顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

雨引の里と彫刻2019

2019年04月21日 | サイクリング
1996年から始まったこの彫刻展は中断をはさみ今年で11回目になるそうです。38名の出品作家の方々が主催し、地域の方々などが協力し、新緑の里山の自然の中に置かれた作品をまるでオリエンテーリングのようにまわると13キロ…というので車に自転車を積んで出かけてきました。

作品は彫刻というタイトルがついてはいますが、石の産地なので石の彫刻が多く見られる他、色んな素材の造形作品が現れます。鑑賞力ゼロの仙人ですが、春いっぱいの自然の中で分からないなりに楽しませていただきましたので、その作品の一部を紹介させていただきます。なお、会期は2019年4月1日~6月9日です。
【  】内は作者のひとことからの抜粋です。

佐藤晃 「大気の襞」 材料/白花崗岩
新緑の里山と農地、空を切り裂くように飛行機雲、地元産の白御影石には強い影が…。
【…ここを占有する見えない大気のかたまりをまさぐるように彫刻を試みる。自然の震幅の中で、かたまりは茫漠とした襞になる】

大槻孝之 「雲の隙間」 材料/鉄
桜川沿いの平らな農地に不安定に置かれた大きく厚い鉄板、遠くに筑波山が見えます。
【雲の中に入るように作品の間を通り抜ける。そのときの空気の密度を感じてほしい。…】

高梨裕理 「かすかに光る」 材料/楠
高森神社境内の木陰に置かれた中をくり抜かれた楠木、先端からはかすかな光が見えます。
【木を彫りながら木の中に入っていく。かすかな光を見るために。その先には見たい風景が見えるのだろうか。】

平井一嘉 「石のコロナ」  材料/安山岩
背景に加波山(709m)、燕山(701m)を配した里風景の中に、石彫とは思えないヌルリとしたかたまり。
【原石の各面の頂点から任意に印をして、原石の占める空間を最大限に残して、原石の中のエネルギーが蠢くように掘り下げて出てきた形、どこで止めるか終わりのない旅の途中です。】

シャンドル ゼレナク 「対話 Ⅱ」  材料/竹、ミクストメディア
高森神社境内の竹の造形は、1971年ハンガリー生まれの作家の作品、絵画やインテリアデザインなど多方面で活動しています。内部には座禅でも組めそうな小スペースがあります。

津田大介 「炎舞する指揮者」  材料/楠、鉄
背景の一番高い雨引山(409m)をはじめ周りの自然全部を指揮しているようです。
【…指揮者が舞うようにタクトを振ると花々を開花させ、草木は青々と萌芽する。野山の春を奏でるオーケストラが始まった。】

戸田祐介 「天地を巡るもの/再生考」  材料/木製廃ボート、ステンレススティール他
関東の名峰、筑波山(877m)を突き刺すように数珠を付けたようなポールが廃ボートから…。
【…廃棄寸前だったボートを改造して01年の雨引に展示しましたが会期中に盗難に会いました。18年を経て春の讃歌の続きです。】

大栗克博  青鷺城・小天守  材料/灰色花崗岩
西に富谷山(365m)を控え、北方には水堀の役目をする桜川、まさに小さな天守の立地に充分です。
【季節は春から夏、筑波連山を一望できる高台の静かな休耕地にカッチリこしらえた石の作品をひとつ置いてみた。】

会場の一つ薬王寺は江戸時代中期開山の天台宗の古刹でもみじ寺としても知られています。
山門は二宮尊徳が186年前に地区の青木堰を再建した時に使われたケヤキ材を、改修の際に再利用して1918(大正7)年に建てられたといわれます。

西成田洋子 「記憶の泉」  材料/古着、靴、鉄、その他
仙人の句友です、記憶の領域シリーズで独特の素材による作品作りをしていますが、今回は柱に堰に使っていた当時の桟の穴が残る山門のロケーションがぴったりだと感じました。
【…これまで体験したことや想像していたことなどがとめどなく脳裏に蘇ってくる。それを素直に咀嚼して集積したものが最終的に作品として立ち現れてくる。】

宮澤泉 「象」  材料/花崗岩
お寺の一画、桜はほとんど散りました。邪馬台国の卑弥呼に与えられたという親魏倭王印を想い出しました。
【…季節は春、桜の花や新緑の中をゆっくり巡り歩いていただきたいと思います】

