2021/09/11
『紅一点論』は1998年7月の発行で、23年も前の本ですが、最近読んでとてもおもしろかったので書いておきます。
本の紹介文
「男の中に女がひとり」は、テレビやアニメで非常に見慣れた光景である。その数少ない座を射止めた「紅一点」のヒロイン像とは。
「魔法少女は父親にとっての理想の娘である」「(紅一点の)紅の戦士は“職場の花”である」「結婚しないセクシーな大人の女は悪の女王である」など見事なフレ-ズでメディアにあふれる紅一点のヒロインとそれを取り巻く世界を看破する評論。
アニメ、特撮戦隊物、伝記に描かれた女性像についての評論です。
この本を知ったきっかけは、先日読んだ武田砂鉄さんの『マチズモを削り取れ』。『マチズモ』の中で取り上げられており、興味を持ったのです。
紅一点とは、男の中に女が一人の意味で使われますが、本来は萬緑叢中紅一点。
語源は北宋時代の政治家で詩人の王安石という人の詩の一説で、一面の緑の中に咲く紅の花一輪。もともとは凡夫のなかに俊才一人の意味でした。
『紅一点論』の中から、抜き書き、引用させていただきます。
〈紅一点は非常に見慣れた光景である。
『秘密戦隊ゴレンジャー』はモモレンジャーが紅一点。ウルトラマンの科学特捜隊に紅一点のフジアキコ隊員。ウルトラセブンのウルトラ警備隊にも友里アンヌ隊員がいた。私たちは学んだのである。女の子が座れる席は、ひとつしか用意されていないんだな、と。
現実社会を考えてみよう。企業も政党も議会も学会も報道機関も、同じ構図でできている。男性社会とは言うけれど、戦後の日本において、社会の上層部は「男だけ」の世界ではない。正確には「たくさんの男性と少しの女性」で構成されているのだ。〉 (「はじめに」p.5)
著者は、「紅一点」について戦後の子どもメディアを彩ったヒロイン像について映像と活字という2つのメディアから考察しています。
①テレビの特撮ドラマやアニメーション
②子ども向けの伝記シリーズ。
このふたつこそ、子どもたちが初等教育の頃に出会うメディア。「たくさんの男性と少しの女性」の社会観は子どものうちから補強されるのです。
紅一点のヒロインとは「ひとりだけ選ばれて男性社会の仲間に入れてもらえた特別な女性」のこと。ヒロインは、どこがどう特別で、誰に選ばれたのか。
男の子向きのアニメと女の子向きのアニメの特徴。
「軍事大国としての男の子の国」
ヒーローは基本的に組織に忠実な兵隊。舞台は宇宙で、地球の防衛が目的。異質なものを排除する戦争。科学技術と軍事拡張。変身は武装。本来の戦争は軍事と外交の2本立てだが、「男の子の国」には外交交渉がない。
恋愛立国としての「女の子の国」
舞台は現代、地域社会や学校周辺での事件。同年代の仲良しサークル。科学でなく魔法。宇宙といえば、お月様やお星さま。前世や輪廻転生、近代以前の世界観が生きている。女の子の国は世界に一つの大切な宝物を守る防衛戦。
女の子の国のキャラ分けがおもしろくて・・・。
- 魔法少女・・・親の庇護下で遊びながら結婚を夢見ている少女(聖なる母親予備軍)。父親から見た理想の娘である。魔法を使えるお姫様である
- 紅の戦士・・・男に囲まれて働きながら婿を物色する若い女(聖なる母予備軍)。紅の戦士には女の友達がいない。
- 悪の女王・・・嫁にも行けず母にもなれない行かず後家の働く女(聖なる母失格者)。行動原理は嫉妬ないし物欲。
- 聖なる母・・・夫と子どもの活躍を背後で支える理想の女。
〈「魔法少女」や「紅の戦士」が少女や若い娘であること。「悪の女王」が、社会的に地位の高い大人の女であること。前者は必ず勝って、後者が必ず負ける。この素晴らしい結果を、さて、あなたはどう見るだろう。端的に言えば、魔法少女や紅の戦士は男社会に都合のいい女性像であり、悪の女王は男社会に都合の悪い女性像だといってもよい。〉(P.58)
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「魔法使いサリー」、「セーラームーン」、「ひみつのアッコちゃん」、「リボンの騎士」、「キューティハニー」etc.・・・もキャラ分けされています。
