はちみつと青い花 No.2

飛び去っていく毎日の記録。

今月の「おとなリトミック」

2023年05月24日 | リトミック
2023/05/24


今日はすっきりとした青空。
私の生活も通常モードに戻ってきました。

今日は「おとなリトミック」がありました。






「リトミックって何だろうと思って来てみた」
と云う方もいました。


毎回定番で行うストレッチや
グーパー体操、あいさつ歌のほかに
メインはこんなことをやってみました。


4拍子の曲を聴いて
1.2.3.4  1.2.3.4 
と口で言いながら、拍打ちをします。

慣れてきたところで
「1だけ打ってください」

1.2.3.4
手・X・X・X


「1と3を打って」
「今度は2と4」
「3だけ」などと
少しづつ変えて打ちます。

それにも慣れてきたら
手で打っていない拍は足踏みをします。


例えば、手が1と3のときは
2と4で足踏みをします。

1.2.3.4
手・足・手・足

それも慣れてきたら次は
足踏みを実際のステップにして
部屋の中を歩きます。


皆さん熱心に集中してやっていました。
知らず知らずのうちに汗もかいてきました。
これはとてもよい脳トレになります。

曲は「エンターティナー」を使いました。
4拍子の曲なら何でもいいのです。


今月の歌う1曲は「浜辺の歌」。

声に出して歌うことで
口のまわりの筋肉をよく動かし
(顔のたるみは防げるかしら)
誤嚥を防ぎます。
腹筋を使い、肺機能を鍛えるようです。


「浜辺の歌」は8分の6拍子で
体を左右にスィングすると
拍子がよく感じられます。





「なんだろうと思って覗いたけれど
こんな素敵なことをやっていたのね」
といってくださる方がいて
こういう言葉はほんとうにうれしいですね。

たくさん準備をして
重い荷物を持って会場に行った甲斐が
ありました。



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叔母の悲しみ 清和君の話

2023年05月23日 | 日々の出来事
2023/05/23


ここ数日間は京都行きもあり
いろいろなことがあり
慌ただしく過ごしていました。

書きたいことが、いくつもありますが
まず、昨日のことから書いておきたいと思います。


浜松の叔母から新茶が届きました。

叔母の実家の茶園で作ったもので
毎年送ってくれます。




早速お礼の電話をしましたが
電話に出ません。

もう89歳ですから
足が衰えてきているので
電話に出ないのも珍しくありません。

しばらくすると叔母からかかってきました。

いつもはハキハキした人なのですが
その電話の声がなんだか暗いのです。

私はいつものとおりの調子で
近況など訊いたり、話していると
「悲しいことがあった」と突然言いました。

訊いてみると
「清和が亡くなった」というのです。

清和君というのは叔母の長男
つまり私にとっては少し年下の従兄弟です。

ゴールデンウィークの前に亡くなり
ごく内輪で葬儀を済ませたのだそうです。


「どうして知らせてくれなかったの」
というと
「悲しすぎて言えなかった」
「誰にも言いたくなかった」



清和君は
結婚8年目にやっと授かった子でしたが
出産時、難産で鉗子分娩になったことから
脳に障害が残ってしまったのです。

医療事故ということですが
訴えたところで
清和君が元に戻るわけでもなく
訴えることはありませんでした。

脳性マヒとしては重度ではないけれど
不随意運動があり、歩き方、話し方も
不自由でした。

清和君は養護学校へ通い
高校からは親元を離れた学校に通っていました。

高校卒業後は近くの工場の軽作業の職に就いて
お見合いで障碍者同士の結婚をし
男の子にも恵まれました。

清和君夫婦は少し離れた町内に家を建てて
住んでいました。

叔父(清和君の父親)が2011年に亡くなり
その年、清和君は脊椎の手術をして
背骨にボルトを入れました。

その後少しづつ体が衰えてきて
歩くことが難しくなってきたようでした。


最近のようすは私から尋ねることもせず
叔母も話すことはありませんでした。






清和君は4月下旬に自宅の風呂で溺れて
亡くなったのです。

布団の上で安らかに逝くのではなく
誰にも見取られずに逝ったことが悲しすぎると
叔母は言います。

司法解剖のため1週間も
