顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

まもなく立春…春の兆しを探して

2025年02月01日 | 季節の花
今年の節分は閏年の翌年なので2月2日…、3日が立春になります。



ところでこの時期に「立春大吉」と書かれた札を目にすることがあります。この文字は左右対称で裏から見ても「立春大吉」と読め、禅寺では厄除けの縁起物とされていたものが、門や玄関にこのお札を貼る風習の起源といわれています。

お寺や神社などでは頒布しているところもあり、Amazonや楽天でも販売していました。(臆面もなく仙人の筆ペン大吉も加えています)


さて、身の回りで春を待ちかねて顔を覗かせた植物を探してみました。

フキノトウ(蕗の薹)も土色の萼片の間から緑の色が見えてきました。


フクジュソウ(福寿草)も黄色の花弁が顔を出しています。


サンシュユ(山茱萸)の蕾にも黄色が見えます。
早春に咲く花に黄色が多いのは、飛び始めた昆虫類が黄色に敏感に反応するからといわれています。


冬の間から大きな蕾を形成していたシャクナゲ(石楠花)は、太陽を浴びてさらに力を蓄えているようです。


シュンラン(春蘭)はまだまだ堅そうな蕾でした!


ロウバイ(蝋梅)はいま満開です、これは素心蝋梅、近所で咲いた一枝をもらいました。

ロウバイの花は花弁と萼片の区別がなく花被片と呼ばれます。花の中心の花被片が赤紫色のものは原種のロウバイで「和ロウバイ」ともよばれています。


隣の空き家の水仙は、暮から咲いています。


侘助という人気品種のツバキがやっと開き始めました。


畦道のホトケノザ(仏の座)は一年中咲いていますが、赤茶色の葉の間から咲いた春先の花はよりあざやかな気がします。黄色い花はノボロギク(野襤褸菊 )でこれも一年中見かけます。


タンポポ(蒲公英)も数は少ないけれど畦道を探すと冬でも見つかります。繁殖力の強いセイヨウタンポポです。


早春を告げるこの花は星の瞳という別名を持つオオイヌフグリ(大犬の陰嚢)で明治のころ渡来した帰化植物、在来種のイヌフグリに似て少し大きいのでオオ(大)が付きました。
実が犬の陰嚢に似ているのが命名由来、毎回その写真を貼付している仙人です。


そこで、梅の花を探しに偕楽園へ…今年はここ数年よりも開花が遅れているようで、園内にやっと見つけた撮影対象になる「八重寒紅」です。今後の気温次第ですが、2月11日から始まる水戸の梅まつりには3分咲きくらいになっているといいですね。


二季桜も寒さに震えながら園内で花を開いていました。桜満開の時期には、また元気を取り戻して咲かせてくれることでしょう。


立春は、古代の中国北方で定められた「二十四節気」のひとつで、1年を4つの季節(春夏秋冬)に分け、各季節をさらに6つに細分化した24の節気に基づいています。古くから季節をあらわす言葉として定着し、ほとんどが俳句の季語としても使われています。

※日本気象協会ホームページよりお借りしました。


明日は関東地方も雪の予報、まだまだ寒い日は続きますが…、春の始まりの「立春」という響きに心地よさを感じました。




年の暮れ2024…まだ頑張っている花たち

2024年12月19日 | 季節の花
2024年もあと2週間弱、すっかり色彩の少なくなった身の回りで、寒さに耐えながら咲いている花を探してみました。


ホトケノザ(仏の座)シソ科オドリコソウ属で、花期は3月から6月とされてはいますがとんでもない、今は1年中見られます。春の七草のホトケノザはキク科の別種です。


日本古来のタンポポ(蒲公英)は春に咲きますが、繁殖力が強く生態系で優位になっているセイヨウタンポポ(西洋蒲公英)は、この時期でも咲いているのを見かけます。


林の中で元気に咲いているアザミを見つけました。googleレンズで調べると、ノハラアザミ(野原薊)のようです。


大洗港の先端緑地公園で咲いていたキミガヨラン(君が代蘭)は、5~6月と10~11月の年2回咲くリュウゼツラン科の耐寒性常緑低木でユッカともよばれます。海沿いは2,3度暖かいといわれますし、北米~中南米原産でも耐寒性は強いようです。学名の種小名「gloriosa (栄誉ある)」から和名が付けられたといわれます。