分析力がすごいなあと感心してしまいました。私は漫画やアニメ、戦隊ものをあまり見てきませんでしたから、この分野は疎いのです。今ごろになってガンダムやエヴァンゲリオンの概要を知ったくらいです。
著者は「アニメの国は大人社会の縮図」といっています。戦後の日本が目指してきた社会や働き方が、そのまま子ども向けアニメにも反映されていることに気づかされました。
「秩序だった組織、絶対的な命令系統。近代科学や工業技術への信奉、建造物としてそびえ立つ作戦本部。男の子の国は、戦後の日本を支配してきた滅私奉公の企業社会と相似形をなしている。」(p.32)
伝記ものは小学校の図書館にも置かれて、親も安心して子どもに読ませられる本、人生のお手本になるべき人々の話といってもよいかもしれません。
女性の偉人は男性に比べて少ないのですが、その中でも、ジャンヌ・ダルク、ナイチンゲール、キュリー夫人、ヘレン・ケラーは偉人伝の常連。
著者はこの女性たちにも、上の「女の子の国」のキャラ分けを当てはめています。
ジャンヌ・ダルクは女性には珍しく「戦闘する女性」ですが、裁判で魔女だとされ処刑されてしまいます。「魔法少女」から「紅の戦士」になり、「悪の女王」として処刑されてしまうジャンヌ。
ナイチンゲールはクリミア戦争で看護婦として働いた「白衣の天使」というイメージが強いですが、人生の大部分は敏腕の実務家、教育者で、著者は「すご腕実務派ばばあとしてのナイチンゲール」と呼んでいます。
キュリー夫人は業績以外にも、恋愛の側面が男性科学者よりも強く描かれています。著者は「ラブ・ロマンスとしての伝記」と評しています。夫ピエールとの出会い、恋愛・結婚、夫の死後、(夫の死を乗りこえて?!)教授職と研究の後を継ぐ。ポール・ランジュバン教授との不倫疑惑事件(子ども向け伝記には恋愛のことはさすがに書かれていない)。
運命の王子様との出会いがマリー・キュリーの人生を決めた・・・という描かれ方。
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著者は書いています。
〈アニメや伝記に観察できる構造は、実社会にも共通したものである。
「たくさんの男性と少しの女性」でできた「男の子の国」のすぐ横には、必ずといっていいほど、女性ばかりの「女の子の国」がひかえている。名門大学と女子大学、お医者さんの社会と看護婦さんの社会、企業における総合職と一般職。女という性に生まれた子どもたちは、進学や就職という局面に立つたびに、いわば、男の子の国と女の子の国との二者択一を迫られるのである。
アニメや特撮ドラマ、あるいは子どもの本の制作現場も「たくさんの男性と少しの女性」でできた社会である。むろん、女性はたくさん働ている。けれども、その社会の上層部、決定権のある地位に近づくほど、女性の比率は少なくなる。
萬緑叢中紅一点は、決して健全な状況ではない。それじたいが不健全なのではなく、それだけが幅を利かせていることが不健全なのである。
様々な男女比の組織やチームが当たり前に存在するようになったとき、はじめて私たちは男女比なんていう些末事にわずらわされなくなるだろう。〉(P.301)
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現実の政界や大手企業役員の女性割合を考えると、これが書かれて23年過ぎた今も状況はあまり変わっていないのでは。
斎藤美奈子さんがこれを出版した以後も様々なアニメが出続けています。この本に書かれた女性像、男性像が今も変わっていないのか、ずいぶん変ったと見るのか、私はこの分野に疎いのでわからないのですが、アニメに詳しい人に聞いてみたい気がしますね。
今は総裁選が注目されていますが、紅一点という言葉を聞くと次の内閣での女性割合が気になるところです。
菅内閣は紅二点だった・・