顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

偕楽園公園 四季の原

2017年03月31日 | 季節の花

「ホトケノザ」が花壇スペースを占拠しています。一年中咲いている雑草ですが、好文亭を遠くに入れたワンショットにすれば、その存在意義を主張できました。

遅咲きの梅「黒田」が悠々と花を咲かせています。アンズ系の八重、雌蕊が退化しており、ほとんど実を付けない花梅の代表です。写真でも雌蕊がほとんど見えません。

「辛夷」か、花が大きいので「白木蓮」か?花弁の数が辛夷が6枚、白木蓮が9枚 (正確には、花びら6枚と花びらのように見える萼3枚)と出ていたのですが、どうみても花弁の厚い「白木蓮」のような気がします。

梅に似た薄紅色の一重の花、幹が梅とまるで違います。調べてみると「アンズ」のようです。6月下旬頃に大きな実をつけるのを見てみたいものです。

「馬酔木」は、馬が食べると毒のため酔ってしまうということから名前がついたツツジ科の常緑低木。伊藤左千夫の短歌雑誌、水原秋櫻子の俳句雑誌にその名前が使われて有名です。

芽吹き始めた柳に「風の鼓動」という動く芸術作品が白く光っています。偕楽園の見晴らし広場から見ると、風に吹かれてまさに白い鳥が動いているように見えます。
名前のごとく四季折々の変化を楽しめる世界第二位の広さを持つ都市型公園の一画、水戸市民には自慢のできるスポットになりました。

ひえびえと魂さまよへる花辛夷  飯田龍太
水音もあんずの花の色をして  草間時彦
別れ来てほつりと白し花あしび  楠本憲吉

方杖(頬杖)支柱

2017年03月29日 | 水戸の観光


老木の多い偕楽園や弘道館の梅林では、倒れるのを防ぐ支柱頼りの梅の木が数多く見かけられます。
このあたかも老木が頬杖しているような支柱を、造園業界用語で方杖(頬杖)支柱といいます。木を支えていた芯の部分が枯死して、我が身を支え切れなくなった幹や枝を支える丸太で、樹木をもたせかけます。

T字型で脚が1本の撞木(鐘などを打つT字の棒)形と、支柱を二脚鳥居形に組んだ鳥居形があります。

まるで樹木が頬杖しているように見えますが、梅にとってはそんな呑気な姿ではありません。芯の部分が空洞になり、栄養分を運ぶ樹皮だけが残り、木全体が捻れて支柱に完全に寄りかかり、それでも命がけの花を咲かせています。

樹皮のみとなりし幹より梅の花  ほりもとちか
白梅の古木一徹幹の瘤  川岡末好
方杖に全身委ね梅盛る  顎髭仙人

間もなく42日間の梅まつりも終了します。あとは6月中旬の梅の実の収穫、去年は散々でしたが今年はどうでしょうか、受粉時期の気温、風などが影響するようですが…。
さぁ、花の主役が交代…桜前線が近づいてきます。

「送梅」の弘道館、そしてふすま絵の下張り墨絵講座

2017年03月26日 | 水戸の観光
時期に応じて「探梅」「賞梅」「送梅」という優雅な梅の鑑賞の仕方、そろそろ静かに梅を送り、桜を迎えるときになりました。

正庁のトイレ脇の「江南所無」は園内で一番の遅咲き、やっと満開になりました。雌蕊の退化がすすみ、ほとんど実がならない花梅です。

「長束(なつか、ながつか)」はキリッとした端麗な花、山茱萸の花を従えて咲いています。愛知県稲沢市長束産の実を収穫する梅で、この地方は豊臣秀吉の五奉行のひとり長束正家の屋敷跡があることでも知られています。

2月末に咲き出した売店前の品字梅はまだ色香を保っています。6月には3つ固まった実をいっぱいならせてくれるでしょうか。

偕楽園の好文亭奥御殿(計10室)のふすま絵96面は、完成から60年以上経過しているため、今後3年間かけて修理することになり、その下張りに使われる7層の和紙に墨絵や書を書いて、未来へのメッセージにしようという催しが行われていました。

クリスマスローズ

2017年03月21日 | 季節の花

山を切り開いて約50年以上前に造成された我が住まいは、粘土質の地盤で水はけが悪く、樹木の成長には向いていませんが、そんな中でも環境にあっている植物もあります。

クリスマスローズは、落葉樹の下に地植えにしたのが気に入ってもらえたようで、年々株が増えて庭一面に蔓延っています。種子で殖える際に交雑が出てくるのか、色や蕊周辺などが微妙に違ったのが出てきます。図鑑にもクリスマスローズは、花を交配させ簡単に違う色のものを作ることもできると書かれています。

このクリスマスローズは、アネモネなどと同じキンポウゲ科の植物で、欧米ではヘレボルスが一般的な名前ですが、日本では他のヘレボルス属を全てまとめて、クリスマス頃に咲くので、クリスマスローズと呼ばれています。

東山魁夷 唐招提寺御影堂障壁画展  (茨城県近代美術館)

2017年03月17日 | 日記
多くの苦難の末、布教のために来日された鑑真大和上が天平宝字3年(759)開いた唐招提寺は、律宗の総本山で、その一画にある御影堂は、興福寺の別当坊だった一乗院宸殿の遺構で、明治以降は県庁や奈良地方裁判所の庁舎として使われたものを昭和39年(1964)に移築復元されたものです。

現在は、鑑真和上坐像(国宝)が奉安されており、昭和46年から57年にかけて東山魁夷画伯が描かれた障壁画などが収められていますが、平成27年から平成大修理事業に着手したため、約5年間は拝観できません。

通常は年1回3日間だけしか公開されない、この「唐招提寺御影堂障壁画」全68面が、いま茨城県近代美術館で4月2日まで展示されています。
畳敷きの展示台は、柱や長押の釘隠しにいたるまで御影堂の雰囲気そのままの臨場感あふれた造りになっており、障壁画が立体的に陳列されています。



いずれも、日本を代表する画家、東山魁夷画伯が、10年を超える歳月をかけ、鑑真和上に捧げた大作です。日本の風土をテーマとして、色鮮やかに描かれた「山雲」「濤声」と、墨一色で描かれた和上の故郷中国の壮大な風景「揚州薫風」「黄山暁雲」「桂林月宵」のほか、坐像を収めた厨子の扉絵「瑞光」も展示されています。

各地の取材スケッチや試作から、綿密な割出図による制作、朦朧体のような描写と吸い込まれるような色使いなど、総延長76メートルにわたる大迫力にただただ圧倒されました。  (写真は展覧会案内ホームページなどからのイメージです)