顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

西光院(大洗町)…天然記念物「お葉付き銀杏」

2023年12月27日 | 歴史散歩

寺伝によると、応永5年(1398)宥祖上人の開山で寺号を古内山宝性寺西光院と称し京都醍醐寺無量寿院末、文政2年(1819)本堂を建立、除地(藩から年貢を免除された土地)六石余、寺中に蓮華院、功徳院、常福寺の三寺あり、門末併せて五十六ヶ寺を数えたと伝わります。明治の廃仏の難に遭い寺門荒廃、明治9年には大貫小学校の仮校舎にもなりました。

また一説では町内の大貫に城を構えた下総国の豪族千葉氏を壇越として下総国(旭市)の延寿寺を開設した宥祖が開創したという資料もありますが、詳細は不明です。


航空写真で見ても海岸から約800mくらい離れた標高約25mの高台にある城址のような立地です。


山門には葵の門が…水戸徳川家との関係があったようです。


山門から仁王門に向かう坂の参道には石灯篭が並んでいます。


モミジの中に仁王門が浮かび上がります。

仁王門にある迫力十分の仁王像は木彫で、金剛杵を持って口を開いた阿形像、口を閉じ宝棒を持った吽形像が睨みを利かしています。


昭和44年に建立の本堂は、鉄筋コンクリート造りの現代的な建物です。木造の阿弥陀如来立像(本尊)が安置されています。


京都醍醐寺無量寿院末として開山された西光院、無量寿の扁額が架かっています。無量寿とは、寿命が無量である阿弥陀仏のことだそうです。


約100坪の旧本堂は、茅葺だったのを瓦葺にして聖徳太子を祀る太子堂に修築されました。


薬師堂には、水戸藩2代藩主徳川光圀公が眼病の際に祈願して平癒され、後に帰依したと伝わる薬師如来が奉祀されています。


立派な鐘楼が建っていました。除夜の鐘の時期なのでお聞きしたところ、大晦日には撞いていないということでした。



さて境内のイチョウの大木は、稀に葉の上に種子(ギンナン)が付くので「お葉付き銀杏」とよばれ、天然記念物(茨城県指定)になっています。

幹囲(地上1.5m)4.4m、樹高24m、樹齢約400年で古来より海難者の霊をこの樹に招き慰霊、その冥福を祈ったと伝えられています。

県内ではこの「お葉付き銀杏」が天然記念物なっている寺社は、国指定の八幡宮(水戸市)の他、県指定ではこの西光院(大洗町)、照明院(鉾田市)、稲田禅房西念寺(笠間市)が知られています。
(※天然記念物は国指定のほかに、都道府県や市区町村が指定することができるそうです)


しかしこの現象は滅多にみられるものではなく、仙人も数年前に水戸の八幡宮でやっと小さい実を撮影できただけです。種子がふたつ出たため実が大きく育たず、葉は丸まって黄葉しています。


ところで参道の向かい側にある高い石垣…、現代の施工でしょうがまるで城壁のような壮大な石垣にしばし見とれてしまいましが、これは個人の邸宅のものだそうです。


海に面したこの一画は暖かいので、東側の急崖の土手のツワブキ(石蕗)もいちだんと鮮やかな色でした。


この一年間拙いブログをご覧いただき誠にありがとうございました。
どうぞよいお年をお迎えになりますように…


師走の花…まさに暖冬の2023年

2023年12月19日 | 季節の花

何かと気忙しい年の瀬ですが、世間に申し訳ないほど暇な仙人は師走の花を探して彷徨しました。


我が家の皇帝ダリアは長生きの新記録を更新中です。(12月14日撮影)今年はまだ元気な花を咲かせ枝には実が付いていますが、メキシコ、中南米原産のため霜が降ると地上部は枯れてしまいますので、関東地方では結実することはありません。


咲き始めは1か月前の11月13日撮影、冬空に威風堂々としてまるで皇帝のようですが、19世紀初頭の皇帝ナポレオンのロシア遠征が冬将軍に敗北したように、いつも12月初めの降霜で枯死します。
なんと200年後の21世紀に、そのロシアがウクライナへの侵攻作戦を続けているとは!冬将軍がウクライナに味方して早めの終戦を願ってしまいます。


