2021/02/07
森会長の発言がメディアで大きく取り上げられています。
私は最初、森さんの言うことはそんなものだろうと、このブログでも取り上げなかったのです。以前の言動からして森さんには期待も、そして憤りもなかったのです。
この話題もメディアにちょっとだけ取り上げられて終わると思っていたのです。
ところが話はどんどん大きくなっていきましたね。
私の感じたことは、森さんの「女性蔑視」発言への抗議というより、「オリンピックは本当にできるのか」、「オリンピックを中止せよ」という考えが世の中の多数であって、会長である森さんのたまたまの失言を捉えて、オリンピックそのものに対する批判があるように感じました。
もちろん、ツイッターのトレンドは、発言の女性蔑視に対する抗議が主流です。
ですが今のコロナ禍、東京オリンピック開催を強行しようとする動きに対する不信感が背後にあると感じられたのです。
私は2014年に『街場の五輪論』(内田樹/小田嶋隆/平川克美 朝日新聞出版 2014年2月発行)という本を読んでいます。その本の内容を思い出しました。
昔の感想の書きつけがありますので、ここに書いておきます。
平川克美氏は「オリンピックは今や政治的イベントであり、過剰に商業的な取引の場であり、国民統治の戦略的な装置になっている。」という。オリンピックは国威発揚のために使われる利権の化け物であると。
この本にはオリンピックが国内の問題から目をそらすために使われた歴史のことが書いてあった。
1935年に、1940年の東京オリンピック開催が決定したのだ。しかし開催されず幻のオリンピックになってしまった。41年には太平洋戦争が勃発している。
1923年に関東大震災が起こり、25年には治安維持法ができた。1931年頃から誘致を考えていたようだが、そんな社会情勢の時期に日本はオリンピックを誘致した。
1964年の東京オリンピックは、1950~53年の朝鮮戦争後、1954年から立候補し続け、1959年に開催が決まった。1960年には日米安保条約締結している。そんな世界情勢の時のオリンピックだった。
2013年に、2020年の東京オリンピック開催が決定。ご存知のように2011年に東日本大震災が発生した。フクシマの原発事故が起こった。その後、特定秘密保護法が制定された。集団的自衛権行使の問題もある。
この3つのオリンピック誘致に関していうと、震災や社会不安、戦争、きな臭い法案の採決と絡めて、オリンピックという順番が一致していることに気づく。オリンピックの位置づけが、見えてきたような気がする。
端的に言えば国民の目をそらすためにオリンピックが使われているのだと。
現在、東京オリンピックに関していえば、政治的なもので、巨大な金が動き、特定の大企業の利権のためのもの、というイメージが国民の中に浸透してきたと思う。
以前、抱いていたような晴れやかな「スポーツの祭典」というイメージは消えかかっているし、主人公であるはずのアスリートの声はほとんど聞こえてこない。開閉会式の総合演出チームも解散してしまった。
東京へ誘致以後、盗用が指摘されて変更したオリンピックエンブレム、当初の国立競技場のデザインが棄却されて再コンペとなったこと、暑すぎる時期の選手の健康への心配、コロナで1年の延期など、オリンピック開催に困難が次々待ち受けているのも、もともと必要のなかったものを無理に開催しようとしていることへの当然の障壁のように感じてしまうのです。
五輪開催の最終決定は3月中旬だそうですが・・・