いま満開なのはサザンカ(山茶花)、古刹の生け垣に咲いていた三種の配置には、植木職人の感性が感じられました。


我が庭のフユイチゴ(冬苺)…樹の下に生えていますが今年は野鳥にすぐ見つかってしまいました。


ヒイラギ(柊)はキンモクセイの仲間、甘い芳香で知られますが嗅覚の衰えた仙人の鼻では無臭です。「鰯の頭も信心から」という風習も最近では見られなくなりました。


縁起のいい名前のキチジョウソウ(吉祥草)も、木陰に植えた我が庭では増えすぎて困っています。


垣根のバラが赤い実と一緒に咲いていました。このように初冬に咲く返り花のバラのことを「冬薔薇(ふゆそうび/ふゆばら)」といい、よく詠まれる初冬の季語です。

               冬薔薇いよいよ年の空深く  高澤良一



ススキ(芒)もこの時期になるといちだんと侘しさを感じます。

               折れてなほ日に華やげり冬芒  岡田日郎


樹の下が霜よけになったようで、無傷のムラサキカタバミ(紫片喰)を見つけました。


いつもと同じ12月10日前後の強霜により黒くなった皇帝ダリア、亜熱帯の中米原産で我が家に来てから約20年、今年もよく頑張り1か月の間冬空を華やかにしてくれました。根茎部分は地中に残りますので、枯草などを被せておくと来年もまた元気に芽を出します。



まだ散りかねている紅葉をバックに、コブシ(辛夷)の蕾が大きくなっていました、来る年の希望を象徴するように…。とはいえ、世界各地で収まらない争乱、不安定な国内情勢や物価高騰など明るい話題があまりないのが気にかかりますが。

身の回りの花…秋はキク科の花が多いなぁ

2024年11月26日 | 季節の花
この時期身の回りの花を探していたらキク科の花が多いなと気付きました。そもそも「重陽の節句」という菊の節句もありますので、キク(菊)そのものが秋の花の代表ということを再認識しました。

ところで「菊」という字は「キク」という読み方だけで他の読み方がない珍しい字です。奈良時代に中国から初めて渡来した時に「キク」という「音読み」だけが伝わったといわれています。


公園や庭先でこの時期に目立つ黄色い花はツワブキ(石蕗)です。キク科特有の周りを囲む舌状花と中心部の筒状花から成る花ですが、舌状花の幅に大きな個体差があるので並べてみました。


葉にツヤ(艶)があるので「ツヤブキ」とよばれていたのが訛って「ツワブキ」になり、岩場などに自生して蕗に似ているので「石蕗」という漢字になったという説がありました。


海辺の公園で咲いていたイソギク(磯菊)は、筒状花だけで周りを囲む舌状花がありません。白く縁取りされた葉がおしゃれですね。


キバナコスモス(黄花秋桜)は、花期が長く霜が降りるまで咲いているので、よく目にするようになりました。


田んぼのあぜ道には牧野富太郎先生に哀れな名前を付けられたノボロギク(野襤褸菊)、綿毛の出る様がぼろに見えたので名付けたといわれています。


これも牧野博士命名のハキダメギク(掃溜菊)、帰化植物で世田谷の掃溜めで博士に見つけられたため名前が付けられてしまいました。5㎜くらいの小さな花ですが、白い舌状花がきちんと並ぶ様は気品があります。


悪名高きコセンダングサ(小栴檀草)もキク科の筒状花だけの黄色い花が咲きますが、不気味な実は釣り針に付いている「返し」が複雑に仕込まれており、容赦なく衣類に引っ付きます。


