2021/09/23
日曜日の朝には、NHK、Eテレで沢村貞子さんの「365日の献立日記」を見ます。
鈴木保奈美さんの「貞子さん」と呼びかける声も優しくて、今食べてもおいしそうな料理ばかりだけれど、どことなく古風で、なつかしい気持ちになる番組です。
湯気や匂いが画面から漂ってきそうです。
沢村貞子さんは26年半の間「献立日記」を続けたそうです。
昔、沢村貞子さんが『暮しの手帖』に連載されていた随筆を読んでいました。もうそれらの本は手元になく、また読んでみたいと思って『私の台所(だいどこ)』を図書館で借りてみました。
この本は1981年に暮らしの手帖社から単行本として出版されました。
本を開くと、ああ、こういう文章があったなあ、と思い出します。
沢村貞子さんは自分を「明治女」、「下町女」とおっしゃり、女優でありながら、家事もおろそかにしない堅実さが感じられます。
この本は家事のことを中心に、女優の仕事のこと、季節ごとに感じた暮らしのあれこれ、生きる知恵が随所にあります。
「こざっぱり」「こぎれい」に暮らす、という言葉がよく出てきます。
掃除、洗濯、ご飯作り、着物の手入れ、人とのおつきあい・・・。今となっては昔ふうと思われる事もあれば、いつの時代も変わらないと思うことも書いてあります。
撮影現場にお弁当を持ってくる箇所を引用させていただきます。
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私のお弁当
面倒みのよさのおかげで、私のお弁当箱はもちがいい。 赤、青、黄のうるし塗りの三つ重ね。 おかもち型や半月の春慶塗り。 丸形や小判―たっぷり大きいのや、ほんの虫おさえの小さいものなど・・・・・・。
仕事が遅くなるはずの日、私はいつも籐の籠に番茶の魔法瓶と手製のお弁当をいれてゆく。 朝、それを用意するために1時間ほど早く起きなければならないけれど、おっくうだと思ったことはない。
一番上には好物のお新香 ― ほどよくつかった白いこかぶと緑の胡瓜。 傍には黄色も鮮やかな菜の花づけ。 銀紙で仕切った半分には蜂蜜をかけた真っ赤な苺の可愛い粒。 中の段には味噌漬けの鰆の焼物。その隣の筍と蕗、かまぼこは薄味煮。 とりのじぶ煮はちょっと甘辛い味がつけてある。 上に散らした小さい木の芽は、朝、庭から摘んだばかり・・・・・・。 隅にはきんぴらの常備菜。 下の段の青豆ごはんがまだなんとなくぬくもりがあるような気がする ― これが塗りものの功徳というわけ。
(どう? ちょっとしたものでしょう。このお弁当は・・・・・・)
姑役の古い女はニンマリと得意げに塗り箸をとり出して、まず魔法瓶から香ばしい番茶を一口。美味しいものを食べると、人間は優しい気持ちになる。こういう時、食後の芝居はみんなとイキがあってうまくいく。 (p.81)
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上の文で、「面倒みのよさのおかげで」は、いつもマメに手入れをしていること。
「ほんの虫おさえ」って古風な言いかたですね。小腹がすいたときの、おなかの虫おさえ、ということなんですね。
おいしそうで、色、素材、香り、味が想像できる文ですね。仕事のある日にも1時間早く起きて、これだけのものを作るなんて、貞子さんは働き者です。
自分がおいしいものを食べたい、だけでなく、若い共演俳優たちに余計な気を使わせないようにという配慮があって、お弁当を持っていくと書いてあります。
「年齢も、趣味も、話題も違う私をご飯に誘わなくてもいいように」
お掃除について。
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私の家ではだいぶ前から大掃除をしていない。その代り、日を限らず、自分の都合に合わせて中掃除、小掃除をしている。
2,3日休みが続く時を見計らって計画を立ててするのが中掃除 ― 押し入れや納戸の整理整頓、キャタツを使う天井や壁、畳替えの日にする縁の下や塀まわりの清掃。季節の変わり目の衣類の入れ替え、箪笥やつづらの虫干しなどが入る。
小掃除というのは、汚れていて気持ちが悪いと思ったとき、格子戸に夕立のハネがあがっているのを見れば、すぐその足で雑巾を2,3本しぼって来て拭いておく ― というわけである。
煮物の砂糖を計る計量器に、指のあとがついていると気がつけば、早速濡れぶきんでこすっておく。夕食のあと片付けの最後にはいつも、みがき粉をつけたスポンジで、ガス台、調理台の煮炊きのよごれをとっておく。
(どんな汚れもすぐなら楽にとれるけど、時間がたつとイキがきれる ― 母がそう言ったっけ・・・) (p.109)
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きれい好きで、こざっぱりと暮らすことを心掛けているんですね。
この本が書かれた70年代と比べると家事はずいぶん楽になり簡略化されました。
でも、仕事に臨む心構えや人との付き合い、気の遣い方はいつの時代も変わらないなと感じます。