庭の木陰にキチジョウソウ(吉祥草)が増えています。縁起が良いとされますが、今年もいいこと何もなく…、しかし無事に過ごせたのが吉祥なのかもしれません。


公園を歩いても眼に付くのはサザンカ(山茶花)ばかりです。蟻が最後の蜜を求めに来ているようでした。


紅葉した葉に「帰り花」が…雄しべが5本なのでサツキ(皐月)です。常緑ですが初冬に3分の2くらいの葉が落葉するそうです。「狂い咲き」ともいいますが「帰り花」の方がいいですね、仙人のもうひと花は完全に無理ですが…。


こちらは紅葉したツツジ(躑躅)の生け垣の中からキク(菊)が顔を出していました。炬燵に入っているような住環境なのでしょうか。

あまり被写体がないので水戸市植物公園に出かけてみました。

驚いたことにまだ紅葉がしっかり残っている一画がありました。


林の中にスノードロップが咲いていました。中世のヨーロッパで人気の涙滴型の真珠のイヤリング(snow drop)に因んで名付けられたといわれています。


冬のバラは、俳句では冬薔薇(ふゆそうび)という季語になり、侘しい感じでよく詠まれますが、暖冬のせい葉も花も紅葉の中で乙女のような瑞々しさでした。

冬の公園から一転してメガネの曇る温室に入ってみました。

おなじみのブーゲンビリア、1768年にブラジルでこの花を発見したフランス人の探検家の名前が付けられました。


熱帯アフリカ原産のホワイトキャンドルというこの花は、赤い色が多いクリスマスシーズンのアクセントになりそうですね。


アブチロン・ホワイトキングは中南米原産でアオイの仲間というのは、花を見れば頷けます。


ペトレアの花は、真ん中の濃い紫色が花で周りの細長い薄い紫色は萼です。花はすぐ落ちてしまっても萼だけが残るため、長期間鑑賞できます。中南米原産の常緑性ツル性植物で、細く伸びる枝の先に花をつける様子から「女王の首飾り」とよばれます。


英国庭園に多い「トピアリー」は、花が壷から流れ出すように仕上げられています。真っ赤なポインセチアムラサキオモトの寄せ植えがこの時期にぴったりです。

さて皇帝ダリアですが、12月18日にこの地方を襲った寒波で降霜の朝、あえなく枯死しました。

我が庭の長寿記録も塗り替え、今年は天寿をほぼ全う出来たのではないでしょうか。

小さな城館ふたつ…高久館と平治館(城里町)

2023年12月13日 | 歴史散歩
近辺のあまり知られていない城の遺構を訪ねてみました。

中世の「城」と「館」と「城館」…どれも敵を防ぎ味方を守るという軍事的防御を目的に築造された遺構は、住まいの比重が高いのが「」、軍事的な防御を強めたのが「」、両方を兼ねたのが「城館」というように使われていますが、明確には定義があるわけではなく、現地に建つ城里町教育委員会の案内版ではどちらも「館」でした。


さて高久館は案内版では永仁元年(1293)に大掾氏の家臣鈴木五郎高郷の後裔高範が築いたと書かれていますが、関谷亀寿著「茨城の古城」では、佐竹氏8代行義の6男で野口城主になった景義の子、義有が嘉元年間(1303∼05)に高久の地頭になり高久氏を名乗り築城したと載っています。

正長元年(1428)3代義本と長子義景は、山入の乱で挙兵するも佐竹宗家側の大山城主大山義道に攻められて落城、やっと5代時義(義行)の代になって旧領に戻ることができました。天文4年(1535)には10代義貞が部垂の乱でまた宗家に叛くも佐竹義篤に攻められ降伏、二度も宗家に逆らいます。その後佐竹氏の支配下に入って天文12年(1543)、佐竹氏が伊達氏に味方し相馬氏と戦った陸奥の関山(白河市)合戦に従軍した際に、義貞と父義時、子宮寿丸の3代が揃って討ち死にし城は廃城になりました。

那珂川の河岸段丘上の標高50m比高30mの台地にあり、三方を切り立った崖に守られた天然の要害です。


1郭跡は、館部落共同墓地になっています。まさしく城址である舘という地名が残っています。


1郭とは堀で遮られた2郭は農地になっています。


2郭北側にある堀跡、この先も大手までは城の一部ですが、農地や宅地で遺構は消滅しています。


ほとんど消滅していますが、大手とされる場所の堀跡です。


3郭南側に天王神社があります。
天王神社は、牛頭天王(ごずてんのう)と素盞嗚命(すさのおのみこと)を祀っているそうですが、仙人の田舎にも神輿が仕舞われている天王さんという神社があったのを思い出しました。

