顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

梅いろいろ ①

2016年02月27日 | 水戸の観光
梅まつり開幕1週間で、偕楽園、弘道館の梅は、はや七分咲きを越しました。
梅林の特徴は、種類と(偕楽園約100種、弘道館約60種)、古木が多いことです。園内を巡りながら、お気に入りの花を探したり、幹が皮だけになっても健気に花を咲かせている老木に出会うのもまた楽しいことです。


「鈴鹿の関」は緋梅系一重で、底紅といい、花の中心が濃い紅色で花弁の先端にいくほど淡い紅色の、美しく可憐な花です。いろいろ調べましたが、名前の由来はわかりません。似たイメージの花に「関の守」という底紅の梅がありますが、同じく関という字が付いているのは何か意味があるかも知れません。結実品種です。(弘道館公園)


「柳川枝垂」は、偕楽園の水戸の六名木の一つです。図鑑には枝垂系紅筆性一重で水戸偕楽園のかっては貴重品種と載っていますが、先のとがった花弁の写真がまるで違います。偕楽園には見晴広場の奥、六角形の柵の中にありますが、ここ弘道館の木は若木で、将来が楽しみです。多少実がなるようです。(弘道館)


「淋子梅」は偕楽園内の角地に最近植えられたため、可憐さが目を引く若木です。豊後性八重、不結実とあるので完全な花梅です。図鑑では来歴はまったく不詳とありますが、淋しいと言う字をつけた経緯をぜひ命名者に聞きたいものです。(偕楽園)


「未開紅」は野梅性八重、少量結実の品種です…後ろに孔子廟と屋根の上の鬼龍子が見えます。この名前の由来は、「蕾のうちの方が紅い」「花弁の一部が咲き遅れる」「開かずに蕾で落ちる」とか、いろいろ言われていますが、やはり名前を付けた人に聞くしかありません。(弘道館公園)

水戸の梅まつり開幕

2016年02月22日 | 水戸の観光
2月20日より水戸の梅まつりが開幕しました。今年は1月が暖たかったせいで、平年より2週間くらい早くもう5分咲き、初日にお越しのお客様にも充分梅の花が楽しめる状況になっています。しかし、いつも咲き揃う3月半ばを考えると、いささか心配になってしまいますが…。

偕楽園表門入り口の右側「緋の司」、奥の左側「冬至梅」と紅白揃って、お迎えの準備はもう完璧に完了、園内も早咲きは一部散り始めで中咲きの梅も咲き始めています。

20日、21日は水戸市のゆるキャラ「みとちゃん」の誕生会とかで、各地のゆるキャらが勢ぞろいのイベントが行われていました。全国ゆるキャラグランプリ2015では、みとちゃんは32,121ptで107位、また二桁順位には届かず、組織票のしっかりした自治体には到底敵いません。
一方、茨城県非公認を逆手に取った「ねば~る君」は大ブレイクです。移動はリヤカーに乗ってだったのでびっくりしましたが、構造上のせいかもしれません。


弘道館の梅もほぼ咲き揃ってきました。
重要文化財正庁に向かって左から「八重寒紅」は満開、真中の「滄溟の月」は咲き始め、左の白い「座論」も満開です。この「座論」は、牧野富太郎が名付けた「八房梅」の系統で、果実が複数個成る品種…、偕楽園にある「座論」とは違う種だと言う方もおりますが、花芯の色がここのは赤系、偕楽園は緑系と、まったく違うと仙人も感じていました。

9代藩主徳川斉昭公の諡名(おくり名)を付けた「烈公梅」も咲き始めました。一重で離れた花弁に特徴があり、凛とした気品を漂わせています。偕楽園の水戸の六名木の一つで、水戸を代表する梅花と言っていいでしょう。

弘道館南側の三の丸小学校は、弘道館創設時は武館、医館、天文台などの施設があったところですが、明治元年の弘道館戦争と言われる藩内抗争で燃えてしまい、その後明治28年に水戸高等小学校として建てられた歴史を持ち、冠木門の入り口と白壁の塀、校舎がお城のイメージにぴったりの存在感を出しています。また、周りの道路も三の丸、二の丸、本丸をつなぐ三の丸歴史ロードとして近年整備が進み、水戸城の歴史を感じさせる景観になりつつあります。


西山公園(常陸太田市)

2016年02月17日 | 歴史散歩
水戸藩2代藩主徳川光圀(水戸黄門)が晩年隠居した西山荘の周りは、いま西山公園として整備が進んでいます。駐車場にある休憩施設「桃源」(レストランの蕎麦がおいしい)から西山荘に向かう通路もしっとりしたたたずまいになって、梅の花が咲き始めていました。ここは、桜、花菖蒲、紫陽花など四季折々の花も楽しめ、右側の高台には光圀の寿蔵碑「梅里先生碑」の一節、則ち無きに任せて晏如(あんじょ)たり…から名前を付けた晏如庵という茶室(抹茶・和菓子付500円)もあります。