遺体が戻って来なかったことも悲しみを深めました。


叔母にとって清和君は
生涯つらい思いをさせた子であり
申し訳なさは生涯変わらなかったのだと
思います。


「悲しくて悲しくてたまらない」
「つらすぎて何もやる気がおきない」
と叔母は言いました。


でも、私はこうして叔母が
その気持ちを話せていることが
ある意味、救いだと思いました。

私も泣かないつもりでしたが
ついもらい泣きをしてしまいました。


私が泣いて押し黙ったので
「悲しい話をしてごめんね」と叔母は
かえってそう言って電話を切りました。


その後も私はしばらく悲しみについて
考えていました。


わが子を先に見送るほど
悲しいことはありません。

産まれてからずっと
そんなにも気にかけていた子を
自分の眼の黒いうちに見送ったのは
よかったのではないかと私は思ったのです。

叔母がそう思うとは限らないので
言いませんでしたが。

人の悲しみは当事者以外
誰にもわからないものです。



早くその悲しみが癒えてくれるといいと
願っています。

ここにこうして名前を出して書いておくのも
清和君という人がいたことの
証になるのではと思って書きました。








コメント (2)
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義兄の一周忌の法要は終わりました

2023年05月21日 | 我が家
2023/05/21


自宅に戻ってきました。

昨日、夫の兄の一周忌の法要を
お坊様に来ていただいて
兄宅でとり行いました。

親族12名の参列でした。

法要は1時間ほどで終えました。

兄嫁の人がらもあり
和やかな法要でした。

ほんとうに仲がよくて
明るくいい家族だなあと思います。


夫は兄嫁から兄の形見の
ぐい飲みをいただきました。

後日写真を載せますね。


私たち夫婦はこの後、琵琶湖畔の
大津プリンスホテルに泊まる予定にしていました。

大津までは、移動に時間がかかるので
会食は辞退していました。


兄嫁の妹夫婦にあたる信楽町の人が
車で来ており
親切にも、帰りがけに
立ち寄ってくれるということで
ホテルまで車で送ってくれました。

JRで行くつもりだったので
ほんとうに助かりました。


大津プリンスホテルは
琵琶湖畔にひときわ目を引く姿で
立っていました。





夕食は中華料理



上品な中華でした。
サービスもよかったです。


部屋に戻ったら
突然、夜の琵琶湖に花火が上がって
びっくりしました。

窓から辛うじて見えました。





取りあえず一周忌の法事が終わって
ほっとしました。


ホテルから見る琵琶湖の景色は
すばらしいですね。

対岸の灯りなど見ながら
ゆっくり休みました。

詳しいことはまた後日書くことにします。




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京都に来ています

2023年05月19日 | 日々の出来事
2023/05/19

朝、東京を立ち
名古屋から中央本線で
岐阜県土岐市に向かいました。

夫の姉の家に伺いました。

これから京都の兄の一周忌の法要に
向かうので
出席できない姉に会って
そして兄宅へのお供えなどを預かりました。


久しぶりの訪問なので
とても喜んで歓待してくれました。



モエ・シャンドン。


そして義姉の家を辞した後は
京都に向かいました。

明日は
京都の義兄の1周忌の法要が
あります。

義兄が突然のように亡くなってから
もう1年経つのですね。

今夜は知恩院の和順会館に
泊っています。


三門


和順会館


夕食は和順会館の花水庵で
いただきました。

雨の京都は新緑がとてもきれいです。
海外の観光客が多いですね。

京都はやっぱりいいですね。

慣れないスマホ入力です。
小さな文字に眼がしょぼしょぼです。




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成田悠輔×林真理子さんの対談

2023年05月18日 | 
2023/05/18


今日は暑くなりましたね。
東京は33℃です。

しかし、まだ地面や建物からの
放射熱がないので
真夏よりは過ごしやすい感じがします。


ネットで
成田悠輔×林真理子さんの対談を
見たのですが、これが興味深かったです。