歩いてみると南北約200m、東西約100mの広大な高久館は、「館」というより「城」という規模で、高久一族の滅亡後も佐竹氏の軍事拠点として拡張整備されていたのかもしれません。



もう一つの館は、高久館から約1.5km北にある平治館です。

案内板では元弘2年(1332)当地方を治めていた常陸大掾高幹の世、佐貫氏が初めて築きのち穂高平治が居住した。天正年間徳ヶ原合戦の時は大山氏の出丸城であったと書かれています。

この城に関する詳しい資料が見つかりませんが、鎌倉初期に進出してきた大掾一族の築城というのは高久館と同じで、その後佐竹一族の支配下になり、天正年間(1573~1592)に一族の大山、石塚、小場氏が争った頓化原合戦では大山城主の出城的役割を果たしたということのようです。  

約100m足らずの方形単郭の館は、確かに3方を天然の堀に囲まれてはいますが、防御施設としては物足りず、やはり「館」の分類に入るのでしょうか。


主郭はもと農地だったようですが、現状は一面の草に覆われ、特に奥の色違いの草は、悪名高き引っ付き虫「コセンダングサ」の群生、ズボンにびっしりと付き、入るのを拒んでいます。


北側の低地に下りる道も台地を横切る空堀になっていて、主郭側にはL字型に土塁が築かれています。


南面は高さ20mくらいの崖になっていて下には天然の池があります。 


主郭入り口の西側の道路も、かっては堀として機能していたかもしれません。いまは低地に下りる道路になっています。

あまり知られていないため詳細な歴史は分かりませんが、その分を空想でカバーして、当時の多くても守備数十人規模の館に思いを馳せたひとときでした。

偕楽園公園の紅葉…逆川緑地など

2023年12月06日 | 水戸の観光

水戸の偕楽園の面積は12,7haですが、その周りを囲む緑地帯をひっくるめると、なんと300ha…これが偕楽園公園で、都市公園としてはニューヨークのセントラルパーク(340ha)に次いで、世界第2位の面積といわれています。
面積はともかく、嬉しいことに自然がそのままが残っているところが結構あるので、紅葉を探してみました。

那珂川、千波湖などの水辺に突き出した河岸段丘の台地という意味の「水戸」という地名のとおり、偕楽園や旧市街のある台地に対し、公園を形成する沖積層の低地では水の豊かな景色が広がります。


その中でも逆川(さかさがわ)は、総延長6Km、流域面積は11K㎡の1級河川です。付近の川が東や南に流れるのに対し、千波湖東で桜川に合流するまで真北に流れているのが命名の由来といわれています。


あまり手を加えず、豊かな森と湧水を利用したこの水辺の緑地は、水生植物や野鳥の観察など街の中で自然が味わえる広大な公園になっています。


水戸の台地は、水を通さない凝灰岩の上に水を通す礫層があり、降った雨が数十年かけて湧水となって滲みだしています。この逆川の両岸の河岸段丘からも湧水が数多く流れ込んで、小さい川ながらこの一帯を通ると水量が多くなり川幅も広がります。


水辺の好きなラクウショウ(落羽松)の林もあり、かわいい気根が顔を出しています。


市街地の中とは思えないススキの土手を流れる川の水は、湧水が加わって驚くほど澄んでいます。


カモ(鴨)もこの季節を満喫しているようです。


また、この湧水を利用して、水戸藩2代藩主徳川光圀公は、寛文2年(1663)飲料水に不自由していた城下の低地区に全長約10Kmの笠原水道を敷設、これは日本国内で18番目に古い上水道でした。

この笠原水源地の湧水はいまでも水戸市の水道にも利用されています。鬱蒼とした杉林に囲まれた竜頭供用栓から出ている水は、いまでも汲みに来る人が絶えません。


こちらは、偕楽園公園の中の紅葉スポットとして人気の「もみじ谷」です。


台地に挟まれた谷は駐車場でしたが、植えたもみじが大きくなってこの時期人気の紅葉の名所としてすっかり定着しています。

ここは名前の通り谷の中なので、午前午後の光線の加減によっていろんな表情を見せてくれます。


最後は黄葉で知られる茨城県立歴史館のイチョウ並木です。


ここには昭和45年(1970)まで、茨城県立水戸農業高等学校があり、その旧校舎本館が復元されています(写真右)。 その跡地に昭和49年(1974)茨城県立歴史館が開館しました。

