顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

ノカンゾウ

2015年07月27日 | 季節の花
この時期になると田んぼの畔道などいたるところで、ノカンゾウ(野萱草)の花を見かけます。涸沼川に流入する石川川沿いの水路脇に咲いていました。
ユリ科ワスレグサ属と出ています。ユリ科はいいとして、ワスレグサ?別名のワスレグサは、花の蕾(つぼみ)を調理して食べると、心配事をすべて忘れる程美味しいことからきているという説と、悲しいときにこの美しい花を見ると忘れることからきているという説があるそうです。さすが、山菜大好き仙人としても食したことはなく、この辺では食べるという話もあまり聞いたことがありません。



よく似ているものとして、ヤブカンゾウ(藪萱草)、藪も野も咲いている場所では大差ないのですが、花は八重になります。これも、ワスレグサで、つぼみが美味であるとか。また、観光地で有名なニッコウキスゲ(ニッコウ黄菅)も同じ属、花は黄色で一重、ノカンゾウはやや上向き、ニッコウキスゲは横向きに咲く…、これも美味というが観光地だけに摘み取るわけにはいかず、それより味を知っている鹿が食い荒らしており、尾瀬ヶ原、霧降高原などでは危機的状況のようです。対策として先日事故のあった電気柵などを設置している地区もあるそうですのご注意。
この美しく美味しい花の仲間は、どれも朝咲いて夕方には萎む一日花で、まさしく花の命は短くて…です。

格安ホテル

2015年07月19日 | 温泉

格安がうたい文句のホテルに行ってきました。一泊2食に飲み放題(1時間)がついて、なんと5,325円(税別)!4月に学生時代の演劇部仲間5人で泊まり、にごり湯が素晴らしかったので、近所の飲み仲間を誘い6人での再訪です。
那須高原の1200mの高地にある高尾温泉、周りには何にもない行き止まりのロケーション、4階建ての72室もある大きなホテルですが、今は格安ホテルグループが営業しています。
徹底した合理化がとられており、フロントは朝8時頃から夕6時頃まではスタッフが対応しますが、それ以外はガードマンです。食事は朝夕ともバイキング、夕食の飲み放題は1時間のため、長居の客はいません、料理内容も値段相応ですが、不思議なことに誰もまあこんなもんだと納得しています。結局、価格とサービスの位置関係をしっかりと理解できているということになります。



さて自慢の露天風呂、毎分1000lのにごり湯は少しぬるめの36度、那須七湯の1つで、江戸時代には山岳信仰の登山者に利用されたことから「行者の湯」とも呼ばれていました。含硫酸塩硫化水素泉の温泉で、豊富な湯の花が浮き沈みする白濁した湯は人気があり、ホテルができる前は無料の露天風呂として知る人ぞ知る名湯だったようです。
建物から少し離れた露天風呂は、手作りのような囲いで覆われただけの野趣あふれた作りで、入浴中突然の雷雨にびしょびしょでホテル内に逃げ込みましたが、夜は下界の明りを眺めながら長時間浸かることができました。
アルコール、つまみ類は途中のコンビニで仕入れて部屋での酒盛りも盛大にできましたし、1200mの眺望とたっぷりな硫黄泉を価格以上に充分満喫できたと思います。

大洗海岸の夏

2015年07月14日 | サイクリング
自転車で一走り、水戸を離れて東へ三里の大洗までは我が家から6キロちょっとです。これから18日に海開きを迎え真夏に入ると、海水浴の客で賑わう周辺も今は静かなものです。
磯節踊り子の像がありました、初めての発見です。近付くと(または傍らのボタンを押せば)磯でぇ~名所はぁ~と流れてきます。もちろん石像の踊り子たちは動きませんが。
ところで磯節は、日本三大民謡の一つで、江戸時代、大洗や那珂湊の漁師たちが漁をしながら口ずさんでいた舟唄として唄い継がれてきた民謡で、明治時代に三味線の伴奏と囃子詞を加え、芸者に振り付けをさせて座敷唄になりました。
その後、水戸出身の第19代横綱「常陸山」の付き人で、 マッサージ師でもあった盲目の「関根安中」が巡業中に各地で磯節を披露し、独創的な節まわしと独特な唄声が話題となり、全国に広まったと言われています(大洗アウトレットのホームページより)。




