今年も2月15日(土)から3月29日(日)まで第124回水戸の梅まつりが始まります。
地球温暖化の影響で年々梅の開花が早くなってきていますが今年はどうでしょうか?園内を歩いてみました。
常磐線から見える偕楽園標柱脇の「八重冬至」は、早咲きで知られており、標本木的役割を果たしています。去年11月からの有料化に伴い、この先に南門料金所ができてしまいました。
南門はこの時期、山茶花の門になります。偕楽園開設当初の天保時代はこの南側に千波湖の船着き場があり、斉昭公は水戸城のお堀から船で来園しました。
南崖にある柿の木近くの「冬至梅」、ここも早咲きで知られますが、もう満開です。偕楽園は河岸段丘の比高約10~20mの台地上にあるので南側は崖になり、「がけ急に梅ことごとく斜めなり」という正岡子規の句も生まれました。
好文亭の奥御殿前ではまだ二季桜が、寒さに震えながら花を残しています。
東門からの通り沿いの「虎の尾」は蕾がはち切れそうです。水戸の6名木の1つ、いかにも漲る春の息吹を感じさせる一枚になりました。
見晴らし広場の「八重寒紅梅」、写真の先に見える囲いは昨年9月の台風で倒れた「左近の桜」跡の竹垣です。
左近の桜跡の看板が建っています。昨年9月9日の台風の強風で倒伏してしまったヤマザクラの一種のシロヤマザクラで、幹の周囲は3.84m、 高さは約16mでした。由緒ある樹だけに今後の方針が検討されているようです。
周りを囲む竹の柵は、偕楽園垣という独特の様式で縦棒(立子)と横棒(胴縁)を交互にしない組み方と上部に玉縁をつけるのが特徴です。
去年4月の左近の桜の写真が遺影になってしまいました。
この桜の由来は、天保2年(1831) 偕楽園を開設した水戸藩9代藩主徳川斉昭公の正室、登美宮降嫁の折、ときの仁孝天皇から京都御所の左近の桜の鉢植えを賜わり、天保12年(1841) 弘道館の落成にあたり弘道館正庁玄関前に移植されました。 その後、初代、2代目は枯れてしまい、昭和38年(1963) 弘道館改修工事の完了を記念して京都御所の左近の桜の系統(樹齢7年)を受領し、弘道館と偕楽園に植えたものです。
偕楽園公園センターの開花状況によると、1月20日で2.0%、約50本以上の木に開花が見られたそうです。一輪でも花が咲けば開花になるので園内での実感はありせんが、梅まつりの始めにはある程度咲き揃うことでしょう。
これからの天候次第ですが、見頃は例年通りの2月下旬から3月上旬になるような気がします。