。
あの怖い斉藤先生がどんな反応をするだろうか。
怒り狂うのではないかと思いましたが、
先生は黙って、自分の部屋に戻られてね。
何分か、熱を冷ます時間を取りたかったようです。」

結局その後、紘子が戻ってくることはなく、
練習は中止。
後日、その代役として井口基成がソリストを務めて、
コンサートは一応無事に行われた。

紘子は後年も、自分の望む音楽表現を
共に目指してくれない指揮者には、
意見をぶつけて反発することは珍しくなかった。
それがデビューしたての15歳の時からだったとは、
やはり驚きである。
度胸と気の強さは人並みはずれていた。〉(p.47)


すごいなあと思いますが
いくら気の強い中村紘子といえども
そんなふうに反抗するなんて
斉藤秀雄の指導にも
なにか良くない点があったのではと
思ってしまいます。

ネットを調べてみると
指揮者・山本直純氏の話が出てきました。

〈門下生だった山本直純によると、
齋藤は喫煙中毒者であり、
ニコチンが切れると苛立って教え子に当たり散らし、
譜面台を蹴り倒して楽譜を散乱させることもあったという。
門下生の小澤征爾は高校時代、
齋藤から指揮棒で叩かれたり
スコアを投げつけられたりするなどの
体罰を日常的に受けていたため、
あまりのストレスから自宅の本箱のガラス扉を
拳で殴りつけ、大怪我をしたこともある。

また堤剛によれば、
指導中にくわえ煙草でチェロを弾くことも多く、
愛器を修理に出した際に
胴体から数年分の灰が出てきたことがある。〉
(Wikipediaより) 



ほんとうに昭和の教育者たちはまだ
軍国主義時代の影を引きずっていたのか
厳しかったのですね😨。

厳しい練習は生徒たちを委縮させ
自由な発想が生まれることを
妨げてしまうのではと思われますが…

18歳でジュリアード音楽院に留学した
中村紘子は、井口愛子に叩き込まれた
「ハイ・フィンガー奏法」を
一からやり直すように言われます。

〈手首を比較的低めに固く保ち、指先を丸く曲げて爪先を鍵盤にほとんど直角に近いような角度で、しかも鍵盤から高く上げて弾き下ろす奏法のことである。そして力は手首でなく、主としてひじを使って抜く〉

〈この弾き方をすると「響きがポツポツと固く、やわらかで甘い艶のある音色を作り出すことができない」ため、ロマン派以降の作品を演奏するには全く適さない。〉(p.31)

〈奏法の面での偏りに加え、のちに紘子が回想するのは、音楽的なイメージについても、生徒が自分勝手に音楽を創ることを戒め、ある意味で「自らの支配下に置こうとした」指導方法だった。〉

〈日本でピアノ教育を受けた若者が欧米に留学し、現地の教授のレッスンで衝撃を受けたこととしてよく口にするのは、先生が音楽性や解釈について自分たちに考えさせ、その意志を大変に尊重してくれるということだ。〉

〈ある作品をどんなイメージで演奏しているのか意見を求め、なぜそのように演奏するのかを問う。そこに確かな説得力があれば、師は、自分と異なる意見でも認めてくれることが、新鮮な経験として語られるのをよく耳にする。〉(p.35)

ひと昔前、日本人コンテスタントたちは
タイプライターのように正確に弾くが
個性がない、といわれていましたね。

それは、自分の意志や解釈が発揮できない
教育法の中で育ってきたせいなのかも
しれません。


今の日本の若いピアニストたちの
のびのびとした魅力的な演奏を見ると
日本の音楽教育も今や世界に誇れる
優れたものになってきているようです。



 


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