顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

野蒜の醤油付け

2017年04月29日 | 日記
のびる(野蒜)はユリ科ネギ属、昔はニンニク、ニラ、ネギ、ラッキョウと共に 五葷(「不許葷酒入山門:葷酒の山門に入るを許さず」の、酒とともに寺に入れてはならない匂いの強い食べ物)に数えられていました。

空き地や河原、どこにでもあるこの葷(くん)、野蒜は、「ののひろ」といって子供の頃、丸い球根を生で味噌をつけてよく食べたものでした。そこで散歩途中に少し太めのものを見かけたので、早速抜いてきて、大きめは生で、小さめは容器ともども熱湯にくぐらせ雑菌を消毒、醤油漬けにしました。

さてさて、辛味、歯ごたえとも自己主張の強いツマミの一品になりました。
この他に天ぷら、餃子の具、茹でたのをヌタ、ラッキョウのように酢漬けなどの食べ方が知られています。

近所で出会う花たち 四月尽

2017年04月25日 | 散歩

ヤマザクラでしょうか、日陰のせいか花はパラパラで見過ごすほどです。種類は分かりませんが、桜とは思えないほど淋しい花です。

もみじの花…紅い小さな花弁の花がびっしり、やがて翼果(よくか)と呼ばれる羽根をつけたような実になり、秋の紅葉が終わる頃、風に飛ばされてヘリコプターのように遠くへ運ばれます。

ブロッコリーのように小さな花が群がって咲くニワトコ(接骨木)は干した葉や、枝を煎じて骨折打撲などの湿布薬にするので 「骨」を「接続」する「木」 という名前になりました。「せっこつぼく」とも言い、「庭床」「庭常」の字をあてることもあります。

浦島草(ウラシマソウ)はサトイモ科、地下にはサトイモに似た大きな球根があり、春になると芽を伸ばします。やがて仏炎苞と呼ばれる黒褐色の苞を開き、先端部が細く糸状に伸びたのを、浦島太郎が釣り糸を垂れている姿に見立てて名が付いたとされています。
同じ仲間でよく似ている蝮草(マムシグサ)は、この釣り竿を持っていません。

珍しい日本タンポポの群落、萼が反り返っておりません。白花も見られます。いまこの辺で見かけるのは、ほとんどが西洋タンポポです。萼が反り返り下を向いている西洋タンポポは、日本タンポポのように受粉をしなくても種子を作る事ができ、しかも遠くまでよく飛んでゆく、繁殖力が強い外来種で、日本タンポポは珍しくなりました。

今年も白雪芥子(シラユキケシ)が道端に…、山地の湿った日陰を好むと図鑑に書いてある通りの環境で咲いていました。

紫鷺苔(ムラサキサギコケ)は、苔のように地面に生えるから名付けられた小さな花、アップで見ると花弁の模様が、「花」という字に見える気がします。鷺のように見えても花だと主張しているようです。

ヒメスミレ(姫菫)は、タチツボスミレとともに住宅近くで目にする種類ですが、紫色がやや濃く、小さいのが特徴です。踏まれても踏まれてもの環境でたくましく生きます。

真壁城址 (桜川市)

2017年04月22日 | 歴史散歩

真壁城は中世にこの地を治めた真壁氏が、筑波山系の微高地を利用して造った平城形式の城跡で、広さは12.5㏊もあります。城址の碑の北側には加波山系の山が連なっています。

本丸を中心に巡らした四重の堀と土塁、土橋などが良好な状態で残され、中世城郭の構造を知る上で貴重な城跡です。 平成6年(1994)に国指定史跡となり、現在発掘調査が行われ、史跡公園整備事業が進められています。本丸東の堀の先には筑波山、当時から城の栄枯盛衰をじっと見てきました。