この二人の取り合わせがおもしろいな
と思いました。



成田さんはときに鋭い発言をするけれど
ああ、そうだなと気づかせられるというのか
その見識に驚かされることがあります。


林真理子さんは昔から好きで
たくさんの本を読んできました。

ずっと時代ごとに
流行を読んできたような気がします。


さて
3つほど印象に残った話を
書いておきたいと思います。


みんなが見て楽しむスポーツの位置づけが
興味深いのです。

スポーツは戦争のマイルドなバージョン

成田さんのこの言葉にまず驚かされました。

「内戦をしているアフリカの国なんかで
ワールドカップに出場できたりすると
内戦が減るらしい」

「戦争とか暴力の代わりに
ガス抜きをする装置として
スポーツという疑似戦争があるんだと思って」

「グツグツとした不満を
ガス抜きする装置としてしか
スポーツは機能しなくなっているのかな」

私見ですが
だから男性のほうがスポーツが
好きなのかなと思います。

男性は勝ち負けのはっきりしたゲームを好むと
男性だけが戦っている
野球やサッカーや相撲のテレビを見て
思ってます。


そして音楽の話。

「どうして音楽ってあんなに熱狂を
作り出すんだろうって」

「本は、読んで人が熱狂する事はないのに
音楽だけが特殊だなと思う」

「いろいろな創造活動があるなかで
圧倒的な熱量を音楽が作り出せる
ってなんでなんだろう」

「音楽だけが文化の中で救いなんだろうな」
と成田さんは語っています。


確かに。
私も音楽ってどうしてこんなに感情を
揺さぶるのだろうと
思ったことがあります。

音楽を聴くと
空気がガラッと変わることがあります。
元気が出たり
悲しくもないのに、突然泣けたりね。

本にも感情を動かされることは
ありますが
心の底に深く沈んでいくような感動で
体で表現するような感動とは違いますね。


活字文化の話。

「若者が活字離れしてるっていうのは
嘘だと思うんです。
本や新聞・雑誌という文字のまとめ方から
離れてるだけで
LINEでチャットしたり
Instagramやネットニュースを
見続けてるじゃないですか。
 
1日中SNSを見ているわけだから
文字を見る量は減っていない」

「だからどういうタイプの活字に触れるか
というのだけが変わってきている」

「本は自分の内側に流れる時間と向き合う
“体験”を提供するんだっていう立場です。
ある種の瞑想体験みたいなものを
提供するのが本なんだと
再定義しちゃうのがいいと思います」

「人は有史以来、何かを書いてきたのだから
言葉を書くとか発するというのが
人間の1番根本的な欲望の1つではないかと思う」


この考え方もとてもおもしろいです。

ネットのSNSと、紙の本との違いを
深く考えたことがなかったけれど
どんどん表層的に流れていく情報であるか
自分の内面に向かう作業であるか。
その性質を言葉にしてくれて
違いが明確になりました。


本は書き上げるのに
大変に手間がかかるけれど
それを読むほうもかなり時間がかかる。

送り手と受け手という違いはあれど
どちらも自分の内面に深く入っていく
作業であることは共通してますね。


対談の冒頭のほうですが
林真理子さんが
「もっとも意識しているのは、
偉そうな印象を与えないことですね。
作家という職業は基本的に偉そうに見られがちなので、
〈金持ちのオバサンが上から目線で書いている〉
なんて思われたら
何を書いても真意が伝わりません」
といっているのが、なんだか納得。

ちょっと話が逸れますが
昔トレンディドラマに出ていて
今も活躍中の美しい女優さんが
Instagramにのせる写真に気をつけている
というのを読んだことがあります。

女優というだけでお高くとまっていると
思われてるので
白いご飯や納豆の写真を載せたとしても
有機栽培の特別なものを
載せているんだろうと思われてしまう、と。

今はなんでも気を使わなくてはいけない時代に
なりましたよね。





「With digital」のリンクを下に貼りましたが
最後に対談のYou Tube動画もあります。

動画は二人の表情が見えるので
文字に書かれたものと
若干、ニュアンスの違いが感じられます。
(書き起こした対談は一部
加筆修正が加えられているそうです)







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