水戸藩9代藩主徳川斉昭公(烈公)が藩内子弟の心身鍛錬と風月鑑賞を目的に設定した水戸八景の碑、山寺の晩鐘は西山研修所の敷地東側にあります。
ここは2月のブログでご紹介の徳川光圀公が生母の谷久子(靖定夫人)のために建てた久昌寺、その附随施設として設けられた学寮「三昧堂檀林」の跡地にあたり,常時数百名の学僧が修行を積んでいたとされる場所で,暮れ六つ時(午後6時)になると,勤行の声や梵鐘の音が太田の町中に響き渡っていたといいます。
その後昭和13(1938)年に常陸太田市出身の実業家・梅津福次郎が設立した、茨城県西山修養道場として主に青年団や教育関係者などの研修と就学に利用されていましたがが、昭和20(1945)年、それまでの軍国主義的色彩を排除し、民主主義の普及を図るため「文化研究所」と改称、平成25年4月に「常陸太田市西山研修所」に改められました。現在は、団体による自然散策や創作活動、スポーツ合宿など、幅広い用途で活用されています。
奇しくも昔と同じように修行鍛錬の場所にこの碑がありますが、平成の世、鐘の音だけは聞こえてきません。
この地区でとれる寒水石という大理石の碑石、鐘の字が鍾となっていますが同じ意味だそうです。右側に跳ね上がる独特の水戸八分書体が印象的です。
ここを詠った斉昭公の和歌3首です、烈公の意外な面を見るような気もします。
けふも又くれぬと告ぬ鐘の音に身のおこたりをなげくおろかさ
つくづくと聞くにつけても山寺の霜夜の鐘の音ぞ淋しき
世の塵は絶えて聞こえる山寺の夕べ淋しき入相の鐘 (※入相の鐘:日暮れ時に寺でつく鐘。また、その音。晩鐘。)
なお、水戸八景すべてについては、拙ブログ「水戸八景…斉昭公選定の水戸藩内景勝めぐり 2020.8.18」に載せさせていただきました。