顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

地球のすべてが私のスタジオ…石岡瑛子Iデザイン展

2024年06月28日 | 日記

1966年、前田美波里を横須賀功光が撮った資生堂ポスター「太陽に愛されよう」で受けた強烈な印象は、地方の広告会社に勤めていた20代の時でした。そのデザイナーが当時まだ20代だったというのは今回知りました。石岡瑛子I(あい)デザイン展が7月7日まで茨城県立近代美術館で開かれています。


ほとんどが撮影可の作品でしたが、作品表面に周りが写りこんでしまうため、約500点の中のほんの一部を雰囲気だけのご紹介となってしまいました。

 

1970年にフリーランスとなった瑛子は、1973年に渋谷パルコが開業するとメインのキャンペーンを総括し、「新しい時代」の象徴としてのパルコのブランドイメージを築く中心的な役割を担っていきます。右のポスターのコピーは「鶯は誰にも媚びずホーホケキョ」です。1976年


沢田研二の裸の写真も話題を呼びました。写真のコピーは、「時代の心臓を鳴らすのは誰だ」。1979年


パルコのロゴだけで商品広告などは一切無しのポスター、その挑戦的なメッセージとヴィジュアルは一世を風靡し、「石岡瑛子といえばパルコ」「パルコといえば石岡瑛子」と語られるほどでした。
真ん中上の写真のコピーは「女たちよ大志を抱け」です。1975年


靴のダイアナ、三陽商会のポスター 1974年


「百、花、曼、荼、羅」というコピーの東急百貨店のポスター 1989年


「女性よ、テレビを消しなさい 女性よ、週刊誌を閉じなさい」角川書店ポスター 1975年


「NEW MUSIC MEDIA」音楽祭ポスター 1974年


EXPO‘70日本万国博ポスターとシンポジウム・現代の発見 1965年


国際キャンバス家具コンペ(太陽工業) 1973年 布の袋の中にダンサーが入って踊るのを写真にしたそうですが、そんな発想はどうしたら出てくるのでしょうか。


マイルス・デイヴィス 「TUTU」レコードジャケット 1986年 写真は巨匠アーヴィング・ペンでグラミー賞最優秀レコーディング・パッケージ賞受賞


マイルスのレコードジャケット製作に参加したクリエイターやスタッフと対話を重ねる細かい下書きや絵コンテなども展示されており、細部に至るまで完璧な仕上がりを求めた瑛子の姿勢がうかがえます。


西武劇場「三宅一生ショウ」のポスター 1975年


名匠フランシス・フォード・コッポラとは映画「地獄の黙示録」(1979)のポスター・デザインを経て、「ドラキュラ」(1992)では担当した衣装デザインでアカデミー賞を受賞しました。 


アメリカ映画「イノセント」日本語版 1978年、「コヤニスカッテイ」のポスター 1983年


東京セントラル美術館ポスター 1974年


装丁した本や雑誌も数多く残っていますが、表紙やカバーだけでなく、紙質やサイズ、文字組みなどの細部までにも関わっています。 1974年~1976年


ECO'S LIFE STORY  1957年


商品のパッケージデザインも多数手がけましたが、1981年の山本海苔店の作品はグラフィックデザイナーだった父、石岡とみ緒が商品名の書を、妹で同業の石岡怜子がデザインを担当し、家族による唯一の合作となっています。


「Timeless  普遍的であるか?」「Originality  独自性はあるか?」「Revolutionary    革新的であるか?」 という三つの言葉を常に自らに問い続けたという石岡瑛子の、その通りの作品群に圧倒されました。

 
石岡瑛子 1938年生まれ、2012年1月21日膵臓癌のために死去(73歳)  類まれな才能がまたひとつ、地球上から失われました。合掌。

梅雨入り…いま季節の花は

2024年06月23日 | 季節の花
我が地方にもやっと遅い梅雨入りが発表されました。これから約1か月以上の鬱陶しい雨の季節ですが、日本の四季や米作などには欠かせない自然の営みなので、せめてその季節の花を探してみました。

大河ドラマ放映中の、千年の時を超えるベストセラー作者の名が付いたムラサキシキブの花です。元は重なる実という「ムラサキシキミ」が、江戸時代にその実の美しさから「紫式部」の名になったという説が有力です。