小日向千秋  「蜉蝣の花」  材料/漆、金箔、鉄線、鋼板、他
本堂手前に置かれた金色の炎のような作品、周りを繊細な花弁状のものが囲んでいます。
【…風に揺らぐ儚い花弁に包まれた蕊は、天に向かい光を集めながら生命の転生を願います。】

鈴木典生 「曼荼羅」 材料/白御影石
桜の木立の下に、中央に穴の開いた花筒形の石の作品が円状に並んでいます。
【…その木立の中心に立つと、創造と宇宙の調和、内部にある小宇宙とその外部にある大宇宙をつなぐような自然界の構造またはリズムを感じます。…】

海崎三郎 「春は花」 材料/鉄、塗料
花びらが水に浮かんだ花筏は春の季語、本物の花びらも浮かんでいました!
【桜が空に舞う時、風がもたらす瞬間の在り様に心をひかれ、吹きだまりは花びらが折り重なってまるで光の塊のように見える。命がけの美しさである。】

八十島海斗 「Dress Up」 材料/御影石
周りを取り囲む自然のほうがこの瞬間、よりドレスアップしているようです。
【里の木々が新緑を着飾るとき、人や動物に喜びと恵みを与える。いつの時代にも、春が沈黙することがないように願います。】

國安孝昌 「雨引く里の羽田山の産土神の御座」  材料/丸太、陶ブロック、単管
大きな作品、周りに置かれた桜の苗木の支え棒も作品の一部?のようにも見えました。
【…人生の摂理は、螺旋を描きながら 、同じ位相の高度を変えながら、旋回しているのだと思う。】

山添潤 「石の軀」
仙人には少しエロチックな感じのトルソー、噎せるような新緑によく似合うと思いました。
【ゆっくりゆっくり石を彫る。刻々とその姿を変えながら、石の表面はノミ跡で覆われる。彫るというよりは、力を押しつける。減らすのではなく増やすように。…】

【  】内は作者のひとことからの抜粋です。
現代美術的な作品群は仙人レベルでは到底理解できませんが、作者のひとことを読み、その力作を見ると、作家の方々も作品の置かれた雨引の里風景から大きなエネルギーを補填できたのではと思いました。いずれにしても今後の精進を願いながら力作に拍手を送りたいと思います。

雀の交通事故

2017年06月11日 | サイクリング
涸沼サイクリングロードの北側始点は、この時期になると両側に草が生い茂ります。春先は土が見えていた土手が、2,3か月でこの状態になります。遠くに涸沼川の大貫橋が見えます。

追い風でスイスイ走っていると、眼の端に草むらから飛び出す小さな影、そして後輪に軽い衝撃…、戻ってみるとスズメが血を流して死んでいました。唖然、どうして空を飛ぶ雀が?草むらに?後輪で轢いてしまったようです。即死のようでした。小さな生き物の血の赤さに、失われた命の大きさを見る思いです。
まだ暖かい体を飛び出してきた草むらの草の褥の上にそっと置いて、ごめんね、避けきれなかったと手を合わせました。

暗い気持ちで走っていると、道に1mを超える大きなアオダイショウ、動きそうもないので鼻先を通り過ぎたら、やがて悠々と草むらに入っていきました。ここは葦の中から様々な鳥の鳴き声が聞こえるラムサール条約の登録地、蛇も生きていくのにはいい環境なのかもしれません。

しじみ採りの舟が出ています。資源を守るため、径12ミリ以上、日曜祭日以外の午前7時から11時まで、12月から4月までが午前8時から昼まで、1日の漁獲量 は100キロまでと、厳しい規制があり、漁業者の数も限られており欠員を待っている状態だと聞いたことがあります。

秋の月の広浦公園では、草が綺麗に刈られていますが、縁石の部分にヒルザキツキミソウが一列に残っていました。雌蕊の先端が十文字という面白い形をしています。

帰り道いつもの場所でタワラグミの真っ赤な実が鈴生り…、小さな生き物の死と梅雨入りの憂鬱な気持ちを、少しばかり明るくしてくれた鮮やかな色の写真が撮れました。

秋のキノコ

2016年09月27日 | サイクリング
金木犀が匂います…昔から金木犀が匂い始めるとキノコの季節と言われています。たまたまサイクリンで涸沼広浦キャンプ場、そこの松林で見つけたキノコを撮ってみました。

