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千波湖は江戸時代には大きさも現在の約3.5倍で水戸城の下まで広がっており、斉昭公も偕楽園には水戸城から舟で出かけたと言われています。
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水戸城の外堀の役目を那珂川とともに果たした千波湖はその後埋め立てられ、現在の1周3キロの規模になりましたが、偕楽園の一部として散歩、ジョギングなど市民の親しむ場所になっています。
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水戸市公園協会のサクラマップによると、千波湖畔には約750本、30種の桜があり、各品種の桜の位置図がホームページで発表されています。
http://www.city.mito.lg.jp/001373/senbako/sbkkankou/p012035.html
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桜川上流部に光圀公ゆかりの山桜を植える活動をしている、「桜川千本桜プロジェクト」によると、上記の千波湖畔の桜の他に偕楽園内には130本の桜、さらに桜川の駅南部(駅南小橋~美登里橋)には250本が植えられており、こちらはソメイヨシノ中心、これに桜山の370本を加えると、桜川下流部にはすでに1500本の桜があるということです。
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品種名札の付いている樹があまりなく、病害で大きく剪定された樹も多く、その中で見つけた名札の桜をご紹介します。梅と違い桜の品種にはあまり関心がなかったことを反省したい気持ちです。
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水戸の桜まつりは、4月1日から15日まで、この写真は3月30日撮影、しばらく好天は続いていますが、まつり初日にはすでに散り始めてしまうかもしれません。桜の開花予想ほど難しいものはないと、ある旅行会社の担当者の話を思い出しました。
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偕楽園のシンボルツリー、「左近の桜」が遠くからでも一望できます。高さ16m、幹周囲3.9m、昭和38年に樹齢7年の苗を植えたものが、これほど大きくなりました。同時期に植えた弘道館の左近の桜との違いは、やはり生育条件の差のようです。
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近くで見ると、さすが常磐百景ブログの茨城一本桜番付で東の横綱に座す風格です。偕楽園を造った9代水戸藩主徳川斉昭公の正室、登美宮吉子女王が有栖川宮家より降嫁の時、仁孝天皇より水戸は代々勤皇の家柄で良縁なりと贈られた御所の桜の系統種ですが、当時の樹は枯死してこれは三代目になります。
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この左近の桜は、シロヤマザクラ(白山桜)という品種で、吉野山などに自生する日本古来の代表的な山桜です。サクラは植物学上、梅や桃と同じくバラ科、サクラ亜科、サクラ属の落葉高木で、日本に自生するものだけでも100種以上あるそうです。
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偕楽園南側の桜山も満開です。斉昭公は当初この場所に偕楽園を造ろうとしましたが手狭なためここには桜を数百本植えて桜山と命名し、好文亭と相対した一遊亭という御休処を建てました。
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護国神社にあるペリリュー島守備隊鎮魂碑です。戦争末期の1944年、水戸の歩兵第二連隊を主とした日本軍1万名以上の将兵が玉砕しました。守備隊長の中川大佐が最後に本土に送った玉砕報告の電文は「サクラサクラ」…、この場所の桜だけは別な空間で咲いているような気がしました。
さまざまのこと思い出す桜かな 芭蕉
まさおなる空よりしだれざくらかな 富安風生
散る桜 残る桜も 散る桜 良寛
まさおなる空よりしだれざくらかな 富安風生
散る桜 残る桜も 散る桜 良寛