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江戸時代初めの寛永6年(1629)に水戸徳川家の初代頼房が、江戸の中屋敷(後に上屋敷)の庭として造り、二代藩主の光圀の代に 完成した庭園です。光圀は作庭に際し、明の儒学者、朱舜水の意見をとり入れ、中国の教え「(士はまさに)天下の憂いに先だって憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」から「後楽園」と名づけられました。
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庭園は池を中心にした「回遊式築山泉水庭園」になっており、随所に中国の名所の名前をつけた景観を配し、中国の杭州にある西湖を模した「西湖の堤」は、その後に築造された各地の大名庭園にも大きな影響を与えました。
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また、円月橋は明の儒学者朱舜水が設計したといわれる石橋、水面に映る姿が満月のように見えるので、この名がつけられました。震災、戦災を免れた貴重な建造物の一つです。
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園の中心にある蓬莱島と呼ばれる島を配した大泉水の大池は、琵琶湖を表現しており、その用水は、家康の命によって天正18年(1590)より整備された、神田上水の分流を引き入れていました。どこから写しても背景に高層ビルが写ってしまいます。
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大名庭園に必須の陰陽石もありました。大名は嫡子が途絶えると御家断絶になるため、 江戸時代の大名庭園では子孫繁栄を願って陰陽石が大流行したそうです。
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徳川家の家紋、三つ葉葵の原型、フタバアオイ(二葉葵)が入園口に植えてあります。京都の賀茂神社の御神紋、別名カモアオイ(賀茂葵)、毎年5月に行われる葵祭りのシンボルです。