ネジバナ(捩花)の右巻き左巻きの割合は半分くらいという調査結果がありますが、この写真でも6本のうち左右半分ずつになっています。


面白い花が咲いているこの植物はカエルッパといわれたオオバコの仲間で外来種のへラオオバコ(箆大葉子)です。ヘラのような葉を持ち、強力な繁殖力で在来種を駆逐し、要注意外来生物に指定されています。


同じ外来種でもニワセキショウ(庭石菖)は小型で可愛いためそれほど嫌われてはいないようです。別名ナンキンアヤメというようにアヤメの仲間です。


ホタルフクロ(蛍袋)は初夏の花、色は赤紫、薄紅、白などがありますが、関東では赤紫が、関西では白が多いという話もあります。


エゴノキに生ったバナナのようなものは、エゴノネコアシ(エゴの猫足)という虫こぶでアブラムシ類が繁殖の過程で作り上げました。


空き地に増えて厄介なドクダミ(蕺草、毒痛)ですが、よく見ると穂状の花と白い十字の総苞が清楚な花で、古くから薬草としての歴史を持っています。


梅雨時期といえばやはりアジサイ(紫陽花)、明るい陽の光より日陰や雨天がよく似合うと思うのはいたって個人的感想ですが…。


アジサイ類なのにあまり似ていない房咲きのカシワバアジサイ(柏葉紫陽花)は人気が高く、我が市では70歳の長寿記念にこの苗木を配ったので、我が家を含め玄関先などによく見かけます。(令和2年度で交付事業は廃止になったそうです)


始めて知ったコガクウツギ(小額空木)「花笠」は、額のような装飾花に囲まれた小さいウツギのような花という名前ですが、アジサイの仲間にはみえない花でした。


公園の植え込みでよく見かけるキンシバイ(金糸梅)は、雨の多い季節に咲く太陽のようです。


京染の鹿の子絞りの名が付いたキョウガノコ(京鹿ノ子)は、古くから茶花や日本庭園に用いられてきました。


似ているシモツケ(下野)は、栃木県に多く自生していたので名が付いた落葉低木です。


もう花を付けているヤマハギ(山萩)、夏から秋にかけて咲きますが、夏に咲くのを特に夏萩ということもあります。 
            夏萩の青きに隠れ雨二日  大野林火


オカトラノオ(丘虎の尾)は虎の尾のような咲き方で名付けられました。トラノオという名前の梅もありますが、こちらの命名由来は諸説あるようです。


自然の山を取り込んだ公園に見慣れない花の群生があり、googleレンズで調べたらママコナ(飯子菜)でした。花冠の下唇にある白い斑紋を飯粒に見立てたともいわれます(異説あり)。


北海道~九州の山野の林などに見られるゴマノハグサ科の一年草で、光合成での養分供給の他に宿主の植物からも養分を吸収する半寄生なので、栽培は不可能です。希少種となっている自治体もあるそうですが、ここの見事な群生にしばし見とれてしまいました。それにしても初めて出会った花…、この年になっても知らないことばかりです。

大中神社(常陸太田市)…山深き里の華麗な神殿

2024年06月17日 | 歴史散歩

国道394号線を里美支所方向に入ると、旧道の棚倉街道沿いに大きな一の鳥居が建っています。


突き当りの山裾に大中神社があります。
この先にある鍋足山の登山口なので何度か来たことがありますが、当時は興味がなかったのでこの神社のあったことは覚えていません。


大中神社の創建は社伝によると大同2年(807)、その後八幡太郎源義家の奥州征伐の際、舘籠地に大宮大明神を建立し戦勝を祈願したと伝わります。佐竹氏の支配時代には氏の崇敬厚く寄付した社領を舘の台の地に奉祠、応永元年(1394)には火災にあいますが、正長元年(1428)滝沢山に遷座しました。
後に、水戸藩主徳川光圀の命により元禄13年(1700)、現在地に社を移し、旧の里川村、徳田村、小妻村、小中村、大中村、折橋村、小菅村、大菅村、黒坂村、以上九ヶ村総鎮守大宮大明神としました。祭神は大己貴命(大国主命)です。