この嫌われモンの親戚なのが、同じセンダングサ属のウインターコスモスです。花が秋から冬にかけて咲きコスモスに似ているので名前が付きましたが、コスモスの仲間ではなく正式な名前はビデンスです。


空き地などで見かける野菊は、この辺ではほとんどこのカントウヨメナ(関東嫁菜)です。主に関西に生育するヨメナ(嫁菜)は春の若葉が食用となり、これが名の由来となっていますが、カントウヨメナを食べる話は聞いたことがありません。


あまり野山では見つからなくなったノコンギク(野紺菊)、知り合いからいただいたものが大きな株になっています。


さて皇帝ダリアもキク科ダリア属、最近住宅地などで遠くからでもその存在感が目立つようになっています。我が家でも夏の切り戻しを忘れましたが、台風の襲来がなかった今年は4m以上も伸びています。


例年なら12月10日ころの強い霜で枯死しますので、初冬の空で短い生命を謳歌している姿に親しみと羨望を感じながら撮りました。


シュウメイギク(秋明菊)など…秋を彩る花

2024年11月04日 | 季節の花

個人的にはもっとも秋を感じる花という印象のシュウメイギクは、菊という名前でもキク科でなくアネモネの仲間のキンポウゲ科で、中世の頃に中国から伝来したと伝わる帰化植物です。


花弁のように見えるのは萼が変化したもので、このように花弁と萼が一体になったものを花被といいます。真ん中に黄色い雄しべに囲まれた薄緑色の雌しべのかたまりがありますが、実は生らず地下茎によって繁殖するそうです。


花を裏返しして撮ってみると、確かに萼らしきものが無く、白い花弁状の物が萼と一体だということが分かります。花被は5枚かそれ以上ですが、この個体はずっと多いようです。


原種は濃いピンク色で八重咲きだとされていますが、やはり白の一重が私的には気に入っています。


ただ難点は、増えすぎてしまうことと、花も背が高く、葉も黒ずんで汚くなることですが、ネットの情報では初夏に根元まで切り戻すと、背の低い葉の青々とした株になると出ていました。試してはみませんが…。


同じく秋の花というと、ホトトギス(杜鵑草)が好きな花です。ユリ科ホトトギス属の日本固有種です。

ホトトギスも、花弁と萼が一緒になったユリ科の他の植物と同様に花被が6枚で、幅の広い外側の3枚が萼の変化した外花被、細い幅の3枚が内花被です。
紫色の斑点が、鳥のホトトギス(杜鵑、不如帰)の胸にある模様に似ていることから名前が付き、漢字名では草を付けた杜鵑草とするのが一般的なようです。


束状に立ち上がる花糸から6本の雄しべが分かれ先端に花粉を出す葯があり、その内側の3本の雌しべの柱頭は2裂しています。

花被の根元にある黄色い班点は、蜜がここにあるぞぉ~と昆虫を呼び寄せる誘導案内板の役目をしていて「蜜標」や「ハニーガイド」という魅惑的な名前が付いています。


萼片に相当する外花被3枚の下には大きな突起物があり、これが昆虫のお目当ての蜜の壺です。


この変わった花の形には自然の仕組みが濃縮されています。蜜を吸いに来た昆虫の背中に垂れ下がった葯が触れ花粉を付け、飛んで行った先の花に運び他家受粉をさせます。


公園の花壇では、秋が深まってもおなじみキク科の花が咲き残っていました。


ジニアはヒャクニチソウ(百日草)の名前の方が親しみのある世代の仙人は、夏休みの誰もいない校庭でいつまでも咲いていた景色を思い出してしまいます。


花壇といえばマリーゴールド、これも長持ちする花の代表品種です。
野菜の傍に植えると、独特の香りや根の周りの菌によって害虫を遠ざけるコンパニオンプランツとされていますが、まだ試したことはありません。


ダリアの開花時期も長く6月中旬から11月までと園芸サイトには出ています。以前ほど見かけることが少なくなったような気がしますが、今はこれから咲く皇帝ダリアがあちこちの庭で晩秋を彩ります。