承安2年(1172年) 大掾氏の支流、真壁長幹によって築かれたと云われ、以後400年余り真壁城を居城として続きましたが、小田氏・江戸氏・結城氏など諸豪族の狭間にあって領地の維持に奮戦しました。特に17代真壁久幹(法名は道無1522~1589年)は、鬼道無、夜叉真壁と称された武勇の将で伝来間もない火縄銃を合戦で用い戦略に長けていたといわれています。最終的には佐竹氏に属し、関ヶ原合戦後佐竹氏に従い出羽国秋田角館城へと移り400年の歴史を閉じました。芽吹き始めた小高い山は、攻め手の陣になっていたかなどと空想を巡らしてしまいます。

江戸時代に入ると藩主は浅野長政が5万石で入封、やがて笠間に移されると城は廃城、その後は天領や藩の飛び地になり、各領主が町中の陣屋に代官や役人を配置して真壁領を支配しました。

その真壁陣屋跡に建つ真壁伝承館には、城跡や陣屋跡から出土の陶器などの遺物が展示されています。
下記の城郭図は桜川市教育委員会文化財課のパンフレットからです。本丸跡には真壁第一体育館などの施設が建っています。

Google Mapと見比べると城の規模がよくわかります。


北山公園の水芭蕉

2017年04月18日 | 季節の花

山林をそのまま公園にした笠間市友部の北山公園は、四季折々の自然が楽しめる人気スポットで、この時期は桜の名所としても知られています。

その一画に水芭蕉がたくさん咲いているという話を聞いて行ってみました。
水芭蕉の花というと、誰もすぐに「夏が来~ると思い出す」のフレーズで6月頃の尾瀬を思い出しますが、図鑑では「水芭蕉は、山間の湿地帯に生えるサトイモ科の多年草で、春になると20~30cmの白い花を咲かせます。」とあり、 本来は春の花で、尾瀬では6月が春にあたりますが、ここ北山公園では3月下旬から4月上旬が開花時期と説明板に書かれていました。

白い花びら状のものは花びらではなく苞(ほう)と呼ばれる葉の変形したもので、仏像の背後に立つ光背(仏炎)に似ているため仏炎苞(ぶつえんほう)と呼ばれています。
水芭蕉の名の由来は、葉の形が芭蕉(バショウ)に似ていて水辺に生えることからきています。

俳句ではなぜか夏の季語、多分雪解けの頃に咲く北国の印象が強いからでしょうか。

湿原の雪解せつせつ水芭蕉  加藤秋邨
仏弟子のごとく居ならび水芭蕉  鷹羽狩行


林の中にはカタクリが花期の終わりを迎えようとしています。間もなく葉も茎も枯れて地下で休眠に入りまた来春桜の咲く頃に顔を出す…、うつむき加減の花のイメージ通りの生き方をします。

桜も最終章…涸沼自然公園

2017年04月17日 | 季節の花
今年の桜は開花が遅く、三寒四温が続いたせいか、長いこと楽しめた気がします。どの場所へ行っても笑顔の人たちばかり、日本人には確かに桜は特別な存在ということを再認識しました。

さて、涸沼自然公園は34haの自然の地形をそのまま生かした広大な敷地に、四季の草木が豊富で、特に10,000本のアジサイが斜面を彩る6月は人気がありますが、桜並木や園内各所の桜が咲き誇るこの時期もおすすめです。

芝生の広場があちこちに設けられており、そこにいろんな桜が植えられています。

西奥の一画には記念植樹コーナーがあり、山の斜面に何種類かの桜が入学記念などの表示板を付けて植えられております。まだ若木ですが、桜の木も、植樹した方も成長した時の景観が思い浮かぶようです。

しだれ桜の微妙な紅色、品種名は詳しく分かりませんが、多分、明治時代に作られたという八重紅枝垂(ヤエベニシダレ)かもしれません。下方に涸沼が広がっています。

この時期、花疲れという季語があります。桜の美しさに酔いしれたあとの疲れた様子をいう俳句独特の言葉ですが、まさしくそんな状態に誰もなるこの季節です。

大鏡ありたじたじと花疲  赤松ケイ子
おのがじし道をひろへる花疲れ  後藤夜半
おひおひに別れてよりの花疲れ  吉屋信子