厳かな境内に建つ拝殿は入母屋唐破風造り銅瓦葺きで、本殿同様江戸中期の建造でしょうか、古色蒼然たる様子が歴史を感じさせます。




本殿は案内板によると、江戸中期の建造で総欅、入母屋唐破風造り銅瓦葺きで当初は豪華な彩色が施されていた、幾重にも積み重ねられた枡組、各所に配された彫刻、屋根の曲線など練達の宮大工の手により完成されたことを証していると書かれています。


御神木は、案内板によると樹齢約400年、樹高53m、目通り4.9mの大杉で、元禄年間廃寺になった真言宗隆真院時代より境内木として成長してきたとされてます。


奉納者名が彫られた文政6年(1823)の石碑には、金1両、小中邑佐川利衛門などの名が刻まれています。


杉林の中の「双烈の碑」という大きな石碑は、幕末水戸藩の勅諚返納阻止事件に関わり文久元年旧千代田村稲吉で戦死した大中村郷士白石平八郎、内蔵之進親子を顕彰したものでした。


境内社の厳島神社の前に湧き水が注ぎ込む弁天池があり、銭を洗うと増えて戻るという銭洗い弁天も祀られた人気のスポットになっています。


 

ここの特徴は杉林の中に境内社が数多く建っていることです。

大杉の林に囲まれた静寂な空間は、山里の人々と深くかかわってきた神聖な場所の雰囲気を充分に備えていました。

ヤマアジサイ(山紫陽花)…ガクアジサイ(額紫陽花)との違い

2024年06月12日 | 季節の花



水戸八幡宮の大杉林の中にある「八幡の杜・山あじさいの小道」は、ヤマアジサイ(山紫陽花)に特化した一画で、駐車場も広く混雑もないため、近くを通りかかるとつい立ち寄ってしまいます。


たしかに名前の通りの小道ですが、木漏れ日の中のヤマアジサイは得も言われぬ雰囲気がでていました。


このヤマアジサイの小道にも、背の高いガクアジサイ(額紫陽花)も混じっているようなことを神職の方からお聞きしました。どちらも咲き方は、花びらに見える装飾花が額縁のように囲んでいる「額アジサイ」となっていますが、その違いがよく分からないので調べてみました。

まずアジサイを次の4種に大きく分けてみました。

ガクアジサイ(いろんなアジサイの原種で日本古来のもの)、ヤマアジサイ(太平洋側に古来から自生する種)、ホンアジサイ(原種のガクアジサイを園芸用に品種改良したもの)、西洋アジサイ(外国で品種改良されて逆輸入されたもの)になります。




ということはヤマガクどちらも日本古来のもので、ヤマアジサイはおもに太平洋側の福島県から四国、九州地方にかけて分布し日陰や湿り気のある林や沢に生育することから、別名サワアジサイとも呼ばれます。一方ガクアジサイは、おもに関東地方、中部地方、伊豆諸島、小笠原諸島などに分布し日向を好むが湿地でも生育できるので、あまり違いが無いように思いました。


開花時期はヤマアジサイが早く5月下旬頃~6月頃、ガクアジサイの開花時期が6月中旬~7月頃のようです。植物本体の違いでは、ガクアジサイは、背丈が高く(2~3m)、花も葉も大きめで葉は厚くやや光沢があり、ヤマアジサイは、背丈が低く(1~2m)、花も葉も小ぶりで、葉が細長く光沢がないということです。


我が家に咲いていた数株で確かめたところ、花や葉の大小や光沢、細長さなどの違いがなんとなくわかりました。名前は忘れましたが、白い花は多分「墨田の花火」だったと思います。


しかし園芸用のアジサイは挿し木や株分けなどで増やしていきますが、自然の中では種子で子孫を増やしていくので、交雑もあったりして区別は難しいものもあると思います。あまり違いに拘らずにガクアジサイの小さなものがヤマアジサイということにして、清楚な姿を楽しむことにしました。



さて、水戸八幡宮は常陸国北部に400年以上勢力をもった佐竹氏19代義宣公の創建、天正18年(1590)に水戸城主の江戸氏を滅ぼし、常陸太田より水戸に居城を移した際、文禄元年(1592)に氏神として崇敬していた常陸太田鎮座の馬場八幡宮より、水戸城内に奉斎し、のちに八幡小路に慶長3年(1598)に御本殿を建立し、水府総鎮守の社と定めました。