雑草の花も数少なくなったこの季節、花壇の周りの草むらでカタバミ科の花が元気でした。


カタバミ(片喰)は、夜に葉が半分閉じた状態になるので名前が付きました。いまは北米原産の帰化植物オッタチカタバミ(おっ立ち片喰)がこの辺りでも勢力を伸ばしています。


すっかり雑草となって我が物顔のイモカタバミ(芋片喰)は、南米原産の帰化植物で戦後観賞用として入ってきたものがまたたく間に広がりました。芋のような塊茎から名前が付きました。


公園のモミジバフウ(紅葉葉楓)も色付き始めました。

やがて晩秋となり木々の紅葉が散ると、モノトーンの冬がやってきます。昨年は暖冬でしたが、今年の12月、1月は寒さ厳しいとの予想が出ていますので、まだ復興できてない被災地の方々の息災を願うばかりです。

秋の七草…万葉集で詠まれた歌

2024年10月23日 | 季節の花



秋の七草は、今から約1300年前に編纂された万葉集にある山上憶良(やまのうえのおくら)の和歌2首がもとになり、後世に知られるようになったといわれます。

    秋の野に 咲きたる花を 指(および)折り 
        かき数(かぞ)ふれば 七種(ななくさ)の花
    ※指のことを古語では「および」といいました。
                  巻8の1537  山上憶良

    萩の花 尾花葛花 なでしこの花 
        女郎花また藤袴 朝貌(あさがお)の花
                  巻8の1538  山上憶良 

凄まじい夏の暑さの余韻もやっと覚めて秋真っ盛り…万葉の時代に思いを馳せて、秋の七草の写真を在庫から探し出し、万葉集で詠まれた七草の歌と一緒に並べてみました。


萩の花



萩の花は万葉集で詠まれた一番多い花で141首もあるのは、どこにでも手軽に眼にする花だったからかもしれません。マメ科の落葉低木、花と実を見ればマメ科というのが納得できます。宮城野萩、丸葉萩などいろんな種類がありますが、秋の七草で詠まれたのは「ヤマハギ(山萩)」という説が多いようです。

    我が宿の 一群萩を 思ふ子に
        見せずほとほと 散らしつるかも   大伴家持 巻8-1565

    ※私の家の一群れの萩を恋しい人に見せないうちにあやうく散らしてしまうところでした。
    ※ほとほと:もう少しで(…しそうである)

この歌は巻8-1564に載っている日置長枝娘子(へきのながえおとめ)の歌に対する大友家持(おおとものながもち)の返歌とされています。

  秋づけば 尾花が上に 置く露の
      消ぬべくも我は 思ほゆるかも   日置長枝娘子 巻8-1564

   ※秋らしくなると尾花の上の露のように、身も心も消えてしまいそうなほどあなたを思っています。

このような恋の歌のやり取りは「相聞歌」とよばれ、万葉集全体の約半数を占めています。今放映中の大河ドラマ「光の君へ」は、万葉の時代より約300年後の平安の貴族生活を描いていますが、やはり「相聞歌」が出てきました。
宮廷文化が熟したこれらの時代には、一夫多妻や通い婚が認められ、恋愛は物語や和歌の題材として頻繁に取り上げられていました。貞操観念も厳しくなく恋愛に対するおおらかな時代であったと言えるかもしれません。


尾花 



尾花はススキのことで、尻尾のような花穂の形からよばれ、茅(かや)、萱(かや)とも呼ばれ41首も載っています。

   人皆は 萩を秋と言ふ よし我は
        尾花が末を 秋とは言はむ    作者不詳 巻10-2110

   ※人は皆、萩こそ秋の花だという、いいや私は尾花の穂先こそもっとも秋らしい  といいたい。

万葉の時代にも大多数の意見に逆らって自分の意思を述べる軟骨漢がいたようです。


葛花



葛はマメ科クズ属の蔓性植物で、荒地や廃屋などすさまじい繁殖力で蔓延っているので、現在では歌のイメージには程遠いものがありますが、根は葛根湯など薬用、また葛粉(くずこ)として使われます。21首の歌が詠まれています。