その東側先端部分の小さな公園には平和の女神像、北村西望の作品です。作者は長崎の平和記念像の作者としても知られる、文化勲章受章者の彫刻家で、この像は大洗町誕生30年に、大洗北海道間のフェリー就航と大洗鹿島線開通の両者開業を記念して設置されたものだそうです。ここにはベンチなどもありますが、入口には車両通行止めや立ち入り禁止、海釣り禁止(多くの釣り人がいますが)などの看板があり、なかなかここまで入ってくるのは難しいかもしれません。



対岸にはフェリーが停泊、高さ60mのマリンタワーと並んでいる景は、まさに観光地大洗の一コマです。この日は偶々、18:30発の夕方便「ふらの」と翌1:45発の深夜便「だいせつ」2隻が並んでいました。苫小牧まで約20時間の船旅、16年ほど前に札幌雪まつりツアーで乗船しましたが、大海原だけの風景に飽きた記憶が残っています。ただ大浴槽は気に入り、何度も入りましたが、船の揺れは感じなくても浴槽のお湯の線が斜めになっているので実感できたことを覚えています。



大洗漁港、今は静かな一休みの時間です。シラス漁で有名な港ですが、ヒラメ、カレイ、イワシ、サバ,スズキ、イカ…そしてハマグリ、今なら岩ガキでしょうか、鹿島灘の新鮮な魚介物が水揚げされます。私の大好物、ヤリイカは今年はさっぱりでしたが…。




ザリガニの大威嚇

2015年07月12日 | 散歩

散歩道、アメリカザリガニがのっそのっそと歩いていました。立ち止まって目線を合わせると、赤いハサミを思い切り広げて、ものすごい威嚇、足で踏まれたらイチコロなのに、自分の身の丈考えずに立ち向かってくる姿に思わずパチリ。せめてこいつの十分の一くらいの気概を持った人生だったらと悔やむのでした。



この機会に出自調査、1930年にアメリカニューオリンズから、神奈川県にあったウシガエルの養殖池に移植されたのが最初という説。慢性的な食料不足に悩まされてきた日本に食用ガエル(ウシガエル)を導入するのにその餌として輸入したものでした。
アメリカでは食用種であるのに、国内ではなかなか食材として認識されず、戦時中は食べていたようですが、いまは、子供の釣り対象で、孫たちが来た時に「イカ燻製」など食べておいしい上等なつまみ類を、タコ糸に結んで垂らすといっぱい釣れます。以前、近所の飲食業の方が、捕まえてしばらく清流で養殖し、泥臭さを抜くんだと言ってましたが、成功しなかったみたいでした。

私の時代は、釣るのにカエルの脚を使いましたが、本来はウシカエルの餌だとは…。You tube に出ていた、ウシガエルがアメリカザリガニを食べる画像では、大きなハサミもすべてお尻からぱくりと飲み込んでいました。
このウシガエルも今は特定外来生物に指定されるやっかいもの、湿地の近くを歩いているとグーグーと低音の不気味な鳴き声が聞こえてきます。

水戸城大手橋の胡桃の木

2015年07月11日 | 水戸の観光



ボランティアの日、大手橋周辺はうっそうとした夏木立です。弘道館方面からの大手橋西北側擬宝珠のところに胡桃の木があるのを発見、実がなっていました。
城の土塁や石垣の上には城郭の機能上、樹木は植えないので、もちろん後世のものでしょうが、空堀の法面にしっかと根を下ろしています。多分野生のオニグルミ?それとも園芸種のテウチクルミ、シナノクルミか?オニグルミの種は、河原でよく拾います。硬い殻でちょっとやそっとでは割れない、しかしやっと取り出した小さな実の濃厚な味は売っている胡桃よりおいしいとよく聞きます。
このオニグルミの殻は、粉砕して昔から研磨剤として使われているそうですが、なんとスタッドレスタイヤにも使われるというので驚きました。



二の丸、三の丸間の大手橋がかかるこの空堀の深さには驚かされます。水戸城のある洪積台地と低地の沖積地の比高は24~25mと資料に出ているので、20m近くはあることになります。たとえ石垣はなくとも、これでは攻めるのが難しかったと思います。
山形紘著の水戸藩の戊辰戦争によると、弘道館の戦いの時に、諸生側の清水陸一郎が20名ほどを引き連れて、北西側(多分水府橋あたり?)の土塁をよじ登り城塀を乗り越えて突撃し、奮戦のうえ全員討ち死にしたと載っています。登り切った勇猛な武士も、この藩内抗争であたら若き命のやり取りをしてしまいました。
この大手橋に二階建ての大手門を復元することが決まり、水戸市ではいま一枚瓦城主としての寄付を募っています。まだ設計プランはできていないようですが、どのようなものになるのか、車はそこを通れないのかなどと気になるところです。