しかし、関ヶ原の戦いの後の慶長7年(1602)に佐竹氏が秋田へ移封されると、水戸は徳川家の所領となり、元禄7年(1694)には2代藩主光圀(義公)の寺社政策の命により、那珂西村へ移遷されましたが、宝永六年(1709)3代藩主綱條(粛公)の時代になり、再び水戸に遷座され、現在の白幡山神域に鎮斎されました。

国指定重要文化財である本殿は創建当初のもの、佐竹公お抱えの「御大工」吉原作太郎(当時15才)を棟梁に、10〜20代の60名程の工匠の名が本殿内墨書に記されているそうです。平成7年から初めての全解体修理が行われ、3年かけて建立当時のまばゆいばかりの姿に復原されました。


紫陽花の咲く、那珂川の河岸段丘にある八幡宮の標高差約20mの崖上は樹齢300年の大欅に覆われ、水戸藩9代藩主斉昭(烈公)が吹きあがる川風で御涼みになった場所と伝わっています。

水戸の梅…ナショナルコレクションに認定

2024年06月07日 | 水戸の観光
日本植物園協会(総裁/秋篠宮さま)が未来に残すべき植物の文化遺産として2017年から始めた「ナショナルコレクション」に、偕楽園と水戸市植物公園の梅130種が認定されました。

江戸時代の文献にもある古典的な品種や水戸で作出された品種を中心に選ばれ、該当品種の梅は偕楽園内で892本、市植物公園内の148本が登録されました。
※写真は、水戸で発見された種に斉昭公の諡号を名付けた「烈公梅」です。ナショナルコレクション(偕楽園)


そもそも水戸は、2代藩主光圀公(号/梅里)以来歴代藩主が梅を愛したといわれ、9代藩主斉昭公が182年前に開設した偕楽園を主体に、今でも毎年「水戸の梅まつり」を開催して梅の都として知られています。
※写真は明治16年の「梅花集」掲載の「残雪」です。ナショナルコレクション(水戸市植物公園)



昭和62年(1987)開園の水戸市植物公園でも、市内の「天神山木楽園」の故寺門忠之氏や、茂垣勝男氏など国内でも知られた梅栽培家の育てたものを主体に、150種400本を植えた梅林が造られました。コレクションには寺門氏作出の「天守閣」や茂垣氏作出の「寿」なども含まれています。
水戸市立植物公園の梅林です。



なお、認定を記念して水戸市植物公園ではパネル展を8月25日まで開催しています。



偕楽園、水戸市植物公園で認定された梅の写真が掲示されていました。(写真はその一部です)



さて、この時期は春の花いっぱいの植物公園です。


入るとすぐのオーバーブリッジではバラの花が迎えてくれます。


滝と水路を配したテラスガーデンは、季節の花で飾られています。


ジニア、ベゴニア、サルビア…長持ちする花々の寄せ植えです。


切り花やドライフラワーで人気のスターチス、花の中から出ている白い小さな花が本当の花冠で、周りの青やピンクの花は萼片だそうで、初めて知りました。


カンパニュラ・メディウムはキキョウの仲間、いろんな色があり釣鐘形の花が人気です。


桂並木沿いの小池にはスイレンが満開です。


桂の新緑は、爽やかな色のハート型の葉がきれいです…、根元を見ると樹に水分と栄養を供給する根がたくましく地表を這っていました。


大温室の花の滝は、トピアリー(植物を人工的、立体的に形づくる造形物)というそうですが、季節の花で仕上げられていました。

梅のナショナルコレクションについて水戸市植物公園の西川綾子園長の話では、画一された花壇が愛される欧州と違い、色や形から咲き方や模様まで多様性を愛でて名前を付けるのが日本の歴史的な園芸文化なので、こうした楽しみ方を伝えてきた水戸の梅林をこの機会に知ってもらいたいということでした。


偕楽園でも来歴の正しい梅の品種を増やしており、苗畑では200種に及んでいると聞きました。今後も植物公園と連携して種の保全や新種の拡充などに尽力していただきたいと思います。
※写真は紅白咲き分けの「輪違い」、「思いのまま」ともいいます。ナショナルコレクション(偕楽園)