    真葛延ふ 夏野の繁く かく恋ひば
        まことわが命 常ならめやも    作者未詳 巻10-1985

    ※真葛の蔓延る夏野のようにこれほど恋い焦がれたなら、本当に私の命はどうかなってしまうかもしれな

なでしこの花



七草の撫子の花は、「ヤマトナデシコ(大和撫子)」とよばれ日本女性の美しさをたたえるときに使われる「カワラナデシコ(河原撫子)」のことです。本州以西に自生するお馴染みの植物ですが、最近では自然破壊などで減少しているそうです。
万葉集掲載の「撫子の花」は26首、そのうち11首は万葉集編纂の中心人物とされる大伴家持の恋の歌です。

    朝ごとに 我が見る宿の なでしこの
          花にも君は ありこせぬかも   笠女郎 巻8-1616

     ※私が毎朝庭で見るナデシコの花があなたであったら、毎日顔を見ることができるのに…

笠女郎(かさのいらつめ)が大伴家持(おおとものやかもち)に贈った歌で、家持は、正妻や妾の他にも、何人かの女性との間に恋のやり取りがあり、交わした相聞歌が万葉集に多く載っています。女性にモテた平安のプレーボーイ家持に笠女郎が出した歌は29首、でも返された歌はたった2首だったと伝わります。

女郎花



14首詠まれたおみなえし(女郎花)は、昭和の野山でよく見かけましたが、最近では園芸店で購入して庭に植えている方も多くなりました。
「女郎」を意味する「オミナ」と、「圧(へ)す」という意味の「エシ」から、美人を圧倒するほど美しいという命名由来説があります。

    をみなへし 咲きたる野辺を 行き巡り
       君を思ひ出 たもとほり来ぬ  大伴宿禰池主  巻17-3944

     ※女郎花の咲いている野辺をめぐり歩きながら、あなたを思い出してはあちこちと女郎花を求めてさまよって来ました。
      ※たもとほる:廻(めぐ)って行く 行きつ戻りつする

大伴宿禰池主(おほとものすくねいけぬし)は、大伴家持の親族で越中国守として家持が赴任した地に、越中掾として在任しており互いに歌を詠みあった仲でした。この歌も着任後に催した宴の主人家持が詠んだ歌に対する返歌とされます。

藤袴



フジバカマ(藤袴)の万葉集の歌は冒頭の1首だけです。

    萩の花 尾花葛花 なでしこの花 
        女郎花また藤袴 朝貌(あさがお)の花  
                     山上憶良 巻8の1538 

フジバカマの葉には桜餅を思わせるような芳香があり、平安時代の貴族の女性は乾燥した藤袴の葉を入れた匂い袋を身に付け香りを纏ったそうです。

朝貌の花



万葉の時代には朝に咲くきれいな花を朝貌の花と詠んだようで、現在のキキョウ(桔梗)のことだとする説が有力です。5首詠まれています。

    展転(こいまろ)び 恋ひは死ぬとも いちしろく
          色には出でじ 朝貌の花  作者未詳  巻10-2274

    ※転げまわるほど苦しむ恋で死んでしまおうとも、はっきりと顔には出しません、朝顔の花のようには。
     ※展転(こいまろ)び:転げまわること  いちしろく:はっきりと(古語)

ところで万葉集の作者不詳の歌は約半分もあります。
7世紀から8世紀後半にかけて朝廷によって収集されてきた歌を、大伴家持が中心になって約4500首を20巻にまとめた万葉集には、天皇や皇族、貴族だけでなく、防人(さきもり)や農民まで、幅広い階層の人々が詠んだ歌が収められているとされています。しかし当時の識字率は5%という説もあるので、恐らく作者不詳の歌は、下級の貴族や官人、僧侶など身分が低くても文字の書ける限られた階層の人たちの歌だったのではないでしょうか。
いずれにしても1300年以上前の我らが祖先の、いまよりもずっと激しい恋の歌に圧倒されてしまいます。