イグチ科のハナイグチ、この辺ではアワモチタケ、アブクタケといってコリコリの食感で美味です。キノコそばで有名な市内の蕎麦屋ではジゴボウという名で出ていました。
いつかいっぱい採って味噌汁で食べたら、下痢をしてしまい、すわ食中毒とあせりましたが、管孔系のキノコは食べ過ぎると消化不良を起こすと後で知りました。

食べられるアカハツです、多分赤いハツタケという名前。海岸沿いの松林によく出るハツタケの仲間、早い時期に出るのでハツタケ?きれいなキノコなので結構見つけると嬉しくなります。

キシメジです、多分。どちらかというと晩秋、海岸の松林に出ます。小さいときは砂の中に半分埋まっています。近所の方と数人でキノコ採りに出かけ、帰ってからきのこ汁をつまみによく酒を飲んだものでした。

ベニタケ。種類はいろいろあるようですが、鮮やかな朱色なので毒キノコとして認識していました。調べてみるとベニタケ属には比較的毒キノコは少なく、ただ辛味が強いので食べないようです。
今回のキノコは数も少なく自信もなく採取しませんでしたので、くれぐれも鑑定の材料にはしませんように…

茸(たけ)狩りのから手でもどる騒ぎかな  一茶
毒茸(どくきのこ)月薄目して見てゐたり  飯田龍太

涸沼のしじみ漁

2016年07月01日 | サイクリング
周囲22kmの涸沼は海水と淡水が交わる汽水湖であり、那珂川に流れ込む涸沼川ともども養分が豊富であることから、島根県宍道湖・青森県十三湖とともに日本三大しじみ産地として知られています。
水温が温かくなり今まで砂の中に深く潜っていたシジミが湖底の表面へと上がってくるこの季節が年間を通してしじみ漁に適した時期になり、蜆舟がずらりと並びます。

しじみ漁師は、上限240人のため今は空き待ちの状態とか、資源を守るために漁の時間、漁獲量、カゴ網の目径12mm以下は採らないなど、ルールが厳しく定められています。
さらに、涸沼のしじみは、「手採りカッター漁」という、舟から湖底に下ろした「カッター」と呼ばれるカゴ付きの竿を使う昔ながらの漁法で採られています。動力は使わず、潮の流れや風の力を利用し、少しずつ舟を動かしながら、しじみを掻き揚げる体力のいる採り方で乱獲を自粛しています。
それでもここ数年漁獲量がだんだん減っているようなのは心配です。

竿一本身体あずけて蜆舟  顎髭仙人    (蜆の季語は春です)

瑞穂の国と徳川斉昭

2016年05月12日 | サイクリング
涸沼が細くなって涸沼川になる辺りから、那珂川に合流する辺りまでは、広い田園地帯が続きます。連休の頃になると、近辺は田植えのラッシュで、兼業、専業にかぎらず家族が田んぼに集まって協同作業をしている姿を見かけます。
知り合いの稲作農家の方は、田植えはお祭りだと笑っていましたが、確かに少年時代に実家の田植えの賑やかさを思い出しました。その方は稲作では利益は出ないと言いますが、食料自給率の低い我が国なので、一つの文化としても残しておいていただきたいと思うのは、取り巻く環境を考えると、外部の勝手な思いなのかも知れません。
なお、この田園地帯の一画秋成地区は、江戸時代(1835年)に大場村(水戸市大場町)の大場太衛門が願い出て,藩主の徳川斉昭,郡奉行の吉成信貞により開発された「秋成新田」で、秋成という名前は,斉昭に因んだという説もあります。

その斉昭が八景めぐりで藩内子弟の心身鍛錬と、景勝地での風月鑑賞ができるようにと建てた水戸八景の一つ「広浦の秋月」の碑が、涸沼の出口付近の広浦にあります。建立当時は台座の石は地中に埋められて、地面から直接建てられたようにして自然石の味を出し、周りの風景に調和するように工夫されていたようです。水戸八分という独特の隷書体で書かれた斉昭の書が彫られています。
左側には明治25年に建てられた津田信存撰文、小河政常の書による保勝碑が建っていますが、常陸太田産の寒水石(大理石)のため、風雨に晒され碑面はよく読めないほどになっています。
碑と碑の間に遠く筑波山が見えます。直線距離で約40キロありますが、さすが関東平野の名峰、遮るものはありません。

天の神地の神達に植田澄む   右城暮石
黒南風や八景碑越し遠筑波   顎髭仙人

なお、水戸八景すべてについては、拙ブログ「水戸八景…斉昭公選定の水戸藩内景勝めぐり 2020.8.18」に載せさせていただきました。