西山荘は、個人の利用以外の写真は撮れないので、隣接する靖定山妙法華院久昌寺に足を向けました。ここは光圀公が、生母の谷久子(靖定夫人)のために建てました。祖母養珠院お萬の方(家康の側室)がわが子である水戸藩初代藩主頼房(光圀の父)のためにこの地に建てた蓮華寺も後に合併され、お萬の方ゆかりの日蓮宗として盛時には檀林をかかえ、3000人もの僧が学んでいた大寺院だったと説明板には書かれています。

本堂脇に建つ日蓮上人の銅像の後ろに義公廟が見えます。光圀の遺徳を偲んで昭和16年に創建された義公廟は、東日本震災で崩れた瓦屋根が銅版葺きで修復されていましたが、折れた九輪塔は載せられていませんでした。

2月の散歩道

2016年02月11日 | 散歩
俳人飯田龍太の有名な句に、「一月の川一月の谷の中」という49歳の句がありますが、仙人にはまだこの心境が良く分かりません。ということで2月11日の散歩、龍太の気持ちで歩きましたが、こんな透明な気持ちにはとてもなれませんでした。

垣根から顔を出している沈丁花、早春に上品な香りを届けてくれるおなじみの花です。移植を嫌い、乾燥も過湿も駄目となかなか気難しい植物なので、我が家には合わないのか、何度植えても育たず、枯れてしまいました。

ぬかあめにぬるる丁字の香なりけり  久保田万太郎
これよりは一方通行沈丁花   顎鬚仙人


畑の脇に立つ梅はもう満開、品種は多分野梅?原種の梅かもしれません。仙人の感覚では、今年は2週間以上開花が早い気がします。先日聞いた話では、開花が早い年は、実の成りが良くないとか、受粉時期の温度がまだ低いので虫たちの活動が弱いのでしょうか。また、紅梅なども早く咲いた年は、色が薄いという話もありました。


一面にガマ(蒲)の穂、そういえば昔の唱歌の…♪大黒様の言うとおり … 蒲の穂綿にくるまれば 兎は元の白兎♪…、ガマの穂を手で触ると爆発するように綿毛が噴出して飛んでいく様をyou tubeで見ましたが、確かにふわふわの綿毛でした。
後ろに見える穂の一群は、アシ(葦)?ふだん見過ごしていた景色も、フレームに収まると逆光で輝いていました。


開き始めた蕗の薹、畑の土手なので採取は控えました。独特の香りと野生のほろ苦さが、冬から春への味覚を呼び起こしてくれるので、冬眠から覚めた熊も一番先に蕗の薹を食べる?とか、毎年一度は味わいたいものです。
葉と花を無理に開かせて揚げる天ぷら、そして蕗味噌…、我が家では1,2個のときは、細かく刻んで味噌と練り、要らない皿などに塗りつけて火にあぶり焦がしたものを焼き味噌として食します。春の香りと苦さに酒がすすみます。

ほろ苦き恋の味なり蕗の薹   杉田久女
ここにふきのとうそこにふきのとう   山頭火

くらげ(海月、水母)  アクアワールド大洗

2016年02月06日 | 日記
久しぶりの水族館、今度もくらげの水槽の前でしばしその幻想的な美しい舞いに釘付けになりました。存在自体が疑われるような頼りない姿で海中を漂う様は、まるで「海仙人」のようです。

くらげは刺胞動物門に属する動物のうち、おもに海などで浮遊生活する生物の総称で、からだの約95%が水分で、考える脳はなく、実体は大きなプランクトンの一種です。
数億年前から姿を変えていないと言われ、体はゼラチン質で柔らかく、透明。体全体は、多くのものでは傘のような形をして、傘の下面の中心部に口がある種が多いようです。
下の写真、触手がこんがらかってしまいそうな気がします。

ボストン大学の下村脩名誉教授が、クラゲから生命科学の研究に不可欠な“道具”となっている緑色蛍光タンパク質(GFP)を取り出す研究で2008年のノーベル化学賞を受賞したのはまだ記憶に新しいことです。この研究にはのべ100万匹のクラゲが使用されたといわれています。

なお、中華料理などのコリコリ感が癖になる食用くらげは6種類、中には増えすぎて漁業の厄介者や、海水浴で刺されたりする猛毒のくらげもいます。
写真の一番上は、ミズクラゲと記憶しましたが、他は名前を気にせずに撮り、水槽内はピント合わせが難しいことが分かりました。

なお、くらげ(海月、水母、海折、石鏡、水海月)は夏の季語です。

取り逃がし掴み崩して海月取  正岡子規
沈みゆく海月みづいろとなりて消ゆ   山口青邨