約50本のイチョウが金色のじゅうたんを敷き詰めた並木道をつくりました。今年は黄葉の時期が遅く11月13日までの「いちょうまつり」は、1週間延長されました。

夏の暑さが長く続いたため1週間ほど遅れた紅葉も、台風で葉を吹き飛ばされることもなく無事に秋のフィナーレを見せてくれました。
自然の移り変わりを味わえる環境に感謝しつつも、愚かな人類の殺し合いに巻き込まれた人たちに早く平和が訪れることを切に願うばかりです。

秋の実 ②…身の回りや近くの公園で

2023年12月01日 | 季節の花
年々狭くなる行動範囲の中を彷徨しながら撮った秋の実、調子に乗っての第二弾です。


ゴンズイ(権翠)が林の中で輝いています。この辺の海でも釣れる魚の「ゴンズイ」が役に立たない物の代表としてその同じ名が付けられましたが、とんでもない、秋の野を鮮やかに彩っています。

ペットや番犬、猟犬など人間にとって一番役に立っているのに、役に立たないという意味で植物の名前の頭に付けられたのが「イヌ」です。

このイヌツゲ(犬柘植)は、印鑑、櫛などに使われるツゲ科のツゲ(柘植)に対してモチノキ科で役に立たないと付けられたのでしょうか。庭木や植え込みとして充分役に立っていますが。


同じくイヌザンショウ(犬山椒)は、姿かたちはそっくりでもサンショウ(山椒)に比べると香りが弱く役に立ちません。見分け方は、棘の出方がイヌザンショウは対生、サンショウは互生というのが一般的です。


モッコク(木斛)は「江戸五木」ともいわれ古くから人気の庭木です。雌雄異株で、花が咲いても実をつけない雄株と、花も咲き実もつける両性株があります。


花と実が一緒に見られるシロダモ(白梻)も雌雄異株です。実は成熟に一年かかるのでこの時期雌株では花と実が同時に見られます。近くに花だけの雄株もありました。クスノキ科の三行脈の葉の裏側が白いのが名の由来で、野球バットに使われるアオダモはモクセイ科の別種です。


ツバキ(椿)の実も開いた殻からほとんど落ちかかっています。今から約1200年前の平安時代の初期、遣唐使が唐への献上品として椿油を持参したそうです。


殆ど落ちてしまったムカゴ(零余子)、数粒残ったふっくらとした実です。自然薯の葉の付け根に出る球状の芽で美味しく食べられます。山遊びでは茹でて塩ふって山上のビールのつまみになりました。


厄介な雑草として嫌われているアカネ(茜)は、昔から茜色の染料として使われていました。


こちらは巨峰のように美味しそうなアオツヅラフジ(青葛藤)、残念ながらアルカロイドを含む有毒植物です。ツタが緑色でツヅラ(葛籠)などを作るために用いられました。


哀れな名前の代表ともいうべきヘクソカズラ(屁糞葛)、その臭いからこんな名になりましたが、臭いの成分メルカプトンは、無臭のガス漏れ検知のための臭い付けに使われているそうです。


梅林の植え込みの中のヤブミョウガ(藪茗荷)の実が、薄緑色から褐色、濃い藍色、白っぽい藍色と、変化する実の色で存在感を放っています。


こんな悪役でも紹介していいのでしょうか、「引っ付き虫」最強の北米原産のコセンダングサ(小栴檀草)です。放射線状に出た細長い痩果の先端には棘がありしっかりと衣類に取り付きます。


フユイチゴ(冬苺)は水捌けの悪い我が家の樹下の環境が気にったのか毎年実を生らせてくれます。酸味が強くてもまさしく苺の味です。小鳥に見つからないように枯葉で覆いますが、周りの餌が無くなる頃には必ず見つかってしまいます。


スギ(杉)の葉の根本にしっかり実が付いていますが、尖端にはもう来春に花粉を飛ばす雄花の蕾が出来上がっています。


こちらはスギより1か月遅れて花粉を飛ばすヒノキ(檜)と似ているサワラ(椹)の実です。区別が分かるでしょうか。

日本気象協会の関東甲信越地方の2024年花粉予想では、例年に比べて「多い150%」、前年に比べて「やや少ない80%」という数字が出ています。