顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

水戸八景・山寺晩鐘  常陸太田市

2016年06月29日 | 歴史散歩
水戸藩9代藩主徳川斉昭公(烈公)が藩内子弟の心身鍛錬と風月鑑賞を目的に設定した水戸八景の碑、山寺の晩鐘は西山研修所の敷地東側にあります。
ここは2月のブログでご紹介の徳川光圀公が生母の谷久子(靖定夫人)のために建てた久昌寺、その附随施設として設けられた学寮「三昧堂檀林」の跡地にあたり,常時数百名の学僧が修行を積んでいたとされる場所で,暮れ六つ時(午後6時)になると,勤行の声や梵鐘の音が太田の町中に響き渡っていたといいます。
その後昭和13(1938)年に常陸太田市出身の実業家・梅津福次郎が設立した、茨城県西山修養道場として主に青年団や教育関係者などの研修と就学に利用されていましたがが、昭和20(1945)年、それまでの軍国主義的色彩を排除し、民主主義の普及を図るため「文化研究所」と改称、平成25年4月に「常陸太田市西山研修所」に改められました。現在は、団体による自然散策や創作活動、スポーツ合宿など、幅広い用途で活用されています。
奇しくも昔と同じように修行鍛錬の場所にこの碑がありますが、平成の世、鐘の音だけは聞こえてきません。
この地区でとれる寒水石という大理石の碑石、鐘の字が鍾となっていますが同じ意味だそうです。右側に跳ね上がる独特の水戸八分書体が印象的です。
ここを詠った斉昭公の和歌3首です、烈公の意外な面を見るような気もします。

けふも又くれぬと告ぬ鐘の音に身のおこたりをなげくおろかさ
つくづくと聞くにつけても山寺の霜夜の鐘の音ぞ淋しき
世の塵は絶えて聞こえる山寺の夕べ淋しき入相の鐘  (※入相の鐘:日暮れ時に寺でつく鐘。また、その音。晩鐘。)

なお、水戸八景すべてについては、拙ブログ「水戸八景…斉昭公選定の水戸藩内景勝めぐり 2020.8.18」に載せさせていただきました。

ネジバナは、ひねくれモン

2016年06月27日 | 季節の花

いつの間にか芝生に出てきたネジバナ(捩花)、ラン科ネジバナ属の小型の多年草。別名がモジズリ(綟摺、文字摺)。芝生から抜いて花壇に植えてやるとすぐに退化してしまいます。仕方がないのでここ数年、芝生に出てきたものを、芝刈り機の及ばない芝生の隅に植えています。
図鑑にも、芝地に良く自生しているが、単独で生育することを嫌い、他の植物と混在することを好むことから、栽培しようとすると気難しい植物と載っています。
周りの雑草と競い合いながら生きるうちに、ねじれてしまったのでしょうか。なお、右巻きと左巻きがあり、その比率は大体1対1だそうです。

左と言うに右といふねぢればな  渕野陽鳥

親沢の一つ松    茨城町上石崎

2016年06月24日 | 歴史散歩
岬や半島の先端から海や湖に向かって細長く突き出た砂礫の州を砂嘴(さし)と言いますが、涸沼に突出した砂嘴(さし)の一つに親沢の鼻があり、対岸弁天の鼻と向き合う景勝の地で,その突端には松の木が今でも見られます。

言い伝えによると、「昔一人の老人がここに住んでいたが貧乏で子どももなかった。ここに目通り(目の高さに相当する部分の木の幹の太さ)一丈三尺(4m位)という、松葉が一つの老松があってこの老人は子どもがわりに大事に育てていた。これを村の人々は親沢の一つ松と呼んでいたがその後枯死してしまったので、野生の松を植えて後生に伝えていた。」
のちに、この涸沼を愛した水戸光圀が立ち寄ったとき,この話を聞いて詠んだという歌碑が建っています。碑文が弘道館の要石歌碑と同じように、散らし書き(乱れ書き)になっていました。
「子を思ふ涙ひぬまの一つ松波にゆられて幾代へぬらむ」
光圀公はたびたび那珂川河口より船で涸沼川を遡って涸沼にやって来て、漁や猟を楽しみ、酒を酌みつつ詩歌を作ったと言われています。

ここは今、涸沼自然公園の親沢公園キャンプ場として隠れた穴場のようです。夕日が沈む時間帯にここから見る涸沼と筑波山は絶景だそうですが、まさにキャンパーの特権といえるでしょう。(テント持ち込みで、事前予約ということです。)

海辺の群落 2つ

2016年06月21日 | 日記

平磯海岸で見つけた黄色いかたまり、遠くから見るとペンキをこぼしたように見えました。マンネングサ(万年草)、ベンケイソウ科の多肉植物で岩の隙間や乾燥したわずかな土壌でも生育可能な丈夫な植物で、名前もそこから付いたかもしれません。五弁の花弁と蕊のバランスがきちんとし、小さいけれどデザイン化されたような気品のある花です。


テリハノイバラ(照葉野茨)、ノイバラと違うのは葉に光沢があるのでこの名前が付きました。ノイバラが花束のように固まって咲くのに、こちらは1本ずつです。太平洋の飛沫がかかるような環境でも、しっかと頑張って咲いています。
まもなくこの一帯も夏の賑やかな季節を迎えようとしています。

愁ひつつ岡にのぼれば花いばら  蕪村

グミ(茱萸)

2016年06月19日 | 俳句

ナワシログミ(苗代茱萸)別名タワラグミ。グミ科。苗代を作るころに実るから名がつきました。少年時代の野外の食べ物の中では、超高級品に入りました。大きく食べ応えあったけど、口に残る渋さは格別、あまり食べると「○○が詰まってしまうぞ」とよく脅かされました。

雨の時期になると、水分を含んだうす甘いやさしい味を思い出す「さんがりこっこ」です。 多分「下がり」「こっこ」 (こっこは子供や小さいものの愛称)というこの地方の方言的名前でしょう。
グミの一種かと思っていたら、本当の名はウグイスカグラ(鶯神楽)、スイカズラの仲間なのでウグイスカズラと記述されることがありますが、ウグイスの意味は、鶯の鳴く時期と関係し、カグラは「鶯隠れ」が変化したとの説などがあり、この辺の山野に自生し早春に薄紅の可愛い花を咲かせます。

なお、ぐみ(茱萸)は歳時記では秋の季語、秋に熟す小粒な種類の茱萸が使われていますが、夏茱萸としてこの種を使ってはいないようです。また、ウグイスカグラは角川の歳時記には載っていませんが、花の方が春の季語として取り上げられている句もありました。

人棲みし名残りの茱萸の島に熟れ  上村占魚
夏茱萸や村に伝わる長者跡  顎鬚仙人